アメリカのテレビドラマ、
Twilight Zone
(「トゥワイライト・ゾーン」、かな?カタカナ苦手)。
1959年の10月2日から放送開始され、白黒。
1964年の6月まで放送された。

わたしは・・・1990年代に毎日のように見ていた。
テレビで再放送してたから・・・

全156話あるなか、けっこう印象深かったおハナシのひとつが
A Nice Place to Visit

(最初のシーズンの、エピソード28番目。1960年)
わたしの疑問に答えてくれたような、ないようなお話だった。


おハナシの内容は~~~

盗みを稼業とする男、ロッキー・バレンタインが、
得意とする宝石店での盗みを通報され、
警察との撃ち合いとなって命を落とし、
あの世にたどり着く。

そこで出会った謎の人物
・・・白いスーツに実を固めた、体格のいい男性、通称「ピップ」・・・は、
ロッキーのことを「バレンタイン様」と呼び、
ロッキーに要求されるままに現金を渡した上、
高級マンションや車、スーツなど全て用意し、
そしてそれは全て「バレンタイン様、あなたのものです」とロッキーに告げる。

ロッキーの執事でもあるかのようにふるまい、
ロッキーが要求するものを全て用意してくれるピップを疑い、
「こんな俺が天国に来れるはずないだろ!!」と
抵抗していたのも最初のうちだけで、
面白いようになんでも揃えてもらえる生活に慣れていくロッキー。

好みの美女をはべらせる毎日、おいしいお酒、快適な住まい。
いつも勝つギャンブル。思いのままに手に入る大金。
いくらぞんざいに扱っても笑顔で全てをそろえてくれる、ピップ。

ロッキーはそのうち
「もう飽きたよ。なんか刺激のあることしたいな。おいデブ、なんかないか?」と、
ロッキーのために至れり尽くせりのピップにも相変わらず失礼な呼び方をするが、
ピップはそんなことを気にも留めず
「そうでございますね、生前あなた様がお好きだった、強盗などいかがでしょう?」
と提案までしてくれる。

「いいじゃねえか!強盗できるような銀行がここにもあるんだな!?」
「もちろんでございます。警察官は何名ご用意いたしましょうか?
どのようなストーリー展開をご希望で?」
とまで言われ、ロッキーは興ざめする。
「そうじゃねえんだよ、そんなの面白くねえじゃねえか」

「さようでございますか。では、どこかほかの場所を?」
「違うんだ、そういうことじゃなくて・・・」
といった会話を進めていくうちに、ロッキーはとうとうぶちきれる。

「なんだよ、この天国ってとこは!!なんでもかんでも俺の思い通りに揃えやがって!!
それじゃ何にも面白くねえんだよ!!刺激も何もねえじゃねえか!!
もう、俺はいいよ、天国に向いてないんだよ!
だからこっから出してくれよ、地獄にでも何でも行くからさ!!」

