若い方はご存じないでしょうが、80年代の初め、元長野県知事の田中康夫氏が書いた「何となくクリスタル」という小説がベストセラーになり、それにあやかって同名の歌が結構ヒットしました。
この歌を歌ったのが東京キッドブラザースという劇団にいた柴田恭平氏で、ツアーも行われ、集中的にプロモーションが行われました。
このツアーの中京地区を受け持ったのが件のプロモーターで、我々バイト学生はコンサートの仕込みと警備はもちろん、ビラ配り・ポスター貼りまでやりました。
ちなみに大垣ではコンサートが無かったため、なんとフィルムコンサートをやったんですよ。コンサートのフィルムを上映しているスクリーンの前で、ファンの女の子(やはり中・高校生でした)が熱狂している様は滑稽でもあり、微笑ましくもあり。
このときのツアーで、名古屋と岐阜のコンサートのバイトをやりましたが、自宅の近くということでご指名があり、名鉄の新岐阜駅前のビラ配りと岐阜駅周辺および大垣駅前周辺のポスター貼りを頼まれました。しかも、
たった一人でやれと。
今では駅前で消費者金融・美容院・居酒屋などなど、何人もティッシュやチラシを配っている光景を目にしますが、当時は岐阜駅前でチラシ配りなどあまりなく、当然のことながらチラシなんぞ配っているのは
私だけであります。
心細いのはそのうち慣れますが、困ったのはなかなか受け取ってくれないことです。
ビラ配りのアルバイトは時間ではなく、
配り終えたときが終了です。
だんだん情けなくなってきます。喜んで受け取ってくれたのは
フィリピンの女の子だけでした。