昨日は忙しくてアップ出来ませんでした。
そのくらい忙しい方が良いのですが・・・。
それでは続きです。
お店をやるきっかけとなった花博の話 パート2
4月になって花博会場に着いたときには、
それはそれは、りっぱな会場へと変身しておりました。
以前は簡単に入れたのに、身分証明書が無いとは入れない。
チェックが非常に厳しくなっていました。
写真を撮り、カードを作って、バッジを付けてやっと会場入りです。
スリランカ人の友達がやっているブースに行くと
コック達が口々に私に対してなにやら要求してくるのです。
話を聞いてみると、休み時間は無い、休みの日も無い
朝から晩まで働かされ続けだというのです。
まるで、たこ部屋状態で働かされていました。
オーナーのスリランカ人にとっては、
自分と同じように働くのは当たり前といったところでしょうか?
先ず、やったことは、一日のローテーション作りと
一週間のローテーション作りでした。
物販コーナーと展示会場と食堂とで、
ブースを3ヶ所を持っていたので、
アルバイトの確保と管理、配置、
ローテーションと毎日が大変でした。
それから、彼らの朝食の食材の確保、
歯ブラシから石鹸、タオル等々生活必需品の確保をし、
まずは、ひと段落といったところでしょうか。
着いたその時から、使い走りです。
翌日からは、完璧に、使い走りの日々に突入です。
住居は、民家を2ヶ所借りていて、
一箇所は、コック達の住居。
もう一箇所にオーナーの家族と私が住むこととなりました。
オーナーの家族は、スリランカ人のオーナーと
スリランカ人の奥さんとその子供です。
彼らの結婚前から知っていたので、
私自身も家族のように受け入れてもらいました。
この民家は、両方とも、先の関西の大震災で、
家に亀裂が入り、土間にも生々しい傷跡が残っており、
半壊状態の民家でした。
多分、花博が終わったら、取り壊しだろうと思います。
大変な状況の中の開催だったのです。
花博は、淡路島をはじめ、
その周辺の復興に大きく貢献したのだと思います。
でも、地震がなかったら、
外国人だらけの集団に家を貸してくれただろうか?
又、住居が揃っただろうか? 少し疑問です。
会場まで、車で30分から40分といったけっこうな距離でした。
翌日から、すさまじい生活が始まります。
今日はここまでで・・・・・・・・・・。