これから本格的に

「不快がベース」

の世の中になっていくようだ


下準備が終わろうとしているようだ


いつの間にか

快適を保つ術を失い


不快を我慢するのが

当たり前になってしまった


日本人が我慢強かったのは

「またあの快適に戻れる」

という快適ベースの生活があったから


言い方を変えると

暮らしを愛していたのだ


何だかんだあっても

みんながいる

今の暮らしがいい


そう愛していたから


その我慢強さを

間違った形で利用されている


もっと、もっとを求める

今の暮らしを愛していない人が

増えたように思う


それは

不快がベースな人達


そこに大量に

移民が来るようなことがあると

一気にバランスは崩れる


善は悪に勝てない


今の僕はそう見ている


不快ベースだと

人の痛みがわからない


不快から快適になった

喜びはよく知っている


奪うことが得意だ

跳ね除けることが得意だ


快適ベースは

人の痛みがわかってしまう


快適から不快になった

大変さをよく知っている


労わることが得意

助けることが得意なんだ


それは後手後手に回る


歴史が繰り返している理由


善で始まり

悪が破壊し


学んだ人達が

また善で立て直す


学んだ人達が減り

刺激的な悪が持てはやされ

破壊を進める


それは人の体が

そういう作りだから


善は退屈なのだ


幼い頃に

善を積むと退屈になる


成長して

大きな悪が刺激的に感じる



幼い頃に

小さな悪を知ろう


小さな悪を知り

成長して

大きな善を作りあげよう


子供をみてあげたい

大人を解放してあげたい

日本を見ていて憂うこと

 

 

 

 

 

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