法を犯してまで、
廃棄物処理をする業者。
そんな記事を目にした。
僕はよく、
循環型社会を考える時に
江戸時代の仕組みを参考にする。
いつの時代も
「近くにあると嫌なもの」
を引き取る仕組みはある。
江戸時代だと、
それらを引き取り再利用していた。
「近くにあると嫌なもの」
を抱えている人
願いはその物が
「目の前から無くなること」
無くなれば、それでいい。
その後は興味がない。
ただ引き取ってくれた感謝の心はある。
「近くにあると嫌なもの」
を必要とする人もいる。
それは肥料になったり、
燃料になったり。
願いはその物を
「簡単に集めたい」
集まりさえすれば、それでいい。
その前は興味がない。
ただ集めてくれた感謝の心はある。
「近くにあると嫌なもの」
を仕入れて売る人
この人は
無料で仕入れて、お金にする。
働きが利益になり、
仕入れる側からも買い手側にも
感謝される。
現代の廃棄物処理の流れは
「仕入れ先から代金をもらう」
形になっている。
先程の
『「近くにあると嫌なもの」
を抱えている人
願いはその物が
「目の前から無くなること」
無くなれば、それでいい。
その後は興味がない。』
ために処理費用としての代金に
不満が出てくる。
処理内容に興味がいかず、
出ていくお金に興味を持っていかれる。
人として、
これは当たり前のこと。
ここに
「適切な代金を払え!」
「現場は大変なんだ!」
と言うと
「人間を辞めて、賢者か聖人に
今すぐなれ!」
と言っているのと同じになる。
産業廃棄物に、
価値をつけられる技術が必要かな。
それでも、
誰にも必要とされないものには
行政の介入が必要かもしれない。
人間関係にも言える。
上司に仕事を押し付けられて、
その見返りを
上司に求めるのも同じになる。
上司は仕事を片付けたいだけだから。
仕事をした経験に、
自分で価値をつける。
そうなって、
気持ち的に楽になった。