産みの苦しみ&理解してもらう難しさ
なぜ、元祖 海老ラーメンを考案した野本さんが好きなのか? これを読んで欲しい。初めて考えた海老ラーメンには、野本さんの人生そのものだと思う。
・・・元祖海老そば物語・・・
元祖海老そば札幌らーめん
「縁や」 店主 野本栄二
札幌ススキノラフィラ地下二階奥
何故縁やが「元祖海老そば」になったのか、その理由と歩みをここで説明させて頂きます。
すべての始まりは、今から16年前の1998年の秋、早朝に徒歩で店に向かう途中に、電信柱の脇に捨てられた、一冊の本を拾ったことから始まった。
当時発行されてからすでに10数年が経っていたその本の内容は、日本全国のインスタントラーメンのカタログ本だった。
店に持ち込み本を読みながら仕込みをしていると、丁度中程にフルカラーで、落語家であり、ラーメン店のオーナーでもある、林家木久扇(当時は林家木久蔵さん)さんの対談エッセイが載っていた。
内容は木久扇さんがファンの方達と中国へラーメンツアーに行った時の感想が書いてあった。
木久扇さん的には、どのラーメンを食べても口に合わず、日本のラーメンとは全く違ったものに感じたようで、ただし麺については多種多様で面白く、特にピンク色をした、ほんのり海老の香りがする麺がとても気に入ったと書いてあった。
この時、頭の中でパチッと音がした。電気が流れ、電球に明かりが灯ったように目の前が明るくなった。「これだ!!」
素人同然で始めたラーメン屋も1年半が経ち、中身と言えば細々と生活していくのがやっとで、借金も増えていく一方。そろそろ店をたたもうかと思っていた矢先の出会いだった。
イメージだけを頼りに、乾いた桜エビをフライパンで軽く炒り、香りを高めてからミキサーで粉末にし、製麺業者に渡して加工してもらう。
海老の量が少ないと茹でた時に味も香りも残らない。かといって海老の量を増やすとつなぎが弱く麺がブツブツに切れてしまう。何度試した事だろう、全くイメージ通りにいかないのである。製麺のノウハウもない自分には、無理だときっぱり諦めた。
海老の香りのする麺を諦めてどれくらい経っただろう。さほど時間が経っていない時、一度だけお会いしたことがあった、当時新横浜ラーメン博物館の広告を担当されていた故・武内伸さんから一通のハガキが届いた。
内容は「今度新横浜ラーメン博物館の5周年記念で全国規模のラーメンコンクールを開催します。」との事だった。ダメ元で応募しようと決めた時、パッとひらめいたのが一度諦めていたはずの、あのエビだった。ただ麺にエビを入れることはしっかり諦めていたので、今度はスープにエビを使ってやろうとひらめいたのです。
イメージは、幼少のころから母親が作ってくれた大好物のエビの味噌汁だった。甘エビの刺身が食卓に並ぶ時、決まって出してくれたのが甘エビの頭で出汁をとったみそ汁で、この味噌汁が出てきた日は、とてもうれしくてたくさんおかわりしていた記憶があった。
エビ・フレーズでコンクールに出品しようと決めた時、ひとつ気になった事があった。
ラーメンコンクールのコンセプトに、「今までにない斬新なラーメンの出品を望む」との文言があったのです。当時、東京新宿で、さんまの煮干を使って人気を博していた麺屋武蔵の山田さんが考案したラーメンで、海老の油を浮かべるラーメンが、メディアを通して話題を呼んでいたのです。
どうしても気になった私は新横浜ラーメン博物館に電話をして、武内さんに相談しました。「今回ご案内頂いたコンクールに出場しようと思っているのですが、コンセプトがエビなんです。現在麺屋武蔵さんで展開しているエビ油を浮かべているラーメンと被りませんか?」と。
武内さんの答えはこうでした。「野本さんのラーメンはエビを出汁に使うんでしょ?だったらコンセプトとしては被らないので大丈夫ですよ。」との答えを頂きました。
それから毎日のようにエビを使ったスープの思考錯誤が始まりました。
スーパーで刺身用の甘エビを買ってきては、身と頭をバラしてラーメンスープで炊く。どれくらいのスープにどれくらいのエビの頭が必要なのか?炊きだす時間はどれくらいか?ノート片手にペンをとりながら、毎日同じような作業が続きます。
