心臓止まるかと思いました。
朝、アラーム代わりにTVをセットしていて、寝ぼけながら聞こえてきたニュースがこれで・・・。
低血圧な私もさすがに一気に目が覚めました。
自分がハドソン河の麓に住んでいただけに、とっさに近所に住んでいた友人・知人達の無事をただただ祈りました。。だって、あんなに狭い河幅に、旅客機がそんなにうまく着陸できる訳がない!と。
テロなのか、ただの事故なのか、ハドソン河のどの辺りに落ちたのか(その時は不時着、ではなく墜落、と報道されていたので)・・・色んな不安がドバッと襲ってきて。。。
でも次第に色々ハッキリしてきて奇跡に近い不時着だった事がわかりやっと安心。
映像を見ていると、不時着した後続々とフェリーやらボートやらが集まってきてアレヨアレヨという間に全員救出。そして1時間後に飛行機は沈没。ハドソン河に不時着も仰天だけれど、あの救出劇も仰天。
詳細が分かるにつれ、「ニューヨークだから助かった事」が多かったのでは、と感じました。
悪い癖かも知れないけれど、「日本だったら」をすぐに考えてしまう私は、あんなにすぐにトラブルを目の前にして機転を利かせてみんながみんな即行動に移せるって日本ではあまり見ないよな~と思うしね。
もちろん、着陸にたロケーション的に恵まれていた、というラッキーももちろんあり、あの小さい島(マンハッタン)とニュージャージーの川岸だったからこそ病院の数も近距離にあり、ケガ人も即座に救護された訳だけれど。
それだけでは無い何かを感じました。
ニューヨーカーって大多数が生まれは違う国出身だったり、違う州出身だったりする訳で(東京と同様)、だからこそそれぞれ「ニューヨークに住む為に必死で頑張っている者同士」という暗黙の共通項がある気がする。
例えば、地下鉄なんかに乗ると、何度も目撃する場面。
バギーを押すお母さんが階段の側にいる、必ず誰かがすぐさま手を貸す。そしてお母さんも恐縮する事無くサラッとお礼をいうだけでそのオファーを当たり前のものとして受ける。
電車に乗り込んできたおばちゃんが「これは125丁目止まります?」って誰ともなく聞くと、その一帯に座ってる人達が一斉にみんなで「止まるよ~!」と声をそろえて返事をする。
そういう瞬間のさりげなさと、周りの人もそれを当たり前の光景として見て流す。そこに生まれる連帯感というか。
これが私には「ほぇ~」と思ってしまうくらいあまりにもあっさりとさりげない思いやりの根付き方。
日本ではみんながちょっと勇気のいる事だったり、タイミングがうまくつかめなくて、その場全体にちょっと躊躇感がどうしても発生してしまったり。
「助け合い」があの大都市ニューヨークにはまだまだ残っている事を体感。
それがとてもホッとするんですよね。
うわっ、話がそれてきた・・・
要は、全ての条件が揃った上でのミラクルだったと言いたかったのでした。
チャンチャン。