とロッキーが言ったとき、
今まで柔和だったピップの表情が変わり
「一体誰がここを天国だって言ったんだよ」
と言い放ち、『悪魔の笑い』でその部屋を満たした・・・。

~~~おわり~~~

(数年前にもどこかのチャンネルでこの話見たけど、
細かい会話は台本どおりではなく、
わたしなりの記憶と日本語訳ってことで)

このエピソードを初めて見たころは、
「あなたの願いを全てかなえる!」とかいう本を
そろえまくって読んでいたころか、その少し前かな?

(ジョセフ・マーフィーたら、なんたら)

よく思い出せないけど、
「永遠に幸せ」なんて、退屈するだけじゃないの?
と時々 疑問に思ってたころに見たと思う。

あれから長い年月たったけど、今でもその答えはないな~~~

私の場合、

赤の他人や、知り合いなどに対して唱える

「ごめんなさい、愛してます」は効果あったりなかったり。


ばっちり効果があった経験もあるので、

この方法そのものに文句があるわけではないのです。

(もし効果なかったとしても、文句などありませんが・・・)


それよりも、逆効果を生み出したことが何度か・・・・。


ある人に対して「ごめんなさい、愛してます」って

心から唱えたら、

実際にその人に対して「ごめんなさい」って

平謝りするはめになる事柄が次々と・・・。


その人は私のとっても大事な人なので、その人と

そういう事態になってしまうと、地獄なんですよね~・・・・。


それで・・・

最近やっとわかったのが、

私は「ごめんなさい」という言葉にわだかまりがある

っていうことなのでした。


『子供の頃、父親と似たような頑固な先生が学校にいた。

誰かが「ごめんなさい」って謝ると、

父親も先生も「鬼の首でも取ったかのように」

さらに怒りを増していた。』これは日常茶飯事でした。


つまり、

悪いことをして「悪かったな・・」と罪悪感を感じて謝罪する、

ってことが「さらに状況を悪くする」

という構造が私の中に深々と出来上がってたわけで・・・・。


だから、心を込めることのない他人には大丈夫でも

すごく身近な人には「ごめんなさい」は使えない。


多分、「引き寄せ」で言うところの「感情レベル」が

良くないものになって、それでその状況を「引き寄せ」て

しまうんだろうな・・・


という自己判断にたどりついた。


ああ~分かって良かった、良かった。


嬉しい感情をこめて

「ありがとう!」って唱えるだけにしてみたら、

今日は「うれしい!ありがとう!」って言える

いいことがあった。


ああ、良かった、良かった。


それにしても・・・「ごめんなさい」って言葉に対して

卑屈な感情を持っていたとは

知らなかったなあ・・・


でも、そういう人って少なからずいるんじゃないのかなあ?

「愛してます」が潜在意識的にはモンダイあり、な人とか、

「お許しください」がどーーーもつっかかる、とか。


実際・・・・

「お許しください」も、なんか「卑屈」な響きがある。

私には、だけど。

覚えてもない過去の出来事のせいなのか・・・

それはまだ解明してないけど。


さらにさらに・・・・

「愛してます」も、なんとなく心地悪かったり・・・

するなあ・・・。いつもじゃないけど・・・。


『方法(メソッド)なんて、どうでもいい』

って108氏が言ってたの、

すごく救いになってる。


頑固に「おかしいなあ、他の人には効果あるのに

なんでだろ。唱え方が足りなかったかなあ?」って

やってたら、ひどいことになってたかも。


この場合、「好転反応」ってのはナシだ!

そこに行き着くまでに、最悪の事態になったら

元も子もない!!!


ということで、ホオポノポノ。

「ありがとう」だけでやっていくしかないんですな、

ゆがんだ子供時代をすごした私のような人間は。


まあいつかそのうち

他の言葉にもわだかまりが

なくなる日が・・・・


くるかも・・・・?

もう何年も前だけど

どこかの誰かがテレビで

「歴代の大統領夫人たちはみんな

寄付などしてきた中、

ケネディ大統領夫人だけが寄付をしなかった」

ということを「えらそうに」批判していた、とな。


聞いただけで頭に血が上る。


誰が批判してたのかは知らない。

人から聞いた話だから。


ケネディ夫人が寄付しなかったのはなぜか、

彼女の状況を考えたら分かりそうなもの・・・

と思うんだけど?


多数のボディガードに取り囲まれて(←ここ重要だと思う)

大勢の人々からの歓声を受けながら

車に乗ってパレード・・・。


そんな中、他の誰にも被害が及ぶことなく

「的確に」自分の夫だけが射殺される・・・・。

しかも、狙いはカンペキだった上に、撃たれたのは一度だけではない。

多数のボディガードに守られていても

撃たれるときは、撃たれるってことね・・・。


そんな目に合ったら、この世の中で「信じれるもの」や

「頼りになるもの」などは、なくなってしまうのではないだろうか?


すぐ横にいる人間の脳みそが吹き飛ぶところを目前にし

しかも、その人間が、自分の夫。


「明日はわが身か・・・」という恐怖に身を包まれたまま生きる日々・・・。

さぞや苦しい思いをなさっただろうと察するくらいしかできないけど。


しかも、その数年後は、夫の弟が同じようなことに・・・。

それは、本当に自分に近すぎて、恐ろしいことだと思う。

そんな状況にいたら、「寄付」なんて二の次、三の次だと思うけど?


自分の身は自分で守る、という言葉さえむなしいじゃないか?

守ってくれる人もいない、

誰がどこから自分を狙っているのかもわからないなんて・・・。


そんなとき、唯一自分を裏切らないのはお金(資産)ではないかと思うが・・・?


(ペットでさえ「盗聴器」がつけられてるかも、とか考えた場合だけど。)


自分は明日、いや、次の瞬間にはもう生きていないかもしれない・・・

という底知れない恐怖がつきまとう状況にいて、

大事な子供たちのことを考えたとき、

せめて残してあげれるのは、「資産」くらいなものではないだろうか。


(「資産」があれば教育も受けれるし)


とはいえ、私のような庶民に彼女の苦しみが分かるはずはない。

想像をはるかに超えた苦悩があったと思われる。


なのに・・・・「寄付」がどうたら・・・?!


どうせ他の人と比べるなら、

似たような状況にあったリンカーン大統領夫人と比べたらどうなんだ!!

誰だ、勝手な批判をしてたのは!!!


・・って、それはもう数年も前の話だってば・・・。


108氏のお言葉を借りれば

「もうその映画は終わったよ」ってとこかな~。


また、108氏のありがた~~いお言葉を読もう・・・。