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父方の祖母が他界して、もう30年以上が経ちますが 今*tmm*の手元に届いた物。
祖母が作ったバテンレースの テーブルセンター・・・
母は幼い時に実母を亡くしているので、姑である父の母をとても慕っていたようだ。
*tmm*の子育て中も、子供を連れて実家に帰ると
育児の助言の冒頭には
「あなたたちを連れて田舎に行くとおばあちゃんはね・・・」と付いていたものだ。
その多くは寛容で 愛情溢れるものだった。
さすが、13人の子どものお母さんだ。
でも、そのうち7人を、幼いうちや戦争で失い、耳が聞こえなくなってしまった。
孫たちは「耳のばあちゃん」と呼んで、
いつもにこにこしているおばあちゃんが大好きだった。
田舎の大きな家の一番奥のとても日当たりのいい部屋で、
てしごととしている おばあちゃんの 後姿を確かに覚えているけれど、
内気で耳の聞こえないおばあちゃんと、
どうやってコミュニケーションととったらいいのかよくわからない*tmm*は
そっ見ていた記憶だけが 残っている。
でも母は何らかの 話をしていたに違いない・・・
祖母の米寿のお祝いには、全てではなかったけれど、大勢の親族が集まった。
記念撮影には1枚では収まらないと、
子とその伴侶たちとで1枚、孫とその伴侶とひ孫たちとで1枚と分けて撮ったほど。
ひ孫のだれかが 精一杯の大きな声で、
「次は白寿だな!」と 叫んだ。
おばあちゃんは、聞こえたんだか聞こえなかったんだかわからないけれど、
頷きながら いつもと変わらず にこにこして とても嬉しそうだった。
残念ながら、白寿を迎える前に 静かに次の世へ旅立って行ってしまったけれど、
正に大往生だったんじゃないかなと思う。
その後、母がいただいたのが、おばあちゃんのてしごと、
バテンレースの作品だ。
しばらく実家のテーブルに敷かれていて、
母は おばあちゃんが作ったものだと言って とても大切にしていた記憶がある。
状態を見てみると、所々糸が切れているけれど、
丁寧に、洗濯をし 糊付けしてアイロンがかけられている。
おそらく母は、大切に使ってから古くなった物を 捨てるのではなく、
手入れをして 保存することを 選んだのだろう。
昨年母を見送り、今*tmm*がこれを受け継ぐことにした。
おばあちゃんから、作り方を習えたら、どんなによかっただろう。
でも、「てしごと」をすることは
父と母も*tmm*と姉もしっかり受け継いでいることを 誇りにしたい・・・
【おまけ】バテンレースについて
祖母のいた地域では、明治時代に伝えられたバテンレースの製作が
農閑期やお年寄りの女性たちの仕事として栄えていたそうです。
日本で作られたものは高価で、イギリスやフランスなど海外に輸出されていたとか・・・
海外のアンティークとして出ている物の中には、
日本から輸出されたものもあるかも・・・なんて思うと
感慨深いものを感じてしまう。