この残酷な社会で生き残る為の3つのアイテム
戦後の高度成長期は、期待とエネルギーに満ち溢れていた。例えば僕らの生活は、60年代において年率9%~10%という驚異的なスピードで豊かになった。80年代はスピードダウンしたと言っても年率4%で走ってきた。この時代は親よりも豊かになるのが当然で「ニューリッチ」世代と呼ばれた。給料もうなぎ上りに上昇し、下がるなんてことは考えることもなかったであろう。90年代は「失われた10年」と言われた時代に突入し、成長は止まり「ニート」なんて言葉が出来たり、「ニュープア」なんて呼ばれる世代になってしまった。そして多くの人達は堅実に、確実にケチになっていったわけである。
ようやく「失われた10年」を巨額な財政赤字と引き換えに脱出したと思ったら、100年に1度の危機と言われるリーマンショック、1000年に1度の危機と言われる東日本大震災によって、脱出後の成長率を吹き飛ばす形で成長が止まってしまった。もう全くもってイケテナイ時代に入ったわけだ。今までの日本は諸外国と比べて「リッチ」に暮らしてきた。それは解雇規制も厳しく、医療保障も厚く、増税からは逃げてきたことが原因と言えるだろう。今後こうしたことは急速に変化し、国や企業は手のひらを返したように「素敵な個人になりましょう」と言って僕らを引き離してくれるに違いない。そうなった時、いったい僕らはどうすればいいのだろうか。
1.組織において自分の代わりはいくらでもいるということを知る勇気
「明日は休めないんだ、僕がいないと会社が回らないからね」とか「僕はムードメーカーだから、学校で重要な役割を演じているんだ」というセリフをどこかで聞いた事があるかもしれない。これは過信以外の何者でもなく、大きな組織の中で、特定の個人の必要性はほとんどない。たとえ年間10億稼ぐトレーダーがいなくなったとしても、会社の利益の中では多寡がしれてるし、トップセールスが辞めた所で痛くもかゆくもないだろう。
プロ野球界という優れた個人で組織された集団でさえも、名プレーヤーが一人や二人いなくなったところで、ファンはあっという間に新しいスター選手を見つけ、その人の虜になることだろう。芸能界で「キムタク」や「AKB48」が急に引退しても、きっと1年も経てば新しい優れた才能を持つ人が誕生し、世を賑わせているに違いない。
だから企業で勤務しても、無理して愚痴や不平不満をぶちまけながら働くよりも、転職をしたほうがよほど素晴らしい世界が待っているかもしれない。今までの日本は転職という概念に閉鎖的で、受け入れてこなかった。だから、転職をすればするほど生涯獲得賃金は下がっていったのだ。しかしながら近年、企業は人材育成費用を軽減出来、ある程度確定利益が見込める転職市場に確実に魅力を感じている。これは最もなことであるし、今後も増加していくに違いない。
ただこの足かせとなっていたのが日本の厳しい解雇規制である。相撲の八百長問題が現在も問題になっているが、本件で解雇された力士も訴訟を起こせば、解雇不当により現場復帰出来る可能性は大いにある。それほど、従業者有利な法律なのだ。
こうした不透明な時代に突入した現在、こうした解雇規制は、企業にとって人材流動性を低下させ、人材コストを高止まりさせている悪しき慣習に過ぎないわけだから、きっと国に対して是正を求めるはずだ。そうした時僕らはもう無理して同じ会社で30年以上も過ごす必要性もなくなるし、他企業での受け入れも活発するに違いない。それはちょっぴりと賃金低下を招くかもしれないけど。
ただその分あなたは「自由」と「選択」を手に入れる事が出来るのだ。マーガレット・サッチャーはこうした時代を予期してこの言葉を発したのかもしれない「社会というものはありません。あるのは個人と家庭だけです」と。
2.誰かを解雇するという勇気
外資系企業では、「ダイバーシティ(多様性)」の観点から年齢、性別、人種に縛られることなく出世が可能であるし、現実にそうなっている。つまり自分よりも年上である人が、自分の部下になる可能性も十分に考えられるわけである。日本企業では想像も出来ないかもしれないが。また、結果を出し続けていれば、30代前半、はたまた20代後半でその部門のヘッドになることも十分に可能である。
恐らくこの慣習も余裕のなくなった日本で波及していくことは間違いないだろう。人を解雇するということは非常に厳しい事である。とりわけこれほど解雇規制が蔓延っている日本で1度解雇されれば、働き口は相当減る事になるからである。そうした文化背景を知りながら人を解雇に追いやるには覚悟と勇気が必要である。しかし、企業存続と発展のために必要なのであれば、誰かがやらねばならないだろう。
解雇を行なった多くのヘッドは精神的なダメージを背負う。ただヘッドはその分の業務コストを給料に上乗せされているので仕方のないことなのだが。陰口を叩かれ、時には自宅の窓ガラスが割られ、無言電話や嫌がらせのメールに遭遇するかもしれない。人材の流動性を上昇させれば、このようなことは起こるだろう。
これから日本企業も外資系企業と同じように解雇規制が緩和されれば、多くの人が誰かを解雇しなければならない局面を経験する可能性はあるのだ。その時がいつかくることを常に意識しておくことは大切なことであろう。
3.次に繋がる解雇をされる勇気
正直僕が解雇されたことがないので適切な意見を述べることは難しいが、人材流動性が過熱すれば誰もが経験しえることだ。現在の日本においては、不当解雇を訴え裁判にもちめば従業員がほとんどのケースで勝訴することになるだろう。そして勝訴すれば、その期間中の給料もしっかり手にする事も出来るし、多額の退職金も請求する事が出来るかもしれない。これがさらに人材流動性の低下に拍車をかけているのだ。敗訴すると分かっていることは企業もなかなか出来ないから、無理にでも窓際社員を作り、新人社員の雇用人数を削るわけだ。
ただ規制が緩和されれば、香港やシンガポールのように企業側の判断が優先されるに違いない。こうした時に企業に文句を言っても仕方のないことなので、潔く解雇通知にサインをし、次の職を目指す事が必要である。
これも流動性が高い国では、あらゆる企業で様々な人が行き来することになるので、職探しもスムーズであるはずだ。だから解雇規制の緩和は何も悪いことばかりではないのだ。ここでも個人の選択と自由は促進され、企業から開放されることになるにちがいない。こうしたことは若手社員が企業に新しい空気を入れる、そして上層部では野望とやる気を企業にもたらす適切な循環が起こる組織が構成されるに違いない。
年金制度は存続できるかわからないし、医療保障も継続できるかわからない。もう国や企業を頼るのをやめて、個人で運用や保証を思考・獲得していこうではないか。そしてこの残酷な世の中を「選択」と「自由」というアイテムを持って、楽しみながら過ごしていこうではないか。
*参考文献
自由はどこまで可能か=リバタリアニズム入門 (講談社現代新書)