私はロックグラスにアードベッグ10年を注いだ。私は耽美という言葉が大好きだ。仕事から帰ってウイスキーを注ぐとどうしようもなくそう感じさせられてしまう。道徳や倫理、そういう人間らしさを全て捨てて自由というものの一端に少し触れている感覚。神というものの存在を信じてみたくなる。そんな危険な退屈がウイスキーにはある。

アードベッグはゲール語で小さな岬の意味があるが、その名前とは裏腹に、スコットランドのアイラ島スモーキーモンスターと形容してもいいだろう。ウーガダール湖と呼ばれる湖の水を仕込み水として利用している。ちなみにアードベッグには10年以外にもその名もウーガダールやコリーヴレッカン、ウィービースティー5年など様々なラインナップがあり、さらに毎年6月に開催されるアードベッグデーというイベントでは毎年必ずリリースされる限定のアードベッグを飲むことができる。アードベッグは無論初心者にはお勧めしない。好きな人はとことん大好きだが、嫌いな人はとにかく嫌いだ。アイラ島の強力な個性を持つ唯一無二のウイスキー。このウイスキーの虜になり戻って来れなくなった者を人はアードベギャンと呼ぶ。さらに強力なブルイックラディ蒸留所のウルトラヘビリーピーテッドモルト、オクトモアも飲んだことがあるが、私は飲み疲れしないアードベッグが好きだ。それになんといってもピーティーパラドックスといわれるスモーキーさと繊細な甘さの共演。このハーモニーはやはりアードベッグ10年でしか体験できない。

私は今、五十歳だが、確か二十歳になって間もない二十一歳の頃だっただろうか。正確な時期は思い出せないが、大学生の頃だったのは確かだ。父親と初めて行ったジャズバーでアードベッグと出会った。二十歳になり友人と飲み会を重ねるうち、私自身、そこそこ酒に強いことが分かった。そこで親父が私をウイスキーの世界へ連れて行ってくれた。メニューには得体の知れない飲み物が沢山。そこで私が最初に飲んでみたいと思ったのが何を隠そう、アードベッグだった。それは運命の出会いだった。私が未だに独身なのは無論、アードベッグのせいだ。逆に一人でここまで生きてこれたのはアードベッグのおかげとも言えよう。それは置いておいて、私はその注がれた淡い黄金色の液体をそっと口に含んだ。私はこの時初めてウイスキーを飲んだため、最初に香りをかぐなどという所作は知らなかったので許してほしい。最初にやってきたのは正露丸。次第に収束していくと同時に反比例するようにやってくる甘さ。この甘さが最初に正露丸のアタックをしてきた同じ飲み物が本当に醸し出しているのかと疑いたくなるくらい優しいのだ。私にはそれから五分ほどの記憶が全くない。

あれからもう三十年ほどだった。仕事だらけで多忙な毎日だったが振り返ってみるとそこそこ幸せだったと思えた。それはきっと他でも無いアードベッグが毎週金曜日の夜、私に寄り添ってくれたおかげだろう。