見本は、母親の作ってくれた味噌汁だったので、生の状態から炊いていました。ただ、エビの味と風味を一杯のラーメンの主役にするには、大量のエビ頭が必要な事を、時間が経つにつれ、海老特有のアンモニア臭が邪魔をして、納得のいくスープがなかなか出来ません。
参加申込書の提出期限も迫り、焦りといら立ちで煮詰まっていた時、たまに行く近所の居酒屋マスターに「エビ出汁ラーメンを作ろうと思ってるんだけど、うまくいかなくてね」と愚痴ると、とても親身になって下さり、「和食の世界ではエビの出汁を取る時、高温にしたオーブンで一度カリッと焼くんだよ、それから、さらしに包んでゆっくり炊きだすんだよ。」って。
「わかりました!やってみます!」と告げると、翌日から家のオーブンレンジを店に持ち込み、言われた通りにオーブンの余熱をしっかりあげて、表面がカリッとするタイミングでエビを焼き上げました。するとエビ特有の香ばしくて、食欲をそそる良い香りがしました。
イメージしていた味と香りは「これだ!!」と。
1999年春「海老そば」誕生の瞬間でした。
ラーメン博物館から送られてきた申込書では行数が足らず、作品に対する熱い思いと細かく書いたレシピをたくさん別紙に認めた熱意が通じたのか、無事、書類選考も通り、面接と緊張の実食審査も通り、344人いたエントリーの中から最期の3人で行われる最終決戦まで残っていました。
結果は2ポイント差で準優勝と振るわなかったものの、個人的には感無量でした。
コンクールの模様が全国版のテレビで放送され、それからは多い時には、月に6回もTVに出演させてもらい、カウンター10席程の店には連日のように全国からお客様が来店して下さり、最初の頃は「これは新しいね!」「旨いよ!」などうれしい言葉をかけて頂いた一方、「こんなのラーメンじゃねえよ!」「札幌でストレート麺なんか出すんじゃねえよ!」など苦言もたくさん言われましたし、一口すすってほとんど残して帰られるお客様がいたりと悲しい思いもたくさんしました。
世の中には今までになかった新しいものを出すという事は大変なことなんだなと痛感しましたし、当時、「海老の頭」などという商品が、世の中に流通していなかったので、まとまった数を揃えるのに大変苦労しました。
ただ、応援して下さるお客様の方が多く、「この海老スープで味噌作ってくれよ」「この海老スープで塩味も食べたいな」など、海老そばを提供してから半年もしない内に、味噌、塩、醤油と海老そばの味のバリエーションも増えていき。2001年頃からは全国の百貨店で催される北海道物産展にも招かれるようになり、ほんの一部ですが少しずつ全国にファンの方も増えていきました。
2005年ぐらいからはうれしい事に全国でもあちこちでエビの出汁を使ったラーメン店も出て来て、その地域性や特徴のある海老そばが世に出てきました。
発売当初、いつも大変お世話になっている方から、海老そばの商標を取った方が良いのでは?とのご指導も受けましたが、タイミング良く、あるTV番組で、北海道中山峠で有名な「あげいも」を考案された方がTVの中で「たくさんの人に食べて欲しかったから、特許や商標をあえて取らなかったんだ」と語っておられました。
私も深く感銘を受け「俺もこれでいこう!」と思い現在に至っております。
かくいう私自身も、札幌「味の三平」の大宮守人さんが考案した「味噌らーめん」を出しておりますし、東京浅草の来々軒さんが世に出した「醤油らーめん」も出しております。偉大な先人の方達を心から尊敬して、あえて商標権や特許も取得しませんでした。
これからも個々に特徴のある海老出汁ラーメンが、全国に波紋のように広がり、全国のラーメンファンの心に熱い感動を提供できたら、これが私にとって、大きな幸せでもあります。
色々書きましたが、最後までお付き合いいただき本当にありがとうございます。
また、改めて縁やの海老そばを愛して下さるお客様と、海老そばを世に出すにあたりご指導下さった方々、また海老そばを世に出すきっかけを下さった、元新横浜ラーメン博物館広報担当の故・武内伸様に心より感謝申し上げます。
ありがとうございます、感謝。
2014年11月吉日