「未来の価値ある自分」を夢見て投資するのは結構難しい | リベラル日誌

「未来の価値ある自分」を夢見て投資するのは結構難しい


世の中は明日を夢見る希望と不安で満ち溢れている。ネットや新聞紙面では、毎日のように世界各国の財政問題が取り沙汰され不安を助長している。さらにテクノロジーの目覚しい発展により、グローバル化が加速していることを受け「外国人留学生は就職活動に有利」や「世界各国の人材を適材適所に配置」などが声高に叫ばれ、若者を煽りに煽っている。


このようなグローバル市場で生き残る方法を教授するかのように、自己啓発本や資格学校が溢れ、若者をさらに混乱の渦に巻き込んでいるのだ。巷にあふれる自己啓発本の多くは、僕らに「這い上がるための気持ち」と「成功への道しるべ」を昏々と諭すように語りかける。しかしながら、それらの方法が実際に効果があるかどうかは定かではない。


果たして自己啓発を読み漁ったり、資格学校に通い詰めて、貴重な時間とお金を費やすことは本当に価値のあることなのだろうか?僕は最近の胡散臭いテレビCMや書店での売り出しを見ると、常に疑問に思ってしまうのだ。



橘玲の著書「残酷な世の中で生き延びるたったひとつの方法」の中で紹介されているアメリカの教育心理学者アーサー・ジェンセンによれば、知能の70パーセントは遺伝で決まるのだそうだ。


僕のこれを読んだ感想はと言えば「まあそうだろうな」くらいのものだった。なぜなら身体能力、身長、容姿などあらゆる場面で十二分に遺伝の可能性は証明されているからだ。にも関わらず、当時アメリカ社会では大変なスキャンダルになったようだ。


恐らくウサイン・ボルトは生まれながらにして人並み以上に速く走れただろうし、日本では練習量ばかりが注目されるイチローも、きっと生まれながらにして光り輝く原石であったに違いない。


ところが知能という側面については、これまであまり注目されてこなかった。もちろん一部では話題になっていたであろうが、世間一般で大々的に発表されるなんてことはなかった。もしこんなことを発表すれば、社会問題になることが予想出来たからであろう。そうなれば、学校という教育システムは崩壊するだろうし、人間社会自体が成り立たなくなる。


しかしながらこの不都合な真実を受け入れることにすれば、思ったより人生は明るいのだ。山田詠美の著書「ぼくは勉強ができない」で主人公の時田は勉強が出来なくても、人気者であって、女にモテればそれでいいという精神をつらぬいて、自身の生活を満喫している。



僕が深く関わっている超競争組織においては人材の流動性が激しい。それは自分の能力に限界を感じたり、あまりにも厳しい組織体系に耐えられなくなったりして自ら企業を去る人達がいることや結果を出せなかったことによる強制退去システムにより企業を去らざるをえなかった人達がいることが主な原因だ。



でもこんな組織に毎年のように膨大な量のラブレターが届き、そこには大抵「私はとても優秀です。御社に必ず貢献します」と書いてある。さらに面接では「グローバルの環境の中で、切磋琢磨しながら、自分の能力を最大限に活かして、御社に貢献したいと考えるだけでなく、社会貢献にも寄与させて頂きたいと思います」と目を輝かせて話してくれる。


僕はこのような高尚な思いで入社を希望する人達と会うと、とても慌ててしまう。



僕は美味しいワインを飲んで、素敵な女性とセックスをする生活さえ出来れば、他のことにはあまり干渉しないというライフスタイルでこれまで生きてきた。だから僕が働く理由は、そんな素敵な女性との食事代やホテル代を稼ぐためという事以外にはない。確かにマネーゲームに明け暮れることに高揚感を覚え、仲間と切磋琢磨することに充実感を持つことはあるが。


最近は不況によってAO入試増加や私立大学では学部増設などが行なわれている。これは今まで本質的な能力ではその大学に入学できなかった人達に門戸を開いた形であろう。当人からすれば、高い授業料と引き換えに学歴というステータスをゲットできるわけだ。


僕は最近このトレードは非常に割高なんではないかと感じている。企業側もこの制度によって学生の能力低下を憂慮してか今まで以上に採用試験に高いハードルを課してきているからだ。つまり大学進学の最大目的である将来キャッシュ・インフローの増加が見込めないことを意味する。


日本が、せめてアメリカ型のAO入試制度のようにSAT統一テストを面接や成績と共に生徒に課すことになれば話は変わってくるのだろうが、そんなことは数十年後にも訪れるかどうかはわからない。



自己啓発や資格学校を始め、大学などの教育システムに貴重な財産をはたいて参加してみても、リターンが何もないのであれば、それは詐欺と同じようなものだ。これからの残酷な時代を生き延びるために必要なことは、自分の能力をしっかりと見つめ、適切に投資することではないだろうか。



参考文献


ぼくは勉強ができない (新潮文庫)