新プロジェクトは、
札幌パルコ横の落ち着いたレンガ造りの一階だ。

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夢を諦めない。
スタッフを大事にする。
いつも前を向いて北海道を引っ張ってゆく


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美容のあるべき姿を追求する事を使命とし、

たゆまないトレーニング、細部にわたる気配り。

美容に携わって36年。

これからも笑を忘れず

着実に進んで行きたいという

志しを持ち続けたい。

一つ仕事を頼まれて、
ちゃんとこなすがそれだけだ終わる人 
二回目の頼まれごとが来ない人

それをきっかけにどんどん仕事が増えていく人。

どんなことでもそうですが、
つながりから広がっていくものです。


最初は 
ほんの 小さな 「コト」 からの
スタートしかありません。

その小さな思いや行動が 

他の人の心にスイッチを押し、 それを見た別の人へ。

その別な人がまた別の人へと・・


点と点がつながって線になり・・・
線と線がつながり・・・
人はつながりの中で生きている。

こんな風に…

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    だから楽しい

熱意を込めて・・・じゅん先生

「今は過去 過去は未来」


今を表現しようとすると

どうしてもう一つ気がかりなことが

おきてくるのを知ってるだろうか?



今を表現しようとしても

表現した瞬間から

過去のものになっていることをご存知か?(爆)



だから常に過去を作っていることになる!



新しいものを見た。 しかしその瞬間からもう


少し前のものになる!

少し前・・・・・・

1分前でも10年前でも過去は過去だ!





過去は繰り返される・・・


だから 過去は未来になる。





じゅん先生




この世は 約束からできている
すべてのものが 約束の中にあり
約束は すべてのものの中にある

揺れる 歌う 踊る 祈る
跳ねる 描く 回る 思う

約束とつながっていく方法は
いつも私の中にある

揺れて踊って 飛んで思って
心の目と 心の耳が 開いていく
そして 本当のことを知る

さぁ明日へ歩き出そう
大切なことは 
心の目と心の耳を澄ますこと

そして 自分を信じること 

うれしいことも 悲しいことも
きれいなことも 汚れたことも
増えることも  減ることも
  
その約束の現れだけど
現れているすべてのことが
いつかのいい日のためにある

 (山元加津子さん、最高ですね!)

父が大嫌いな人たちへ捧ぐ・・・苦笑


「父 川根貞雄」 
今から15年前68歳で人生を終える


それはそれは
家族からは「おとうさん大往生だったね」と言われるほど
誰にも迷惑をかけずにひっそりと病院で息を引き取った。  



 真夜中の1時半・・・
気分良く お風呂で読書を2時間ばかししていた頃
自宅の茶の間の電話が鳴る・・「ジリリリ~~ン」
こんな時間に嫌な電話だなぁ~~~。


間違い電話ならまだ良いが・・・・
しかし なぜか不吉な予感が入った


嫌な電話だなぁ~~~とその思いをつのらせると
「お父さんが・・・」 まさか・・・・


入院はしていたがまさか亡くなるとは・・・・



何をしていいかわからず、お風呂で
そのまま、また本を読み続ける・・・
(人間急な思いもよらず事態が起きたときは

一瞬何をしていいか、わからなくなるとはこのことだ)



おそらく10分は本を開いたまま
うつろっていたに違いないはず。


簡単に喪服を持って真夜中に札幌から室蘭へ車を急がす。

今から15年前のことだ。




なぜか 悲しくなかったのを覚えてる。
やっと死んでくれたか・・・という気持ちで一杯だった。



いつも家族で話していたこと。
「お父さん早く死ねばいいね」
「事故では相手に迷惑をかけるから
 急死で死んでくれればいい」

そんな父の死を望んでいた家族だった・・・
今考えれば、ひどいと思う。



思えば僕が 恐怖で言葉がでなくなったことも
姉が大人になるまで「おねしょ」をしてたことも
すべて 父の淫乱・・・もとい  酒乱のせいだ。



山口県で過ごしていたが
あまりのお酒で回りに迷惑をかけるからと
母が兄を頼って北海道・登別に来たのは
僕が小学の6年生の時だった・・・・・


 見知らぬ土地で父はお酒もやめ
ちゃんと仕事をしてくれるだろう
という母の願いも空しく
父は誰もしかってくれない登別で
ますますお酒を飲むようになる



母が言うには
「お父さんは結婚生活の3分の一は入院してるね」

体が黄色くなり、顔が腫れて
何度も死に掛けては生き返していた。
いわゆるお酒の飲みすぎによる肝硬変だ!


