うなぎ屋さん | 畑とポストカードと旅と

うなぎ屋さん

たまに通る道だけど、ふと、こんな所にうなぎ屋さんがあったかな?と思ったが、

「あっ、そうだ。」と昔のことを思い出した。


実家は4代続く建築業。大工さんの集まった会社だ。

おじいちゃんが社長だったころ、雑貨屋のおっさんこと自分は3歳だった。


兄弟が多かったし、ワンパクだったのでいつも外を走り回って遊んでいた。

そんな自分は、ある日、玄関から道路に飛び出し、車とぶつかったのだ。交通事故だ。

何十メートルも飛ばされ側溝に落ちたらしい。救急車で病院に運ばれたが意識不明。体は衰弱し、肺の機能が止まったそうで、その場で緊急術。なんとか一命を取り戻し、回復して、今に至るわけだが、


当事、孫が交通事故にあったショックなど、看病疲れでおじいちゃんは亡くなってしまった。




その時、父親は30歳くらいだった。突然会社のトップになり会社を引き継いでいかなくてはいけない状態になったのだ。

小さいときの父親のイメージは、とにかく働いていたということだ。朝から晩まで働き続けてた。

母親も小さい自分を「おんぶひも」で背負って、現場に手伝いに行ってた記憶があるので、家族のみんなが、必死で働いていたように思える。

そんな、感じだったので、家族だけで外食した記憶がないのだ。

職人肌で、朝飯、仕事、昼飯、仕事、夕飯。とテキパキこなしてたし、仕事を残さないように、翌日の段取りがいいように、働いていたので、外食に行くなんてことは、少しも頭に無かったと思う。


外食したのは親戚の家族が誘ってくれた時くらいだったし、自分が結構大きくなるくらいまでなかった。



そんな、環境で育ったのだが、自分が高校を卒業した、ある日、父親が

「うなぎ、食べに行くか。」

と、突然言い出した。

「えっ。」

ちょうど、家には母親と自分しかいなかったので、急いで支度して、父親の運転する車に乗り込んだ。


なんか、照れくさい気持ちでいっぱいになってしまった。

その時3人で来た「うなぎ屋さん」が、ふと見つけた「うなぎ屋さん」だったのだ。


普段から口数少ない父親が、

「美味いか」

と聞いてきて

「うん、美味しい」

と答えたけど、なんか宙にういたような気分だったし、恥ずかしかったので、味はよく憶えていない。


自分も高校を卒業したばかりで思春期だったしなあと、「うなぎ屋さん」を見るたび不思議な気持ちになるのでした。