人の行動に関する実験の
記事を読んだ。

被験者1人に問題を出して、
答えていってもらう。

ただし、その場には
複数人のサクラが居て

時折、間違った答えを
サクラの人達は支持する。

その時に
被験者はどう反応するか。

サクラに合わせた割合は
米国人は37%
日本人は25%

この結果から
日本人はそこまで他人に合わせていない
と結論づける記事だった。

「この結論はあまりに短絡的」
僕はそう思った。

時折、サクラが『間違った答え』
を支持するとある。

『正解』がわかる問題で
他人に流されていることになる。

米国は銃社会で
和かに挨拶する習慣は
「敵ではないよ」の証。

相手を尊重する宗教的な教えと
自衛が根強い。

正解のない社会で
『誰が』『何が』
世の中を決めていくのか。

僕は幼い頃
政治が日本を動かしていると
思っていた。

先生が
学校を動かしていると
思っていた。

母親が
家庭を動かしていると
思っていた。

責任をとってくれていただけで、
動かしていたのは

自分を含めた
家族だし、
生徒だし、
国民みたい。

協力している
多くの人達で動いていた。

責任をとる側になって分かった。

みんなで動こう。

分からないものって怖い。
圧を感じる。

みんなで分かっていこう。

押し付けず、
支えて。