アメリカンドリームが幻となり、アメリカ人も金持ちが嫌いになった
世界中が混沌として、先行きは不透明で、人々の不安や怒りは今にも爆発しそうだ。多くの企業は生き残りに必死で、なりふりかまわずリストラ策を打ち出し、時代に取り残された企業は市場から次々とレッドカードを手渡され、退場を余儀なくされている。既得権を牛耳っているこの国の老人達は、年功序列・終身雇用という最高の波に乗りながら、人生のボードから決して落ちることなく、「退職金を払え」、「年金を払え」と大合唱している。
弱者保護の名の下に、手厚すぎるセーフティネットは財政を逼迫している。これまでも「自由主義は弱肉強食で弱者切捨てだ」という批判が常套句のように使われてきているけれど、日本のように生活保護の支給額が最低賃金より高いと、働かない方が得になるのだ。これを巧みに利用するズル賢い人は、大黒柱を削り取るシロアリのように国家のスネをかじりながら、「消費税増税断固反対」と叫んでいる。
人々は溜まりに溜まったストレスを解消する矛先を見つけるために奔走し、やっと見つけたグローバル資本主義や市場原理主義を非難して、迷走を続ける政治に不満や怒りをぶつけている。政治家は有権者の後ろにいるマスメディアの顔色を伺いながら発言し、政治という舞台から転げ落ちて「ただの人」になることを恐れている。こんな国では希望や光は永遠に失われたままで、海外に拠点を移す企業や個人も増えている。
オバマ大統領が誕生するまで、アメリカは共和党のブッシュ政権によって、イラクとアフガニスタンという2つの戦場に足を取られ、金融恐慌の震源地として世界から非難され、孤立していた。選挙中のオバマのスローガンは「チェンジ」で、「世界のどの国よりもフリーでリッチである」という自信を失った国民を奮い立たせるために、何度も「YES, WE CAN」と繰り返して過去に決別し、新しいアメリカを築いていく力を持っていることを世界に示していた。
あれから4年経った現在、果たしてアメリカは変われたのだろうか。11月の米大統領選に向けた与野党の動きを見て歩くと、国民一人ひとりがばらばらの方角を向き、国家としての求心力を失いつつある姿が浮かびあがる。オバマが掲げた「1つの米国」は遠のくばかりだ。あらゆる問題を「大きな政府」のせいにし、単純なメッセージでアメリカ政治に一大旋風を起こした草の根保守派連合ティーパーティは、09年2月にある経済評論家が上げた雄たけびがきっかけで起こった。
ティーパーティという言葉はアメリカにとってシンボル的なものだ。これはアメリカが植民地時代、イギリスが貸した茶への重税に抗議する人達が、ボストン湾に茶を投げ捨てて、「ティーパーティ」(茶会)と称した事件から生まれた。ティーパーティは、重税に反対して独立運動のきっかけとなった重大な事件で、今もアメリカ人の間では語り継がれているアメリカ建国の理念を示す重要な言葉なのだ。
オバマ政権成立後、オバマ政権に反対する保守派の人達が、「大きな政府」に反対する集会を開く際、集会を「ティーパーティ」と呼んだことがきっかけで、再び歴史が思い起こされ、多くのアメリカ人の心を掴んだのだ。彼らは自動車産業の救済や医療保険改革を進めたオバマ政権を「米国的ではない」と吐き捨て、抗議している。ただティーパーティの主張は「小さな政府、減税、歳出削減、そして規制緩和」とかなりはっきりしているので分かりやすい。
こうした中、経済格差の是正や雇用情勢の改善を求め昨年9月、若者世代を中心にニューヨークのウォール街で抗議デモが起こった。ウォール街が標的になったのは、米国が抱える病巣の中心だと人々が考えたからだ。大手金融機関は金融危機を招き、政府に救済された。それなのに住宅の不法差し押さえを続け、経営陣は高額の報酬を受け取る。「これって何かおかしいんじゃないの?」と大量消費社会を批判する非営利団体が発行するカナダのアドバスターズ誌の呼び掛けでデモは始まった。アラブの春に触発された編集者たちが、「強欲」な金融業界に対する大規模デモを提唱したのだ。
一連のデモ活動は、債務危機で揺れる欧州にも飛び火した。欧州中央銀行(ECB)前の広場にもユーロ通貨記号のモニュメントを取り囲むように、デモ参加者のテントが張られ、『YOU PLAY, WE PAY(お前らが勝手に始めたマネーゲームの代償をオレ達に負わせるな!)』など金融システムや銀行に対する強い不満を訴える横断幕やプラカードが至る所に点在し、人々の深い、突発的な怒りを象徴していた。
だけどこうしたデモ活動はどことなく緊張感がない。ウォール街占拠デモでは、ダンスに興じる若者、ピザの出前にかぶりついている人達、ピクニック気分の子連れ、公園でのフリーセックスなどが紙面を踊った。
では、この「占拠デモ運動」と「ティーパティ」は共通しているのだろうか。ウォール街占拠運動は「金融機関を処罰しろ」「金融機関の従業員や役員の給料を減らせ」「社会格差をなんとかしろ」「政治はカネに左右されるな」「資本主義が上手く機能していない」などメッセージの一貫性はなく、やはり歴然とした違いがある。そもそもティーパティの主体は自営業者と非組合員の白人労働者で、彼らの怒りには「自分たちが払っている税金が自分達のために使われていない」という一貫した不満が核として存在する。さらに支持者は弁当持参で集会にやってきて、夜になったら帰宅するような中年の白人中流層で、帰りのバスに乗るのを忘れて、公園で寝泊りするような占拠デモ参加者とはスタイルも大きく異なる。
