ペルー、その5 | 畑とポストカードと旅と

ペルー、その5

ペルーに来た楽しみは「マチュピチュ」と「高原列車」だった。


別に鉄道マニアではないのだけど、世界でも最高所と呼ばれる地域を走るのである。

(チベット鉄道(標高5068メートル)が開通するまで最高所はペルーのフリアカ~アレキパ間の標高4468メートル。おっさんの乗るクスコ~プーノ間は標高4319メートルを走る)


クスコのホテルを早めに出発。クスコ駅を朝8時初の列車に乗り込んだ。

今日は1日列車の旅だ。クスコ~プーノ間、211,4キロ、 11時間の旅だ。


( 当時、山賊(ゲリラ)が出るらしく、1両に1人ずつ銃を持った警察が乗っていた。 )


クスコを出発してしばらくは家などがあるが、クスコ市最南端の駅ウルコスを越えると、大きな街は無く淡々と高原を走った。

ただただ何にも無い高原だ。遠くには山脈も見える。


3時間くらい経って、シクアニ駅に着いた。単線なので、対向車とすれ違うために待つのだ。列車の周りに物売りが集まってきた。凄い人だ。

仕舞いに子供たちが乗り込んできたが、車掌に見つかって追い出されていた。



しばらくしてまた列車は走り出した。高原を走り続けるのである。

アルパカの群れを見つける。飼育されているのだ。

気温が段々下がってきた。標高は4000メートルを越えた。富士山の遥か上を列車が走っているのだ。

なんにもない平原を走り続けた。

クスコを出て4時間、列車は駅舎だけの駅「ラ・ラヤ駅」に停車した。

この駅がクスコ~プーノ間で1番の高度所で、標高4319メートルの地点だ。

空気が冷たいし、薄い。

アルパカの大群がいた。何も無い草の生えた平原だった。


( 中国からチベットラサまで行く、チベット鉄道は標高5000メートル走るためか、完全気密された車両だった。乗客用の酸素マスクが設備されていたが、ペルーの高原列車は窓は開くし、酸素ボンベなどなかった。)


また列車は走り出す。駅で何度か停車しては発車を繰り返す。

高度を1190メートルまで下げるが、また標高をどんどん上げて行く。

( 列車の旅はゆっくり高度を上げて行くので、高山病になりにくいように思えた。気分が悪くなった人はいなかった。)


夕方になって、大きな街フリアカ駅に着いた。ここでプーノからの列車を待つのだ。この時間、待つのがもったいないとバスでプーノを目指す外国人ツアーがあった。列車より先にプーノに着くんだとバスが発車した。


列車も発車した。しばらくしたら、バスに追いついた。

列車と並走してバスがひた走る。バスも意地になって走っているのだ


夕方薄暗くなってきた頃チチカカ湖が見えて来た。もうすぐ終点プーノ駅だ。

暗くなってバスを見失ったが、あまり変わらないようだった。

列車も無事にプーノ駅に到着した。

列車の中は歩き回れるし、快適な旅だった。


プーノ駅からバスでホテルに行った。( プーノの街は標高3855メートル。)

チチカカ湖のほとりのホテルに泊まった。


翌日、ホテルの横から船に乗り、トトラと呼ばれる葦(アシ)を積み重ねた浮島「ウロス島」に行った。

入り江から出航したので、チチカカ湖の大きさは良くわからなかったが、だんだん沖にいくと、凄くデカイ湖だとわかった。なんと広さは琵琶湖の12倍。最深部は281メートルだ。しかも、中央付近がボリビアとの国境だ。

標高は3890メートルにあるのが、チチカカ湖。


40分くらいでウロス島に着いた。この浮島に学校も教会もあるのだ。

生活の全てがこの浮島にある。そんなウル族が住んでいる。

おっさんたちは、トトラ船に乗せてもらったり、アシで出来た家を見せてもらったりした。






その後フリアカ空港に行き、国内線でペルーの首都リマに戻って来た。


つづく