何か世の中で良いことが起きた時、決まってその功労者にされるのは、(予算執行等の権限を持った)政治家や、大金を動かす財界要人。

 

…でも、それだけでなく、ごく普通の人だって功労者なのだ。

 

僕はそのことで、決まって思い出す人がいます。熊本県人吉市の、故・得田徹さん。

 

元国鉄機関士で、引退後の昭和50年頃からずっと、(人吉市の中心街から1時間ぐらい山道を通った先にある)非常に山深い、矢岳地区の矢岳駅で、毎日のように、駅前に展示されている2台の蒸気機関車(SL)を入念に掃除して、綺麗な状態を維持されました。

 

「自分の現役時代の愛車が錆びていくのは耐えられない」という、一途な想いからでした。

 

昭和60年代にJR九州社長と北九州市長の合意で、九州でのSL運行が決まった際に、得田さんが掃除し続けた綺麗なSLは、関係者の目に留まりました。そして2台のうちの1台が抜擢され、再運行となりました。それは、「SLあそBOY」、後の「SL人吉」の58654号機です。

 

 

その後も得田さんは、残った1台(以下写真)の掃除を続けました。

 

 

2009年に「SL人吉」の運行が開始された際に人吉駅で表彰されて、一日駅長として出発合図をされました。

当時94歳。その後大往生されました。

 

 

…今日、ふとしたきっかけで、僕が高校生の頃に買った汽車旅本(以下写真)(『旅の森 とっての汽車旅』昭文社、1998年刊)を手に取りました。そして本の中の、JR肥薩線を紹介した欄で、3ページに渡って得田さんの人物伝が書かれていました!!

 

 

得田さん、僕に感動を与えてくださってありがとうございます。お亡くなりになったずっと後にご存在を知って恐縮ですが、何度も貴方の偉業に泣きました。僕の夢は、いつか矢岳駅に、貴方の記念プレートを設置することです。(熊本の知人と飲んだ際に、賛同していただけました。)