病院の先生から
「生きてるなんて信じられない
 もし死んだら解剖させていただけませんか?」
死ななかったのが不思議だったようである


退院して お酒を飲まないのはほんの1週間
また朝からお酒を飲み続け仕事にもいかない
母を殴る蹴る 包丁を振り回す。


子供だった僕達は必死で止める。

真夜中に何度、母から手を握られ
外へ飛び出していったかわからない


そのたびに「じゅんぼ どこに行こう・・」
髪を振り乱し青アザをつくり
母と一緒に泣きながら あてもなく歩き続けるのを
一緒に黙ってついていった・・・幼い頃・・・




以前5日間断食をした。
九州の阿蘇山にある僕の師匠の元だ


北川八郎先生
半農半陶生活を送る仙人みたいな人だ
北川先生は、陶芸が本職だからと
著書や講演会のギャラはすべて寄付をしている。  
 詳しくは コミュニティ「北川 八郎先生」
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3240990  



断食の3日目くらいだったろうか 先生は言う
「じゅんちゃん今日はお父さんのことを考えるとええよ」



朝に散歩をして 露天風呂に入り
写経をして(ほとんどしなかったが・・アセアセ)



一日中父のことを考えていた・・・
考えてもお酒を飲んで暴れることしか出てこない
「考えてどうなるんだろう・・・・
 思い出したくもないのに・・・」

しかし師匠の言われたことは絶対だ
僕はずっと父のことを考えていた



幼少の頃、
酔った父の乗る自転車の後ろにしがみついて・・
こまでしか覚えてないはずが・・・

気づくと病院で頭を包帯でぐるぐる巻いて
入院してる僕がいた・・・
それは 小学に上がる前に写真が残っていたのを
思い出した・・・


その写真でも父は酔って目がうつろだ。

小学の頃に 自分がうまく話せないことに気づく
いわゆる「どもる」症状だ。
酔って見境のない大きな父の声
母を大声で殴る父
恐怖でおののく姉と僕・・・・


あぁ~~~こうやって書いていても
また心臓がドキドキする


中学、高校・・・父が嫌いだった
と同時に母が可哀想だった

なんで母さんは文句も言わず
ただ黙って殴られてるんだろう!
もっと強くなればいいのに。


 僕が強い女性を好きになるのは
そういった弱いかわいそうな女性は
母の面影を見るような気がするからだ



美容学校・・・・
そして自分で独立してから・・・

書くときりがない


最悪なのは 営業中にお店にやってきて
「じゅんお金あるか・・・」
とお客さんがたくさんいるのに
酔った顔をしてお店に出入りする父がいた


それでも母を心配させたくないから
僕はそのことを母に言ったことがない



そういえば 幼稚園のとき
お年玉や親戚からもらった小銭を
ブタちゃんの貯金箱に入れていて
貯まって貯金箱が重くなるのを
楽しみにしていた頃
学校から帰ってきたら貯金箱がない


探すと台所に転がっていた
母に聞いたら知らないという


子供の楽しみにしていた貯金箱の小銭まで
お酒代へと消えていく・・・・
 でもそんなことも 誰にもいえないし
父が酒を飲んでいるということも
母には言えない



だから父のことを思い出しても
悪いことしかないんだ


でも北川先生は一日中お父さんのことを考えなさいと言う


夕暮れに差し掛かる頃
なんだか悲しくなって泣けてきた


父が死んで思い出しても
何一つ可愛がってもらったことがない


「だいっきらいだ」
その気持ちが夕暮れと共に
やがて・・・・ 温かい気持ちに変わる時がきた



あれっ・・・・
小学6年のとき
野球部で試合があるからと
スパイクを用意しておくようにと
野球部の先生から言われたことを思い出す



僕はお金に困る母に スパイクを買ってとか
そんなことは言えなかった
いくらなのか見当もつかない

だからずっと黙っていた
スパイクがなければ試合に出れないのか?
運動靴でもいいんじゃないか?
母には言えない が、試合は迫る

仲間は試合が近づくにつれ
スパイクを履く選手が多くなっていく

僕は・・・・・・・・
とうとう試合の二日前、こっそり母に言う
母は僕が一番いって欲しくない言葉を言う

「お父さんに聞いてみるね」
なんで なんでお父さんに聞くんだ!
お母さんだけの胸に留めて
こっそりスパイク買ってよ!
父に言ったらだめだ・・・・買ってもらえない
僕のお小遣いまで黙って獲っていく父だ


