孟子 | 囲碁史人名録

囲碁史人名録

棋士や愛好家など、囲碁の歴史に関わる人物を紹介します。

孟子

 

【孟子の生涯】
 中国の戦国時代の儒学者である孟子は、鄒(すう・現在の山東省)の出身で、名は軻(か)。字は子輿(しよ)。
 孟子は孔子の孫の子思の門人に学び、武力による覇道ではなく仁愛による王道こそが天下を治める道だと唱え、梁、斉、宋などで遊説しているが受け入れられず、晩年は郷里で後進の指導にあたっている。
 人の本性は善であると言う「性善説」を唱え、すべての人は惻隠(そくいん・憐み痛ましく思う),羞悪(しゆうお・不善を恥じ憎む),辞譲(じじよう・目上にへりくだり譲る),是非(正邪を判断する)という四つの感情、四端を持ち、それを努力により拡充し、仁・義・礼・智の四つの徳を得る事が出来ると提唱。
 儒教では孟子は孔子に次いで重要な人物とされ、儒教は別名「孔孟の教え」と呼ばれている。
 

【孟子の囲碁に対する考え】
 儒教正典の四書の一つ「孟子」に孟子の囲碁についての考え方が分かる記述がある。
 「離婁篇、第四下、百十九」に、孟子は世俗のいわゆる不孝なもの五つのうち、その二つ目として「博弈をして飲酒を好み、父母の養ないを顧りみざるは、二の不孝なり。」、つまり囲碁や双六などに熱中し、親の面倒を見ない事を不幸であると語っている。
 また「告子篇、第六上、百十九」では、「囲碁のような卑しいものでも、集中して取り組まなければ何も得ることは出来ない。弈秋という囲碁の名手がいるが、彼が二人の人物に囲碁を教えたとして、一人は囲碁が強くなりたいとただひたすら師の話を聞き、もう一人は、師の話を聞きながら、空を飛んでいる鳥が目に入り、弓を射って捕まえることを考えていたとするなら、後者は前者に遠く及ばない」と語っている。
 弈秋は当時のトップクラスの碁打ちである。
 物事に集中して取り組むことの大切さを説いているのだが、その引き合いに出した囲碁を卑しいものと表現していることから、孟子の囲碁に対する評価の低さが分かる。
 碁盤や碁石は易や天文の道具を転用したという説もあり、囲碁は宮廷を中心に普及してきたが、孔子や孟子の時代には庶民へも広がり賭博でも行われたことから、孟子は囲碁は学問の妨げであり卑しいものと考えていたと思われる。