ネパール、その4 | 畑とポストカードと旅と

ネパール、その4

AM6時45分

カトマンドゥー行きの乗り合い長距離バスは、ホテルの前の道に止まった。

朝、早いのに友達になった旅人が見送ってくれた。


長距離バスは、兄いわく、「ジャンピングバス」だった。

ちょっと前に、このバスで旅をしていた年配のおばさんが、悪路でバスが跳ねたときに、腰を骨折したニュースを見ていたからだ。

それと、いくつかの峠を越えて、カトマンドゥーに行くので、途中の崖からクルマが川底に転落する事故がたまにあった。

この日もカトマンドゥー手前の峠の谷底にバスが落ちているのを見つけた。


ポカラから、カトマンドゥーまで昼食、休憩をしながら、約8時間だった。

時間は長いが、景色は素晴らしかった。段々畑や、壮大な自然はお尻の痛さやクルマ酔いを忘れさせてくれた。


午後3時にカトマンドゥーに着いた。

ポカラのスルジェで聞いた「フジホテル」に行ったが、満員だったので、近くの「コジーゲストハウス」にチェックインした。

疲れていたので、近くのチベット食堂で夕飯を食べて、早めに寝た。


翌日、「コジーゲストハウス」はちょっと狭かったので、1泊でチェックアウトして、荷物を背負ったまま、歩いてタイ航空の事務所に行って、リコンファームをした。

その後、タクシーで「ボダナ-ド」へ。

「ボダナード」は大きなブッダアイの描かれたテンプルで、その周りをたくさんの「マニ車」があったので、「マニ車」を回しながら1周してきた。凄くネパールのイメージに合う場所だった。

ホテルを探したが、ニューイヤーのお祭りで凄いたくさんの外国人がやって来ていた。隅々まで荷物を背負って歩き回ったがどこも空室のあるホテルはなく、また、ニューロードに戻って来た。

ヘトヘトである。


どこでもいいや、と「ガネッシュゲストハウス」にチェックイン。荷物を置いて、散歩へ出かけた。

クマリの館の前でボーと座り、カトマンドゥーの人達を見て過ごした。

というか、疲れて足がパンパンで、ジッとしていたかった。


「ガネッシュゲストホテル」はなんだか、雰囲気が合わなくて、ここも1泊でチェックアウト。

カトマンドゥーに来てから居場所が決まらなくて、疲れもたまってきてしまったので、こうなったら奮発だと、ポカラの「スルジェ」の4倍の値段1人1泊200ルピーの「ラサホテル」に泊まることにした。  (200ルピーは日本円で320円くらいか。)

今まで、共同トイレ、シャワーだったので部屋にユニットがあるのは、4倍の価値はある。

すぐにシャワーを浴びて、なんだかホッとした。

「ラサホテル」には屋上があって、チベットのタルチョが飾ってあった。旅人の旅の安全を祈る5色の旗だ。

その屋上が、気持ち良くて、朝晩はいつも屋上に上がった。


「ラサホテル」に滞在してから、カトマンドゥー散策が始まったと言っていいだろう。

とにかく歩き回った。


「スワヤンブナート」まで歩いていった。街を抜け、子供たちが遊び、おばさんは洗濯している川を越えて、小高い丘にあった。下からお寺までは何百段と言う階段だ。手すりにつかまりながら、フラフラで登りきる。

そこからは、カトマンドゥーの街が一望出来た。いい眺めだ。

と言ってる、おっさんんと兄の横に猿が座っていた。「スワヤンブナート」はモンキーテンプルといわれているほど、猿がたくさんいた。


帰りにまた歩いていると、結婚式の列に出会った。カトマンドゥーでは2組の結婚式の列に遭遇したが、両方とも、奥さんは日本人と聞いてビックリした。

そういえば、バリ島でもバリ人の人と結婚してお店をやってる日本人の奥さんに会ったなあとか思い出した。

いろいろな、出会いがあるんだなあ。


歩きながら、ブドウを買って食べたり、お店に入ったり、ネパールの人達とコミニケーションが楽しい。

ネパールでは、歩く早さが、自分にいい時間の過ぎる早さだったので、カトマンドゥーが楽しくなってきた。


つづく