本当の受け継ぎ、おばあちゃんのバテンレース  ~Heritage 1~ | てしごと、てしごと。Curl's House

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*tmm* のゆる~り てしごとの ブログです。







Forget not to be happy now ・・・・

ご訪問ありがとうございます。

父方の祖母が他界して、もう30年以上が経ちますが 今*tmm*の手元に届いた物。
祖母が作ったバテンレースの テーブルセンター・・・
grandma's handwork 1


母は幼い時に実母を亡くしているので、姑である父の母をとても慕っていたようだ。
*tmm*の子育て中も、子供を連れて実家に帰ると 
育児の助言の冒頭には
「あなたたちを連れて田舎に行くとおばあちゃんはね・・・」と付いていたものだ。
その多くは寛容で 愛情溢れるものだった。

さすが、13人の子どものお母さんだ。
でも、そのうち7人を、幼いうちや戦争で失い、耳が聞こえなくなってしまった。

孫たちは「耳のばあちゃん」と呼んで、
いつもにこにこしているおばあちゃんが大好きだった。 

田舎の大きな家の一番奥のとても日当たりのいい部屋で、
てしごととしている おばあちゃんの 後姿を確かに覚えているけれど、
内気で耳の聞こえないおばあちゃんと、
どうやってコミュニケーションととったらいいのかよくわからない*tmm*は
そっ見ていた記憶だけが 残っている。

でも母は何らかの 話をしていたに違いない・・・



祖母の米寿のお祝いには、全てではなかったけれど、大勢の親族が集まった。
記念撮影には1枚では収まらないと、
子とその伴侶たちとで1枚、孫とその伴侶とひ孫たちとで1枚と分けて撮ったほど。

ひ孫のだれかが 精一杯の大きな声で、
「次は白寿だな!」と 叫んだ。
おばあちゃんは、聞こえたんだか聞こえなかったんだかわからないけれど、
頷きながら いつもと変わらず にこにこして とても嬉しそうだった。

残念ながら、白寿を迎える前に 静かに次の世へ旅立って行ってしまったけれど、
正に大往生だったんじゃないかなと思う。

その後、母がいただいたのが、おばあちゃんのてしごと、
バテンレースの作品だ。

しばらく実家のテーブルに敷かれていて、
母は おばあちゃんが作ったものだと言って とても大切にしていた記憶がある。
状態を見てみると、所々糸が切れているけれど、
丁寧に、洗濯をし 糊付けしてアイロンがかけられている。
grandma's handwork 3

grandma's handwork 2


おそらく母は、大切に使ってから古くなった物を 捨てるのではなく、
手入れをして 保存することを 選んだのだろう。



昨年母を見送り、今*tmm*がこれを受け継ぐことにした。
おばあちゃんから、作り方を習えたら、どんなによかっただろう。

でも、「てしごと」をすることは 
父と母も*tmm*と姉もしっかり受け継いでいることを 誇りにしたい・・・





【おまけ】バテンレースについて
祖母のいた地域では、明治時代に伝えられたバテンレースの製作が
農閑期やお年寄りの女性たちの仕事として栄えていたそうです。
日本で作られたものは高価で、イギリスやフランスなど海外に輸出されていたとか・・・

海外のアンティークとして出ている物の中には、
日本から輸出されたものもあるかも・・・なんて思うと
感慨深いものを感じてしまう。