そして「ウォール街占拠デモ」に参加している多くは納税をしていない若者だから、税への嫌悪もなければ、人種背景的にもダイバーシティ(多様性)を全面に打ち出し、リベラルカルチャーを色濃く反映したものであるから、白人中心の「ティーパーティ」とは全然違う。さらにティーパティの場合は、「格差是正のための税による所得移転には絶対反対」という立場で、当然「年収1億円以上に対する富裕層増税にも反対」という立場にいるわけで、占拠デモ参加者が掲げる「所得移転をどんどん進めて格差是正を」という主張とは政策的にも異なるのだ。
そんな中再選を目指すオバマは、「アメリカ経済は、日ごとに危機から回復しつつある」と聴衆に向けて語り、共和党の政策こそが今の経済危機を招いたと批判した。米労働省が発表した統計によれば、2月のアメリカの就業者数は前月比で22万7000人増加(失業率は1月と同じ8.3%)しているし、この半年間の雇用の状況は、2006年以来最も強い改善傾向にある。平均賃金も2月には0.1%上昇し、時給23.28ドルから23.31ドルに上がっている。
こうした状況を追い風にオバマは、1月の一般教書演説で提案したバフェット税成立に向けて走り出している。ロイターとイプソスが13日発表した世論調査によると、米国民の64%が、年収100万ドル以上の富裕層向け課税(通称バフェット税)を支持していることが分かった。ただ、課税を立法化するための法案は民主党が議会に提出しているものの、下院では増税に一貫して反対している共和党が多数を占めているため、年内は法案の棚上げ状態が続くと見るむきが多い。だけど、その共和党員の49%もこのバフェット税を支持しているのだ。
大きな収益を上げ、国家に税金という形で貢献する人に対し、「儲けているから」という短絡的な理由だけで、さらに税金を徴収するというのは本当に正しいのだろうか。出版社のアメリカン・エクスプレス・パブリッシングと市場調査会社ハリソングループが実施した最新の調査によると、上位1%の最富裕層のうち28%の人が失業の心配をしており、中でも企業幹部を務める人の21%は向こう1年間で仕事を失うのではないかと懸念していることが明らかとなった。自分の会社を所有しているオーナーでさえ不安に思っていて、企業オーナーの4分の1は今後1年間のうちに会社が倒産するのではないかと心配している。
実はアメリカでは、最富裕層の所得税率は低所得の国民と比べて非常に高い。年間所得が100万ドルを超える国民が納めている連邦所得税は平均29%強だし、所得が減るにしたがって税率は変化し、2万から3万ドルだと5.7%まで下がる。上位20%の高額納税者が、連邦税総額の実に70%近くを負担しているのだ。もちろん日本の場合は国税としての所得税の最高税額が40%、それに地方税である住民税を合わせると、最高55%になるから恐ろしいほどの額になっているわけだけど。
かつてアメリカ人は、生まれがどうであれ努力すれば成功できると信じていた。10年前の世論調査では、ざっと3人に2人が「知性とスキルがあれば成功できる」と答えていたようだし、調査が行なわれた27カ国の中で最高の割合であった。だけど、そんな見方すらも変わりつつある。好況期には目をつぶっていた事実に皆が気付き始めてしまったのだ。大半の先進国と比較してアメリカでは貧困家庭の出身者が成功できる確率は低いし、さらに低下しつつあるようだ。
所得水準が下位20%の家庭に生まれたアメリカ人が、上位10%にのし上れる確率は約5%しかない。一方、上位20%の家庭の出身者が上位10%に上がれる確率は40%以上だ。つまり親の収入によって、子供の将来の収入がある程度決まるということだ。もはやアメリカンドリームという言葉は、富裕層から税金をむしり取り、その資金を使って希望をかなえるような実にドリームのない言葉に変わりつつある。
アメリカは、オバマ大統領が「チェンジ」と叫び続けていた頃とは大きく変わり、常に左右に揺れ、「体を使って働かずに、金融なんていう幻想ビジネスで飯を食っている奴は悪者だ」という衆愚なルサンチマン(怨恨)が、あらゆる階層に蔓延り、国家愛だけは堅固として存在するので、日本のように起立斉唱だの何だのと、もめることはないけれど、随分と日本に似てきたといえる。自由の国アメリカは、人々の自由な意見に右往左往して、オバマが「チェンジ」を唱えるまでもなく、変わってしまった。そのチェンジした様相もオバマが思い描いていたものとは違うとは思うけれど。ジョブズの遺言である「クレイジーであれ、ハングリーであれ」というのは、当然、ジョブズの人生をかけた深い意味がこめられているわけだけど、それが占拠デモであったり、ハングリーに富裕層増税を唱えて物乞いをするカルチャーとは全く関係がなく、きっとジョブズも肩を落としていることだろう。なんてことはない、どこの国も不満や嫉妬がはびこり、成功者が嫌いなのだ。
参考文献