気仙沼到着です
一ノ関から千厩を通り気仙沼駅を通過
いよいよ
被災の状況が見えてきましたので
ここからは私のように気仙沼出身者の方でも
わかるようにアップしていきますので
記憶をたどっていただきご覧いただきたいと思います
※仕事の関係等で、まだ気仙沼に戻れていない方々に是非みていただきたい
それでは・・・
この画像は大友病院前のT字路の交差点を左折したところです
つまり、気仙沼市役所の通りです
※この先は気仙沼湾です
ただいま、東浜街道通過中です
大友病院前を通過し気仙沼局を通過ポイントです
すでに惨劇の爪あとがいたるところに出始めました
画像の車両も完全につかってしまったようです
↑気仙沼商工会議所付近の画像です
↑森田病院のカーブ曲がり中の画像です(八日町)
最悪な光景が広がります
すでに地元民の私には言葉は出ません・・・
↑その先のY字路交差点までの状況です
いよいよY字路に入りました
左に曲がれば・・唐桑方面へ まっすぐ行けば南気仙沼に抜ける道です
ちなみに・・この風景の先はどちらに行っても気仙沼湾です
我々はとりあえず左折し気仙沼女子高を目指します
↑大藤屋通過ポイント
津波かなりの高さだったと思います
↑気仙沼女子高です(通称かまぼこ)が見えますが
あたりすべて流されてます
大鍋屋本館も無くなってます
本館前通過中
道が狭く車一台分の狭さです
↑さらに進んでます・・魚町周辺です
↑26号線から5号線にぬけるところの5号線の様子
画像右側気仙沼湾です
↑左にターンした画像奥に見えるのは
おなじみエースポート(大島定期船船着場)
建物の上までつかってるようです
↑この先水たまりが走路一面
わけがわかりませんが・・・とにかく悲しいです
↑もと元水位は高いほうですが・・
それにしても
異常な水位になってるのがわかると思います
ちなみに朝6時の画像です
↑魚町2丁目付近なはずです
↑同じく魚町2丁目です
↑同じく
↑くるまやラーメンの通りはいけないらしいです
↑南町2丁目と3丁目の間の道路です
↑きたぎん前です・・・まじ危ないので戻ります
↑とにかくパノラマで見せたいくらいの状況が広がってます
↑プラザ前に行くのを断念し東浜街道26号線を化粧坂に向かいます
↑「がんばろう気仙沼」って書いてます
↑化粧坂を下り大川付近の画像でCOCOコンビニを
四反田方面に右折、この先には医師会館や青果市場があり
その青果市場が各避難所に届けられる物資の発着場です
ドテの周りを見て判るようにかなり危なかった地域です
ちなみに嫁の実家がこの数百メートルってとこにあります
では・・・田谷周辺からジャスコ気仙沼を目指しすすみます
ここからの通りは私の知り合いが多く住んでました
誰もが・・・津波の心配考えるポイントではありません
知人は長靴程度だと思っていたようですが・・・・
↑ご覧の有様です
ちなみに気仙沼湾はここからかなり遠いです
↑ここの交差点コナカの昔はスーパーとうちゃんってのありました
まさかの状態です、交差点左折すれば気仙沼湾方面、
右折すれば田中通りのあの場所です
ちなみに言いたくありませんが左側の南郷は壊滅です
信じられません
↑トヨタです・・・言葉がありません
↑気仙沼警察署の看板が見えますが・・・全滅です
ちなみに・・・知人宅ありません・・・
↑通りの右側の画像です
右側の先には田中通り方面ですが・・・ありえませんが
壊滅してます
この先に条南中があります
道路と言う道路は悲しくも水路となってしまい
町中を襲ったとみられます
↑こちらの日産も古くからありましたが・・
まさかこうなるなんて・・・悲しすぎます
↑日産の先にはあらたに「ココス」や「すき屋」が出来て
ましたが・・ご覧の有様です
↑この先の左側・・・俺の思い出の場所
「まんぷく亭きらら」さんがありました・・・
焼肉定食・・・・また食べたかった・・・・
↑気仙沼ジャスコ最悪な状況です
この画像の土が上がった場所はすべて駐車場でした
気仙沼の大型スーパーはここだけなので
土日などはかなりのお客様の車があった光景が・・・まさかです
となりには「旧こなか」があり高校時代バイトしていました・・
無論壊滅してます
この画像でおわかりのようにドテになっててダマリが出来てました
ここの周辺はすでに私の住んでいた
松岩地区になります
言葉がありません・・・
そして・・我々は旧道を走り実家に向かいます
旧道の様子に変化もなく・・安心しました
↑実家です
ジャスコ地点から山の方に向かった先にあるため・・
実家は無事です
今まで・・・めんどうだった坂道・・・
今は有難い坂道だったってことに気づかされました
いたる所で「生死の別れ道」と感じざるおえない状況でした
