先日、障害受容について書きました。
以前、私は親からみた発達障害の子へ対しての
見方や対応方法や、考え方を色々考えていて
本を読み漁った中でとても心に引っかかった物があるんですよ。
それが、障害受容。
私の知り合いでも、未だに諦めが付かない人もいます。
確かに、親が子供に残せる物はビックリする程に少ない。
だから、残していくのが恐くてたまらないから受容出来ないんですよね。
昔あった、3歩進んで2歩下がる様に
受容の階段も進みながら、後ろ下がりしたり
昨日よりも後ろの一歩からまた再スタートする。
面白いのが、私は自分は自閉症ですと
カミングアウトして笑顔で迎えられる場が
限られてしまうという事。
一つは、
「発達障害の子に対して、愛する方々や考える方々が
集まったランチ会」
こういう場では普通に受け入れてくださったり
受け流してくださったり、私も~という声や
うちの親戚も~家族も~と親しみのある反応をくれる。
次に、
息子の子供関係でもカミングアウトするならば
長く付き合うような、大きいようで小さな世界の
息子の学級でのママ達10数人にすると、
「あ~私もそうかもしれないわ~」「私も持ってると思う!」
と、同じく同調される事も多い。
しかし、
病院や学校でカミングアウトするものならば
「お母さん、まぁまぁ」と、謙遜するかのごとく
そんな事おっしゃらずにぃ~といった対応になっていくのですよ。
多分、病院や学校という物は
そういった子達をどうにかするべき場所だったり
そういった子達の対応を悩み相談されたり
どう社会性をつけたらいいか?の考える場なので
いきなり父兄がカミングアウトしてくるのは、例外なのかもしれない。
そもそも、医師や教師は
「うちの子は~」と泣きにきたり困った顔される」事が
多いから調子がズレるのかもしれない。
医師や教師は、子供が好きで選んだ職業の方々ばかりなので
子供に対しては、どんな行動や症状があっても
包んでいこうとする覚悟を持っているんだけどね。
でも、息子の子供関係で知り合うママさん達の場になったら
(グレーゾーンや健常の親御さん達等)
不特定多数場となると、珍しい生き物の様にみられるんだろうなと
思っています。
親子共々玩具にされるんだろうなぁと思うのでやった事ないけど。
受容までの段階も長い道のりではありますが、
長い道のりを越えて悟りの道へ行った後も
その先にはまだまだ道があるのです。
「諦めた」「考えてない」「向かい合っていない」といったバッシング。
世の中は、面白いもので
親が障害受容をすると、当事者の子供達は幸せなのですが
社会というのは、障害受容出来ていない親の方へ優しい風が
当たるようになっているのです。
なので、世の中は
「クレーマー」や「モンスター」の親に心地よい風が
一番先に当たるというように仕組みが出来ているのです。
もちろん、心地よい風を当てるようにするのは
支援側からのみではなく
親達も、そういった方々に
「ここが一番気持ちいい風がきますよ!」と譲る癖があるのです。
なので、親はそれを見てしまったり
悟り後のバッシングを見てしまうので
せっかく自分が受容できているのに
自分に自信が持てなくなってしまうのです。
これが、親側からの受容の最後のラウンド。
親側からそうなのですから、
一番大事なポイントである、受容すべき当事者の子供は
荒野が待ち構えているのは言うまでもありません。
その頃に親がまだ現役ならいいんだけど。
私の時は、産みの親はこの世にいませんでした。
なので、少しでも親御さん達には受容して欲しく勝手ながら
老婆心を持ってしまうのかもしれません。