ペークラーヒン

なんとも幸せなカレーだった。
よく煮込まれたチャナダール、大きく切った人参、じゃがいも。オクラ、アスパラ、揚げた茄子。クミンとかコリアンダー、香辛料も煮込まれている。さわやかな香りの生の葉っぱも一枚。
くちびるがぺたりとくっつくほどの脂がベースになっていて、愛おしい親しみのあるカレーだった。

誰と何をしたっていいし、どこで何を食べてもいい。できることはやっていいことだ。でも、この人はそういうことをする相手ではなかったと後になって気がつくこともある。
このカレーは、正にぼくが食べていいカレーだという感じがした。
過ちにはすぐに気がつかないことはあっても、正しさというものはすぐに分かるものなのかもしれない。
隣にせき込む人がいたなら、背中をさすってあげたいじゃないか。ぼくはジャングルに帰るのはいやだよ。

豚の内蔵の料理もほんとうにおいしかった。
そのメニューのページには、丸々としたミャンマー語しか書いていなかったけど、お店の人はウタトトと発音しているようだった。
胃、肝臓、大腸、子宮などが甘く煮込まれていた。筒のままの大腸も入っていたけど、内臓の怪しい香りだけがするだけで、臭みはどこにもなかった。
内臓が好きな人にはすすめたいと思った。
ソースは、チリソースとマレーシアのキチャプのようなもの、それと豚の内蔵を煮込んだ汁が入ったような味で、料理になじんで辛さと酸味を足していた。
生野菜にかかった胡麻ドレッシングが混ざって少しほっとした。好むと好まざると慣れたものはある。そういうものに支えられている。

ミャンマー茶