もし目の前に『痛みもつらさもなく、一瞬で死ぬことができる薬』があったら、どうしますか。
こんにちは、お久しぶりです橘です。
随分と放ったらかしにしてしまいました。明けちゃいました2015。
今年の目標は生き延びること。頑張るぞ。
冒頭に戻りましょう。これはもしもの話です。
もしそんな薬があったとしたら。
私は迷わず飲みます。きっと必死になって飲み込むでしょうね。
今年の目標早くも失敗。なんと愚かなことでしょうか。
でも、だって苦しまずに死ねるだなんて、幸福なことこの上ないでしょう。
そもそも死ぬという行為、誰だって恐怖心があるでしょうから。
死にたいと思いたって、それでも仕方なく生き続ける理由は、そこにあるのだと思います。
自分が居なくなることへの安心。開放。
死ぬ途中の痛み。
前者の方が大きい人が、自殺に陥った人。
後者の方が大きい人が、今生き残っている人。
大体の人は後者の方が大きいことでしょう。
が。
もし、その痛みがさっぱりなくなったら。
私だったらすぐ、その薬を飲み干して死にます。
選んで持ったわけでもない命、最後くらい選びたい。
私だけでなく、きっと同じような考えをしたひとが、他にもいるのではないでしょうか。
そう信じたい。
でも怖い。すごく怖いのです。痛いことが。忘れられることが。
今私が生きているという証が、生きていたという証がないから。
だからもし、そんな薬が開発できても。いや、今出来ていても。簡単に、ぱっと一般人の手に渡るようにはならないで欲しい。そう思います。
すぐ死ねるという“安全装置”があれば、必ず人はそこに逃げる。人間はそういう生き物ですから。
でも、そうはなって欲しくないのです。逃げて欲しくない。
そうなれば本当に、日本は終わりです。みんなどこかで「大丈夫だ」と安心してしまいます。それではだめなのです。
それでは、本当に、本当に少しずつ、どこかから崩れていくと思います。
まるで、波が来るぎりぎりの砂浜に立てられた砂の城のように。
それはいつか、少しのきっかけで崩れてしまうから。
ですからやっぱり、人はある程度の緊張を保った方が良いのではないでしょうか。
ずうっと緊張しっぱなしでも壊れてしまいますから、適度に。うまくバランスを取ることができれば、もう勝ったも同然なのです。
それでうまくできなくても、それは仕方ない。慣れていないことに慣れるのには、時間が必要ですから、じっくりじっくりと慣れて上達して、それでうまくなってバランスを取れるようになればそれでいい。
死にたいと言う言葉はちゃんとバランスがとれた上で、もうどうにもならないときに使う言葉。
あーあ、私もバランスが取れていないのだから、死にたいなんて言えないなあ。
生きなきゃ。
それでもやっぱり、もし死ぬなら美しく死にたいと思います。
ひとの印象に残る死に方で、苦しくなく、美しく。
それはあまりにも、無理な話。