あきらめていた
スパイクのないまま試合に出る覚悟でいた
その頃の僕にとって、みんなスパイクはいてるのに
僕だけ運動靴は恥ずかしかった

あきらめていた



夜ご飯を食べようと思っていたとき、父が
「じゅん、ちょっと行くぞ」


どこへ行くかわからなかった・・・・
登別から汽車に乗り隣町の幌別に
着いた先はスポーツ店
「お前の足何センチだ」
「ぼ、ぼ、ぼく24センチかな・・・・」
忘れていたはずの父からのプレゼント

こんなことがあったなんて思いもしなかった

汽車に揺られ 一言も会話もないまま
「どこへいくんだろう」と
不安がってた小さな頃の僕がいた・・・



しかもこんなとこまで思い出した

スパイクの紐を結んだときの
「asics」と言う文字・・・
なぜ・・・
なぜそんなことまで思い出すんだろう



一日中父のことを考えて
アレだけ嫌いだったのに
優しくされたことなんて一度もなかったはずなのに


それからと言うもの
あれよあれよと出てくる

そういえばキャッチボールもしたよ
高校の頃マージャンもしたよ
父は友達に国士無双を振ったよ

たくさんたくさん可愛がられたよ・・・
すみません  もう書けなくなった

これを内観と言う

断食日記です
http://plaza.rakuten.co.jp/cutcutjun/diary/200607030000/
亡き父に お水を上げようっと・・
最後に言おう 「お父さん ありがとね」


追伸
人生でもっとも大切なこと! 
それは 「人生の師匠を持つことです!」

******************************

でこさんの「父の桜」です(動画版)
泣きますよ
http://www.gctv.ne.jp/~gca13446/dekosakura.swf
日記版 「春に思う」
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=112362307&owner_id=2834173&org_id=115842664
父は生きていました
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=120148137&owner_id=2834173  

桜の季節が近づくと。でこさんの日記をたまに見ます

父に感謝を込めて・・・川根順史

「NO OR YES」  人に始まり、 人に終わる


なぜ 好きなのか?嫌いなのか?

すべてには理由がある。

 人に影響を与えたり、提案する立場の人は、
それをはっきりさせ、突き詰めていく姿勢を持つべきだ。
そうすれば、何をどう充電したらいいかも、
おのずとわかるようになる

  「人に始まり、 人に終わる」
人間が多いほど、種類が多彩なほど、都市の想像力は増す
人と人の出会いから、生じるエネルギーは面白く、偉大だ!


だからこそ 我々は、人を求め都市をめざし、
エネルギーを充電する

例えば、ある美容師「A」は 撮影後
「結局 自分は、何が好きで何が嫌いなのか
 さえわかっていなかった・・・」 と・・・

その「A」は20代後半
たぶんこれまで、溢れるような情報の中から
新しさや、好みを感じて直感で選びヘアに表してきただろう

しかし好き嫌いにはすべて理由がある。
人に影響を与えたり、提案する立場の人は常に
理由をはっきりさせる習慣をつけたい

それがコミュニケーション能力を高め
直感を磨く事にも役立つ。

 そういえば 「N/Y」 と書いて    
 「NO OR YES」  と読む

確かにニューヨークはNO OR YESの街だ。
そして NOをはっきりさせるには
自分をしっかり持っていなければいけない

でなければ、 ちょっと強い個性に出会ったでけで
たちまち影響され、自分を見失ってしまうだろう。
まさに「A」のように・・・。

 だが 大丈夫

今後「A」は、なぜ好きなのかを自問自答することから
始めるといい

どこが好きなのか、それはなぜか。 そうやって
自分の好きなものの輪郭をつくっていけば
何が表現したいのかも、おのずとはっきりしてくる。

つまり

見失った自分を再構築することができるだろう。
それもまた 人に始まり人に終わる、充電のひとつ。
人との出会いを通し、学べることには 際限がない


(KAWANE-WORKS NOTEより)


熱意を込めて・・・じゅん先生

昨年、まだまだ少女だった

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川根塾のヒカリは昨日
美容学校を卒業しました。

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応援ありがとうございます。

これからヒカリは東京の方で頑張ります。
練習を人一倍してた頑張り屋。
これからも、輝く未来に向かって
頑張ってください、

そして、川根塾の皆さん
卒業おめでとうございます。

皆さんに質問。「卒業」
さて本日14日(水)は

川根塾のビューティアート美容専門学校の卒業式&謝恩会。


美容学生がまた社会へ旅立っていきます。


昨年11月まで毎週登場し
Facebookのオジサマのアイドルだった
川根塾の「ヒカリ」も卒業です(笑)

オジサマも応援してあげてください(爆)



札幌じゅん先生のPMAでいこう~!


