『プラダを着た悪魔』に見られる男女の目線
プラダを着た悪魔(特別編) [DVD]
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20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン (FOXDP) (2012-07-18)
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プラダを着た悪魔は実に印象深い映画であった。もちろんストーリー展開がスムーズで、主演女優のアン・ハサウェイが美人だったことも影響しているのは間違いないけれど、それだけはない、現代社会というか、企業組織を痛烈に風刺した様が、妙に心地よかったからである。さらにこの映画作品は、男性目線、女性目線を巧妙に織り交ぜてあって、アメリカ社会の根底にある「平等」や「自由」への一種の憧れを感じずにはいられなかった。
では女性目線で描かれているものとは何か。それはファッション雑誌「ランウェイ」の編集長であり、ファッション業界で絶大な影響力を誇るミランダが、実に野心深く、成功を収めていることに対して、女性に夢を与えるだとか、ライフワークバランスが保てずに、結婚生活がうまくいかないといった、そんなナイーブな側面で語れるものではない。
では何か。いきなり結論にいくまえに、『ガウェインの結婚』を紹介したい。この話は読んだことがある人も多いと思うけれど、一応説明しておくと、イギリスで創作された騎士道物語「アーサー王物語」の中のひとつで、多くの子供達に愛されてきた伝統的な物語だ。
アーサー王のもとに一人の若い女が駆け込んでくるところから物語は始まる。女は邪悪な騎士に自分の領土が奪われてしまい、さらには恋人まで捕虜にされてしまったと言うのだ。正義感の強いアーサー王は、名剣をひっさげて、たった一人で、その邪悪な騎士の城に乗り込む。ところが城に入ると、不思議なことに、アーサー王の手足の力は抜けて、勇気や気力もどこかに吹き飛んでしまう。主人公が物語の序盤にピンチに立たされるのはよくある話で、まあこの話もそんな感じで進行していく。ウルトラマンだか、ドラゴンボールだかと同じように、「うぐぐ…ぐわあああ」なんて叫び声をあげながらしばらく動けないでいると、邪悪な騎士が現れて、「助けてほしいか?助けてほしければ、私の問いに答えてみよ。この1年のうちに問いの答えが見つかればおまえを許そう。さもなければ、おまえの王国をもらう。」なんて、主人公が事実上断ることが不可能な状態に追い込まれる、またまたお決まりのストーリー展開。じゃあその問いとは何か。
「すべての女性がもっとも望むものとは何か」
読者の中で女性がいたら、向井理やら、竹之内豊やらのイケメン俳優を思い浮かべた人もいるとは思うけれど、そんな「夢のない」話ではないわけですよ。アーサー王は、自分の領地を駆けずり回りながら、女性という女性に対して、この問いを投げかけた。それはもう少女から老婆まで、昔は身分制度が厳しかったから、基本的に一国の王がそこまでする可能性は低いわけだけど、農民から貴族まで、そりゃ必死に聞いてまわった。だけど、どの答えもありふれていて、信用に足るものとはとても言えなかった。ついに12月の半ばを過ぎてしまい、半ば諦めながら物思いにふけっていたため、気づかないうちに森の中に迷いこんでしまった。ふと前を見ると、木の間に真っ赤な服を着た、しわがれた老婆がいた。ただ老婆は二目と見られないほど醜かったので、アーサー王はそっと脇を通りすぎようとした。
すると老婆が、「これ騎士よ。おまえの抱えている問いの答えを教えてやろう。その代わり、わたしに美しく、礼儀のわきまえた立派な騎士を夫としてよこしなさい。」と話かけてきた。人の弱みにつけこんで、なんて節操のない老婆だと思うわけだけれど、もう時間も体力も失ったアーサー王は、あっさりと承諾してしまう。
さて、年の暮れのある日、また邪悪な騎士の城に出向いたアーサー王は、聞き集めてきた回答の最後に、例の醜い老婆から聞いた答えを伝える。
「自分の意志を持つこと」
邪悪な騎士は悔しがりながら、「くそ、さては答えを聞いたな。あいつは自分の妹だ。」と吐き捨てるように言って、去っていく。自分の領土に戻ると、円卓の騎士たちは、一斉に拍手喝采で出迎えるわけだけど、肝心のアーサー王の心は暗く沈んだまま。落ち込んだアーサー王を見て、心を痛めたのがガウェイン卿。そう、物語のタイトルを飾る勇者がやっとここで登場して、話はクライマックスへ。森の中での話を聞いた忠義心溢れるガウェインは、「自分が結婚する」と言い出すわけですよ。ええ、泣かせます。「いや、何もおまえが…」というと、テレビでよく見るあれですよ。
「いえ、私はもう決めました(キリ」こんなことを言われたらアーサー王もしぶしぶ了承せざるをえない。森から老婆を連れてきて、結婚式を挙げるまでは良かったんだけど、問題はそうです、はい。結婚初夜の例の行事の前に老婆は聞くわけですね。「新婚初夜ですわよ。それなのに体を火照らせるわけでもなく、なぜそんなに憂鬱な表情をなさるの?」
