二度目の冬の遠野放浪記 7日目-1 凍る窓
暖かい布団の中で俺は6時過ぎまで眠ってしまい、遠野で迎える最後の朝は、御主人に叩き起こされるところから始まった。
始発列車に乗り遅れては何の意味もない。俺は慌てて身支度を整えると、炬燵の上に出しておいた切符だけは忘れていかないようにしっかり握りしめ、部屋を後にした。
ロビーでは女将さんがおむすびを握ってくださっていた。列車に乗ってしまうと暫く朝食にありつくことができなくなるので、おなかが空いたらいつでも食べられるように……とのこと。
暖かい心遣いに涙が出そうになるのを堪える。
俺は女将さんに「いつか必ず遠野に戻ってきます!」と誓い、女将さんも「パワーアップして戻ってきてください!受けて立ちますから!」と返してくれた。
本当にいつになるかはわからないが、この人に再会するために必ずまた遠野に帰って来ようと思った。
建物を出た俺は、御主人が運転する車にトンプソンと共に乗せていただき、遠野駅へ。
まだ夜が明ける前の松崎の闇に、くら乃屋さんの姿はあっという間に溶けていった……。
遠野駅に到着すると、見覚えがある軽トラックが停まっているのが見えた。
列車の時間が迫っていたため、残念ながらそれほどじっくり最後の挨拶をする時間もなかったのだが、氏は俺にメールアドレスなどを教えてくれ、何かあったら連絡してくれと言ってくださった。
ここでもまた別れの寂しさに涙が出そうになるのを堪え、御主人とZ氏にこの三日間の感謝を伝えて駅に入る。振り返れば辛くなるので、俺は敢えて振り返らなかった。
遠野が大好きだという気持ちを持ち続けていれば、きっとまたこの街で会える。それだけを信じて……。
ホームには既に始発列車を待つ乗客が列を作っており、俺がその後ろに並ぶと同時に、夜の闇を切り裂くようにして盛岡行きの列車が到着した。
客が全て乗り込んだのを確認し、列車はゆっくりと遠野駅を離れる。俺は凍り付く窓から外を眺め、最後の遠野の姿を目に焼き付けようとしたが、まだこの街の朝は遠く、暗闇だけが前から後ろへと流れていった。
列車が遠野の外れに差し掛かり、ようやく空が白んでくる頃になると、ちらちらと雪が舞い始めた。
初めは粉雪程度だったが、すぐに本降りになり、人間の足跡も何もかもを覆い隠そうとしている。俺が遠野で過ごした時間も、やがてこの雪の下に沈んでいく……。
めがね橋を渡り、まだ目覚める前の宮守を見送ると、とうとう遠野とのお別れの時間だ。
出来ることならばこの街を離れたくない。しかしそれを願うことは、今の俺にはまだ許されない。
列車はあっという間に花巻に近付き、微睡むような表情だった空は次第に光を取り戻してくる。
7時を過ぎれば流石に明るくなる。寒い北東北の街も、そこで暮らす人たちの熱気に包まれることだろう。
さあ、そろそろ夢から覚める時間だ。俺は荷物を纏め、歩く準備を整える。
列車の扉が開く。一切合切の思い出が、冷たい朝の空気に溶けていく――。
つづく。