部下は上司の力量を正確に見極めないといけない | リベラル日誌

部下は上司の力量を正確に見極めないといけない


スペインには『Ver los toros desde la barrera, eso lo hace cualquiera(闘牛を柵の外から見物するのは誰でもできる)』という諺がある。これは実行するわけでもなく、外野から批判ばかりしている人を揶揄した諺だ。人のやっていることをただ見て批判するのは簡単だけど、実際にやってみると結構難しい。しかも批判するのに、カネもかからなければ、汗をかく必要もない。これは人間社会の構図としてよくある光景だ。会議で代案も出さないのに人の意見に文句ばかりつける人、専門的知識もないのに批判だけは立派な人、子供の成績には口うるさく言うけど家ではテレビばかり見ている親、例示を挙げればきりがないほどだ。闘牛士も、ただあの円の中に立っているわけじゃない。観客には想像もつかないほどの努力と経験を積んで、500キロという巨体を持つ闘牛の前にいるのだ。何事においても本質に関わろうとするならば、実際に柵の中に入ってみることが大切なのだろう。また、その分野に精通したほど、思慮深く、軽々しく意見を言うようなことはしないのかもしれない。



またこれとは反対に『Ver los toros desde lejos, es mi consejo(闘牛は遠くから見たほうがいい)』という諺もある。あまり問題に巻き込まれたくなければ、深入りしなほうがいいという助言だ。責任を持てないのに軽々しく問題に取り組むと、後でエライ目に合うということを僕達に示唆してくれている。人生時と場合によっては、観客になって柵の外にいたほうがいい時もあるのだ。こういった柵(境界線)は、僕らの生活に無数に存在する。柵を越えるか、越えないかという選択は、時に自分の人生を大きく変えるのかもしれない。



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(出所:Wikipedia サグラダ・ファミリア)

スペインの景気は依然として低迷しており、2010年の実質経済成長率は前年比で-0.1%と、2年連続してマイナス成長を記録した。消費はプラスに転じたものの(0.7%増)、投資は依然として低迷(-7.6%減)、失業率も20%を超える結果となり、11年度の見通しも同水準の結果となることが予想されている。だけど、スペインはこうした経済状況を吹き飛ばすだけの文化を持っている。スペイン産ワイン、イベリコ豚、サッカー、絵画に彫刻と幅広い。



バルセロナはスペインでもマドリードにつぐ第2の都市だ。しかもスペインで最初に産業革命を成功させ、港湾の規模も商工業活動も国内最大規模の産業都市である。サグラダ・ファミリア聖堂は、サン・ホセ(聖ヨセフのスペイン語)を崇敬する信徒会がサグラダ・ファミリア(聖家族)へ捧げる聖堂として計画したものであった。1882年に、ガウディが学生時代に働いたことがあったビリャールの設計で着工したが、彼は早くに降り、翌年補佐役であったマルトレールの紹介でガウディが受け継ぐことになったのだ。そして当時から物珍しげな視線を集めていた彼のユニークな建築は、100年を経た今も尚古めかしさを感じさせないばかりか、すっかりバルセロナの「顔」となっている。ガウディの建築家としての独創性は稀有なものであるけれど、これを理解し、実現化に尽力したジュジョールをはじめとする助手達の存在も大きいことを最近の研究は明らかにしている。それが完成する日がいつ訪れるのかは、誰にも分からないのだけれど。



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(出所:Wikipediaカサ・バトリョ)


この美しいカサ・バトリョのファサード(正面デザイン)はジュジョールが手がけ、しかもジュジョールの自由なイニシアチブのもとで製作されたのだ。ジュジョールが集中的にガウディに協力したのは、1906年から6年間くらいだったと考えられている。ジュジョールが駆け出しのころである。ジュジョールの作品に対する評価は、大きく二つに分かれる。ガウディを凌ぐほどの功績を残した作家だったとするものと、あくまでガウディの助手だったとするものに。だけど、ジュジョールが色彩感覚や絵画的なセンスに恵まれた建築家だったことを否定するモノはいないのだ。ガウディまでも「ジュジョールは画家になるべきだった」というような主旨の発言をしたようで、ジュジョールの色彩センスに並々ならぬ才能を感じ取っていたに違いない。


僕はガウディの偉大さは、その懐の広さにあるのではないかと考えている。ガウディは自分よりも27歳も年下のジュジョールの才能に敬意をはらい、自由に創作させていたことを考えると、自分の才能に足りない色彩感覚を、ガウディはジュジョールの才能によって補おうとしていたのではないかと思えるほどだ。つまりガウディは自分の色彩感覚を客観的に評価でき、ジュジョールの類稀な才能を認めることができたのではないだろうか。



ガウディほどの才能に溢れた建築家であれば、全て自分の考えた通りにしてしまいがちだ。またそうしなければ個性は出せないに違いない。だけど、ガウディはジュジョールに思い通りにやらせることで、自らの作品の完成度を完璧なまでに高めたのだろう。「いいよ、ジュジョール」が彼の口癖だったことからもそれは十分理解できる。



企業においては、全ての上司がガウディのような人物ばかりではない。むしろ逆のケースの方が多いかもしれない。権力を持つ人は権力の座に留まりたいと望む。彼らは自由な競争により権力が脅かされることをひどく恐れている。自由競争は新参者に対し、機会を与え、多くの人に「のし上がる為の道標」を提供してくれる。彼らは理解していないのだ。一企業の小さな組織でミクロな競争を排除しようとしても、何の意味もないことを。僕は今まで多くの有能若手社員が、その能力を発揮することなく会社を去っていったのを目にしている。それは自らの希望であるケースもあるが、そうでないケースもあったかもしれない。



企業という組織において、上司は仕事の配分や人事決定権など巨大な権力を握っている。だからこそ、ガウディがジュジョールにしたように、有能な若者には機会を与えてあげるべきだなのだ。そうすることによって、自分のチームや自分自身の技能向上に繋がるだけでなく、何よりチームのパフォーマンスが上がり、好循環が生まれるに違いない。才能を持つことも難しいが、人の才能を評価し、活かすこともまたとても難しいことなのかもしれない。



部下が上司の力量を正確に見極めることが必要になってくるのだろう。上司と部下という関係には、闘牛場のように大きな柵が立っていて、それを乗り越えて闘牛場の中に入るのか、それとも柵の外から傍観した方が得策なのかは、その上司の資質に依存することであろう。やはり人間は感情の動物であることを忘れてはいけないということだ。




参考文献

ガウディの影武者だった男―天才の陰で忘れ去られたバルセロナ建築界の奇才
GAUDi ガウディが知りたい! (エクスナレッジムック)
ふしぎの国のガウディ-建築図鑑-

スペイン広報 84 
セイヴィング キャピタリズム