これにはさすがのガウェイン君も耐え切れなくなって、ぶっちゃけて、「あなたは年上で、顔が醜く、おまけに上品でないのが嫌なのです。」と伝えるわけだけど、まあそこは年の功といいますか、立派な答えを返してくるわけですな。
「年を取っているということは、若い人よりも考えが深いのです。醜い顔だから、あなたは私を他人に奪われる心配はないでしょう。また、人の価値というものは、生まれや身分で決まるわけではありません」
ガウェイン君も良いこというやんけこのやろと思って目をむけると、老婆はそれは美しい人になっていたわけですな。驚いたガウェインは、「おまえは何者だ!」と問いかけると、老婆は悪い魔法使いのために呪いをかけられていたのだと説明する。まあよくある話だけど、それはスルーしましょうね。
「二つの願い事がかなわなければ、元の姿に戻ることができません。立派な騎士を夫にするという1つの願いがかなえられたので、私は1日の半分を元の姿で過ごすことができるようになりました。元の姿でいられるのは、昼がいいですか、夜がいいですか。お選び下さいませ。」
ガウェインは男らしいと言えば、男らしい回答をするわけですな。
「その美しい姿は、二人だけどの夜の時間に見せてほしい。できれば、その美貌を他の男たちに見られたくはないものだ。」これに対して妻は、昼は大勢の人に見られるから昼に美しくなる方が嬉しいといって反対する。それを聞いて考え込んだガウェインは、好きにするがいいと妻に伝える。すると妻は思い通りにいったので、二つ目の呪いも解けて、一日中美しい顔でいられるようになった。そうそう、ここでも大事な思想が隠されている。
「自分の意思を持つこと」
そう、これこそが女性のもっとも望むものなわけですよ。こうした深い思考が、要所要所に映画に散りばめられているからこそ、女性ファンを離さないのではないだろうか。まあ現代社会の女性の言動を見ていると、自分の意思を持ちすぎていて、ちょっと主張が強すぎるんじゃないかと思うことも多いし、言葉使いから、態度から、一体どうなっているんだと思うときもあるわけだけど、まあそこは今回置いておこう。
では男性目線とは何か。いくつかあるわけだけど、根本にあるのは「純粋であること」であろう。この作品はとにかくパワハラが激しい。これはきっと誰もが感じているはずで、普通の企業社会では、まず考えられない。主人公が、依頼されていた航空機のチケットを取れなかった失態(天候不良により欠航になっているため、事実上入手は無理)によって、娘の学校行事に参加できなかったミランダは、腹いせにハリーポッターの書籍を購入してくることを命ずる。しかもこれは既刊されているものではない、著者の手元にあるであろう次回作のものだ。さらにそれを得られなければ、会社には来なくてよいと告げる。
一般的に考えて、これは明らかにパワハラだ。外資系企業では、とりわけ米系企業において、パワハラ、セクハラ類の事件については、非常に厳しい制裁が待っている。まともな企業であれば、HRに一本電話をいれれば、調査が即座にはじまり、本人の訴えと相違が見られないような事実が確認できれば、当事者が解雇される可能性すら十分にありえるのだ。
それにも関わらず、主人公がこうした選択肢を行使することは決してない。自ら職を辞することすら考慮にいれていたけれど、たまたま獲得した人脈の助けによって、原案を手に入れることが可能になる。その人脈というのが主人公が憧れるジャーナリスト業界のエリートで、ジェントルマンだったから、「原案やるから一発やらせろ!」なんて、そんなケチくさく、程度の低いことは言わない。
ただこのことが影響して、主人公の中で何かが変化したのは間違いない。自分の憧れの業界で成功を収めたジェントルマンに特別な感情を抱き、何より温情を感じてしまい、さらには自分の仕事の責任が重くなり、忙しくて彼氏との恋愛がうまくいかなくなる。そんな中、パリでのモデルショーに参加することになり、たまたま居合わせたジェントルマンとついに一夜を過ごすことになるのだ。まあここら辺はありきたりなわけだけど、ここから先が男目線と女目線という世界観が絶妙にシンクロして、なんとも興味深い描き方になっている。
今まで編集長ミランダの願望に対して、無心で応えることこそが、自分の生きがいであり、達成感だと信じ込んでいた主人公は、「自分の意思を持つこと」の大切さを想起し、ミランダと袂を分かつことになる。ここで終わっても、なかなかハッピーエンドなわけだけど、ここで最後に男目線が再び現れる。なんと料理人の元彼とよりを戻し、一緒の道を進むこと決断したことだ。現実世界において、女性というのは、昔の男に固執することをイケている女ほどしない。それは芸能界を見れば分かるように、次から次へとイケている男が歩み寄ってくるから、思い出を振り返る時間も、必要性もないのだ。
だけど、この作品の主人公を「いい女」と描きつつも、そして主人公をイケている男の興味の対象と捉えていても、最後に元彼の下へ帰って行く場面に、男目線の複雑な構造が隠されている。「自分の意思を持つこと」、そして「純粋であること」なんて少しばかり相反する思考を、実に丁寧に描写している。うん。こんなとこですかな。
参考文献