父に最後に会ったのは、もうそろそろ10年も前のことになります。

父は、生まれた場所と時代の「犠牲者」だったなあと、つくづく思います。
家庭的で、外での付き合いよりも、家族と一緒にいることの方が好きだった父ですが、
「あの時代」と「あの場所」では、そんなことをする男は「女々しい」などとされておりましたので、男としての尊厳を保つためにも、父はそんな自分の本質を隠すしかなかったのです。

そんな父と一緒によく観たテレビ番組のひとつは、
「大草原の小さな家」
でした。

(「大草原の小さな家」は、マイケル・ランドンが主な製作者で1970年代に放送された、アメリカの開拓者の生活を描いたもので、元になったのは、ローラ・インガルス・ワイルダーが書いた自伝。テレビの登場人物がたまに70年代の髪型をしてたりするし、ワイルダー著の登場人物がかなり編集されていたりするのは、ご愛嬌ってことで・・・?)


あの番組の中の男たちは、みんな女性に優しかった。そして、それは当たり前のことだとされていた。
父は多分、
「自分もあんな風に、正直にできたらなあ」
と思ってたんじゃないかなと・・・

後に、私がアメリカ人と結婚したことで、父は
「日本の男を結婚相手に選ばなかったのは、自分のせい」
みたいなことを、いつだったかぽろりと口にしたのですが・・・

お父さん、違うよ。
お父さんは根は本当に優しかったこと、知ってるよ。
だから、優しい男性に惹かれたんだよ。
わたしの夫は、お父さんが「こうできたらよかったのに」と思ってる、そのままの人なんだと思うよ。

と、その場で言えなかった、あぽんなわたし。

まあ、今ではその「優しかった夫」も、すっかり冷たく、意地悪くなってしまってますが、

でも、今の状況のことは、もし父に会えたとしても、絶対言いません。ただ、父への感謝を伝えたいのです。

ところで、
わたしはずっと、料理が嫌いでした。

それは父のせいだと、ずっと信じていました。

母親と台所に立つたびに、ドジでのろまな私の包丁さばきから何からが危なっかしく見えたようで、父はいつも「もう、させるな!」と怒鳴っていました。すると、ドジでものろまでも、助け手を失った母は不機嫌そのものになり、わたしに後々冷たく(意地悪に)接することになるのでした。
台所に立つたびこれですから、それで料理することが嫌いになって当然だ、と、思うようになりました。

が、時折、「どうして父が座ってたあの場所から、わたしの包丁さばきなんか見えたんだろう?」と、ぼんやりと疑問に思うことはありました。

そしてとうとう、事実を思い出したのです。

母親と電話で話していたときでした。
母と、「母の母」について話していたのですが、
「あの人はね~~、もうそれこそ『一を聞いて十を知れ』って態度だったから、教え方がもう厳しく冷たかったよ~~」
と、母が、自分の母のことを話したので
「ああ!それでお母さんもそういう人だったんだね!」と返事したんですが・・・

母は「はあ?わたしは違うよ!そんな母みたいにならないようにしてきたよ!」
と・・・。

(確かに、そうしてきたかもね、末っ子にはね。

と、言えばよかったそのとき。
でもどんくさ~~いわたしは「え?そうだっけ?」
と思っただけだった。ああ、本当にわたしは自分がきらい)

でも、後々考えれば考えるほど、母が
「そんなことも分からないの!?」
とか
「バカじゃないの、あんたは!!」
と言ってわたしを叱り飛ばしていた記憶がどんどんよみがえってきたのです。

つまり、私の母は、その母親にそっくりで、
「わたしが今までやってたんだから、それを見てたあんたにもすぐ分かるはず」
とか
「これを教わったら、次に何をすべきか、言われなくても分かるはず」
(それこそ、「いちを聞いて十を知れ」そのもの)
といった態度だったので、

「そんな包丁の使い方してると指を切り落とすからね!!」
とか
「そんな切り方、うちでしないでしょう!!料理がまずくなる!!」
とか、そういった罵倒が台所に響き渡っていたわけです。

ということで、それならつじつまが合う、と、理解できました。

つまり、
台所に立つたびに、母がそんな態度でわたしを叱り、怒鳴りつけるのを
すぐ近くで聞いていた父は、もう聞くに堪えなくなって、

「だったら、もうさせるな!!」

と、わたしの母にどなっていたのでした。

そう、その「だったら」の言葉だけが、すっかり記憶からなくなっていた。
「もう、させるな!!」だけが残っていた・・・。

お父さん、ごめんなさい。
わたしが料理することが嫌いなのは、お父さんのせいではありません。
(誰のせい、って言ってるうちは、甘えがあるし・・・)
お父さんは、わたしがずっと怒鳴られてるのが聞くに堪えなくなって、
(形はどうあれ)わたしを(母から)助けてくれていたんですね。

ほかにも、いろんなことをお父さんに伝えたいのですが、
お母さんに会いたくないので、お父さんがどこにいるのか私に分かることはないでしょう。
お母さんは自分に都合の悪いことは絶対に言わない「秘密主義」の人ですから、お父さんが今どこにいるのか、何度聞いても教えてくれるはずはありません。

ですが、わたしが「お母さんに会いたくない」と言うのは、厳密には正しくありません。
厳密には、「お母さんにくっついている付属品に会いたくない」のです。

最後にお父さんと電話で話したときは、子供の頃のいい思い出の感謝を伝えることができましたが、あれだけでは充分ではないんです。もっとたくさんあるんです。今、親孝行できないことの謝罪もかねて、お父さんと一緒に旅行でもしたいんですが、お母さんは、お父さんがそんな状態にはないって言ってました。信じてもいいのか、わからないんですが・・・。

・・・・こういう一方通行な会話を、脳内でするしかないですが、
心は通じているといいなと、思ってみたり・・・・

暗いなあ、このブログ。