こんばんは
しらこまです
北海道2024以外で、ようやく最初の2024年記事…
どんどん投稿ペースを上げないと追いつけない状態…
それだけいろんなところに旅出来てるからありがたい部分ではあるけど
ということで、2024年の1月に行ったときの話
ニコ動で投稿してる「さよみこ観光」シリーズで、あしがくぼの氷柱を出そうと思って、
夜の氷柱を見に行こうと思ってついでに日中帯もめぐってみたという感じ
名前はよく聞くけど行ったことはなかった所沢駅で降りて、
そこで乗り換えて航空公園駅へ

ここは日本での航空発祥の地らしい

ちょっと歩いてまずは所沢航空発祥記念館へ向かった

結構広い芝生スペースがあった
1月だからか、凧揚げしてる人も見かけた

ちょうど航空発祥記念館が出来てから30年だったみたい
館内マップ

やっぱ航空機展示もある
所沢は東京から近くて候補地としていろいろよかったからここで開発することになったらしい

すでにライト兄弟が飛んでるとはいえ、開発を始めてから2年で人を乗せた飛行機を作れたらしい

高度10mだから大したことないかもだけど、それでもすごいと思う
時代の変遷を表した写真とかポスター付きの解説板が展示されてた

それっぽい飛行機がだんだんできていって、太平洋戦争での航空機開発に進んでいく感じかな

1940年の幻になったオリンピックと万博

どっちも1960年代、2020年代に開催出来ていまは平和によかったかな
太平洋戦争時の零戦の戦闘機を作った堀越二郎という人の来歴

零戦は特攻用っていうイメージがすごく強いけど、それはたぶん末期だけで、

普通に高性能な水準を求められてたみたい

中島飛行機と競い合ってたらしく、結局は中島飛行機のものが採用されてたんだって
群馬出身で、しかも太田方面もよくいってたから中島飛行機がちょっと気になったりしてついでに調べたりした
今は一部はスバルとかにはなったけど、さすがに解体されちゃったみたい

で試験飛行を重ねていって量産していった

けどやはり事故は起きて検証をしていって原因究明したそう
戦争開始後にはアリューシャン列島のほうに不時着してしまった零戦戦闘機がアメリカで解析されてしまい、
対応策等が展開されて有利性がなくなっちゃった

零戦の後継機で、烈風という航空機も試作されてたらしいけど、
そのころには空襲が来るようになってしまい、開発が終わらないまま終戦になった
戦後は敵だった国の企業とも協業

ボーイングも元は戦争のための航空機を作ってたけど、
民間旅客機をどんどん作っていくという感じになっていった
航空発祥記念館1階は、そんな展示物と航空機の展示もあった

操縦席部分を見れるところもあった
2階は所沢メモリアルギャラリー

日本の航空は、最初は気球から始まったそう

戦争時の連絡手段用ということで、なんか今の主要技術とやっぱり同じ始まり方
西南戦争でも運用が検討されて、その後の日露戦争でもちょっと使われて、その後も開発が続いたみたい

所沢に飛行場が作られたのは1911年で、そこからは航空機開発
どんどん投稿ペースを上げないと追いつけない状態…
それだけいろんなところに旅出来てるからありがたい部分ではあるけど
ということで、2024年の1月に行ったときの話
ニコ動で投稿してる「さよみこ観光」シリーズで、あしがくぼの氷柱を出そうと思って、
夜の氷柱を見に行こうと思ってついでに日中帯もめぐってみたという感じ
名前はよく聞くけど行ったことはなかった所沢駅で降りて、
そこで乗り換えて航空公園駅へ

ここは日本での航空発祥の地らしい

ちょっと歩いてまずは所沢航空発祥記念館へ向かった

結構広い芝生スペースがあった
1月だからか、凧揚げしてる人も見かけた

ちょうど航空発祥記念館が出来てから30年だったみたい
館内マップ

やっぱ航空機展示もある
所沢は東京から近くて候補地としていろいろよかったからここで開発することになったらしい

すでにライト兄弟が飛んでるとはいえ、開発を始めてから2年で人を乗せた飛行機を作れたらしい

高度10mだから大したことないかもだけど、それでもすごいと思う
時代の変遷を表した写真とかポスター付きの解説板が展示されてた

それっぽい飛行機がだんだんできていって、太平洋戦争での航空機開発に進んでいく感じかな

1940年の幻になったオリンピックと万博

どっちも1960年代、2020年代に開催出来ていまは平和によかったかな
太平洋戦争時の零戦の戦闘機を作った堀越二郎という人の来歴

零戦は特攻用っていうイメージがすごく強いけど、それはたぶん末期だけで、

普通に高性能な水準を求められてたみたい

中島飛行機と競い合ってたらしく、結局は中島飛行機のものが採用されてたんだって
群馬出身で、しかも太田方面もよくいってたから中島飛行機がちょっと気になったりしてついでに調べたりした
今は一部はスバルとかにはなったけど、さすがに解体されちゃったみたい

で試験飛行を重ねていって量産していった

けどやはり事故は起きて検証をしていって原因究明したそう
戦争開始後にはアリューシャン列島のほうに不時着してしまった零戦戦闘機がアメリカで解析されてしまい、
対応策等が展開されて有利性がなくなっちゃった

零戦の後継機で、烈風という航空機も試作されてたらしいけど、
そのころには空襲が来るようになってしまい、開発が終わらないまま終戦になった
戦後は敵だった国の企業とも協業

ボーイングも元は戦争のための航空機を作ってたけど、
民間旅客機をどんどん作っていくという感じになっていった
航空発祥記念館1階は、そんな展示物と航空機の展示もあった

操縦席部分を見れるところもあった
2階は所沢メモリアルギャラリー

日本の航空は、最初は気球から始まったそう

戦争時の連絡手段用ということで、なんか今の主要技術とやっぱり同じ始まり方
西南戦争でも運用が検討されて、その後の日露戦争でもちょっと使われて、その後も開発が続いたみたい

所沢に飛行場が作られたのは1911年で、そこからは航空機開発

1911年4月5日の飛行では、日本で公式に飛ぶのは2回目ということもあって、
見物客がいっぱい来たんだそう

その後もほぼ毎日のように試験されて、長いものでは1時間以上飛行したものもあったみたい
特に飛行機最初期の頃だったから事故も起きてて、
東京のほうで展示飛行をした後の帰路で、突風にあおられて墜落という事故があったそう

1913年のことだから、逆にそれまで2年間は死者を出さずに試験とかできてた、っていうのも、それはそれですごいと思う

さすがに小規模の事故は日常茶飯事だったらしい
その後の所沢は、航空学生を教育するための学校が建って教育の場になったみたい

戦後は残ってた所沢飛行場は米軍基地になって、何度か一部エリアを返還って感じになってたけど、まだ3割くらい残ってるらしい

ここら辺は入間基地とか横田基地とか結構米軍基地がある感じだね…
航空発祥記念館はこのあたりでおしまい。
続く。
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