ってことで・・・
無事・・・現在7時実家に到着
母ちゃんがさっそく仕分け作業してます
車やJUNさんも降ろし方始まりました
田中さん本当に有難うございます
ブルーシートの中にも救援物資が大量です
感謝感謝です
ここから
仕分けですが・・・非難所へ持って行く分と
自宅での非難されている方用とをわけ
まずは・・・
避難所の物資窓口
松岩の防災センターに向かいます
防災センターにつきました
この方たちは
なんと市役所の方々です
本当に遠くから有難うと言ってくださいました
より・・・泣けてきます
敷地には沢山のパトカーや救急車があり
奈良ナンバーやらの遠い救急車もありました
この場所では
我々は何処に届ければ行き渡らない場所に届けられるか
聞きました
その結果・・・先ほど行った青果市場に向かってほしいとの
お話を頂戴し・・・
青果市場に向け再出発
青果市場到着
沢山の物資車両が物資を下ろす順番待ちの状態でした
ここから各避難所に向けての仕分けをしているそうです
ここから送られるのは三陸すべての避難所に行くようです
それにしては・・・やはり物資が少ないような気がします
なぜなら・・・避難所だけでも99箇所あります
多い避難所は1300人!!間に合っているとは到底
思えません・・・
この用紙を拡大して是非見てほしいのですが・・
ようく見てください
「スーパーハウス」って書かれた避難所もあることが判明
大丈夫なのだろうか?
待っている間遭遇した若者達です
どうやら気仙沼の子のようですが・・・
何をしているのだろうと思っていたら
なんと・・・自分達にもなにか出来ないかとボランティアの
受付に来られたそうです!
こんな災害を目の当たりにしてボランティアする姿勢に
感動です!!
若者達すごいパワー持ってます!
気仙沼を頼む!!
そして・・・いよいよ我々は
手前・・・当店のお客様痛車マーチ乗りの木村さんです
是非俺もお手伝いしたいと言ってくださいました・・・涙
ありがとう・・・
そして・・・右 車やJUNさんの事務の方まで・・・ありがとうございます
そして・・・車やJUNさんの田中さんです・・・
イースセミナー後まさかこのようなことになるなんて・・・・
そして・・・この間にも
物資は次々と運ばれてきてます
最近は民間の方も多いようで・・・心あたたまりますと
おっしゃってました
が・・・
今の問題は?と尋ねたところ・・・
非難所生活にはおかげさまで安定した物資体制が確立されつつ
ありますが・・自宅非難されている方までの分はなく
どのように分配して行くか・・・今の課題です・・・とご回答
いただきました
やはり、自宅非難の方も困っているのは間違いないようです
自衛隊の方々本当にご苦労さまです
このトラックも物資で
富山県からの物資のようです
そして・・・われわれようやく物資の一部を届けました~
沢山の方に届きますように・・・・
協力いただきました
イースコーポレーション様
シュテール様
車やJUN様
そして当店のお客様たち
また、そのお店の声がけにご協力いただきました皆さん
本当に本当に有難うございました
そして・・・我々は2便を実行するため
実家にもどります・・・
戻る途中の経路は
田中通りからの経路を通り
情報をお送りしたいと思います
しばしお待ちください
今回のことで感じたこと
それは・・・現地に行ってみないとわかりようないってことです
テレビでは絶対伝わらない状況です
言葉が出ません
ちなみに異臭すごいです
正直見て周っている最中具合悪くなりましたそんな中
気仙沼は復興に向け希望を持ち
一日一日過ごしていらっしゃいます
是非気仙沼出身者の方
地元民だけがなせる物資の渡し方もあると思います
そして・・・是非被災の状況を我々気仙沼を愛する地元民として
物資を届けながら目に焼きつけ、今後も自分に何が出来るか
真剣に考え
その考えを行動に移していきましょう!
かならず・・思いは現地に届きます
私の母が気仙沼
実は父は唐桑なので
わたしの知人は気仙沼から岩手の陸前高田まで幅広くあり
正直私も、まだまだ実際お会いするまでは心配が続きますが
出来る限りの自分が出来ることをしていこうと思います
このブログでの写真の掲載の仕方も自分が出来ることかと
思っております
気仙沼の被災の状況を出来るだけ多くの人に
伝えて行きたいと思っております
長くなってしまったので・・・この辺で
つづきは必ずアップしていきますが・・・
この被災は残念ながら気仙沼の一部に過ぎません
では・・・また





























