がんばれ~美容師の卵達。


謝恩会では飲むけど(笑)途中で抜け出して
ラジオ「じゅん先生のPMAでいこう」だ。
忙しい一日になりそうだ。


ラジオテーマは「卒業」

皆さんは卒業という思い出は何がありますか?

教えて下さい。  ラジオで紹介します(笑)


「じゅん先生のPMAでいこう」
水曜21時~22時。ラジオは札幌FM83.0
インターネット  http://www.830.fm/  
動画ユースト  http://www.ustream.tv/recorded/18518725

お楽しみにね。
じゅん先生こと川根順史

ザ、メン。91年作品。
22世紀の恋人

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戦闘機の写真を見ていたら
ノーズアートといって 前のほうに絵がかいてある
ガールフレンドとかセクシーな女とか・・・
「戦争で男が命を賭けるって時に
 どうしても描きたいものがこの程度なのか・・・」


笑えるよね?・・・・

しかし 男は皆 女のために生きてる・・・
これ・・戦争だから、戦いだから・・
 女がいないと・・・・ 

「その絵を革ジャンの背中につけたら可愛いと思って・・・・
男は女を背負って生きる・・・・なんてね」by 山本耀司さん


こんなコンセプトを「ば~~~ん」と
 言われたもんにゃ

「その革ジャン下さい!」 って言いたくなりませんか?

(ちなみにその革ジャンは生産数が少なく

プレミアムで最高200万までになった)


   これです(笑)
だから値段じゃなく 、その服作りにおける
男心をくすぐるコンセプトに
僕はノックダウン!!!!!!!

服に対するこだわり
人生に対するこだわり
男であるべきこだわり
それはYohji Yamamotoから学んだような気がする


湾岸戦争の頃、フランスの空軍のノーズアートと云って、

戦闘機の鼻に女性のヌードや好きな女優の絵が

描いたあったのを見て、


男は女を背負って生きる‼
という気持ちで、革ジャンにヌードを‼


イキだね。男だね。

そして、23世紀の恋人

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白い革ジャン。

見事な作品ですね。

大事にします。
ヨウジヤマモトのジーンズ10本。

ここまでくりゃ、オタクだ(笑)

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デザインが全て違うから、いっか?

その中でもこれ。

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受注生産。友禅染めジーンズ。
21万円の価格に迷ったが、
リーバイスのビンテージが百万単位ならば、

友禅染めなんてありえないとその価値がわかり

一生履こうと購入。

頼んだはいいけど、二ヶ月くらい?過ぎたあとに到着。

頼んだことさえ忘れてた(爆笑)記憶が。

一生ものの商品である。

 新しい普通のジーンズを毎年買い替えてもなんら意味がない。

誰もが履くジーンズだからこそ、

特別なものを、存在感のあるものを。

20年履けば元が取れるわけ(爆)

いつも

「すごいジーンズですね。どこのですか?」 と必ず言われます。
思惑どおりでした。

安いからと買わない。気に入らなければ買わない。

そして、瞬間的に、これがいい‼
と全身から呼びかけてくる。
好きじゃない物をお手頃だからと言って買っても、

何の意味がありませんから(笑)


言わせてもらえるなら
クリエイトする、表現するということに
妥協することは、普通でいなさいと云うようなもので
僕には我慢が出来ません。

美意識を勉強して、
例えば100個の中から指輪を選びなさい。

と言われても、一瞬で決めれる、

選択の迷いもなく、

服、生き方もじゅん先生に、追いつきました(笑)

東京ヨウジヤマモトで企画、岡山でジーンズを生産、

京都で友禅染め、

最後にウォッシュ専門店スポデットホースで仕上げる。

何ヶ所も巡りとても手の込んだジーンズ。


大事に履いていたのは最初だけ…

もっと大事にしようっと…