今日は昨日の続き。
終戦記念日に思い出すことの二つ目。
一昨年まで、
H国の領事館に日本語を教えに行っておりました。
そこの総領事ご家族には大変かわいがっていただきました。家が近かったので、お食事には本当によく誘っていただきました。それだけではなく、大学での講演、お子さんの学校のイベントやH国関連の行事に呼んでいただいたり、奥様とは旅行に行ったり、本当に仲良くしていただいておりました![]()
そんな時、領事のご両親が日本に来られたんです。その時、ケータリングを頼むからと、ご自宅での夕食に、家族水入らずの中、呼んでいただきました。
お母様は、少し足が悪く、歩くのが大変そうでしたが、お父様はとってもお元気でした。お2人とも、90近いのに、日本まで来られるなんて、すごいですよね。
お父様は、
画家をされている、ということで、領事のお宅にいくつか飾られておりましたが、「岡本太郎の絵かな?」と最初は思ったほど、本当にダイナミックな色使いで、そんなお年の方が描かれたとは思えない、躍動感溢れる絵でした。
そんなお父様の話。
お父様は日本からの観光客が多いことで知られるバリ島がある、I国で生まれ育ったそうです。ご存知のように、I国はずっとH国の植民地でした。
ちょっと、簡単に・・・
大航海時代、16世紀ごろから、香辛料を求めて、ヨーロッパの国々がアジアを目指し、17世紀には、H国が、H東インド会社を設立し、勢力を拡大して19世紀のはじめ、ほぼ今のI国の領土がH国領に。(ちなみにその時、シンガポールはイギリス領に。)
その後、20世紀の初め、スカルノたちによる民族主義運動が始まったが、H国に制圧される。そんな時、1941年、太平洋戦争が開戦し、翌年、日本軍の東インド侵攻で、一時日本領に。
日本軍はH国に囚われていたスカルノを解放し、民族運動を奨励。H国が認めていなかったイスラム教を認め、教育も、I国語と日本語の両方で行った。(だから、バリ島とかへ行くと、日本語がお上手な方が多いし、色んな日本語の言葉がそのまま使われております。)
さて、話を戻します。
領事のお父様は、日本が占領していたときに、捕虜として捕まっていたそうです。
それは・・・私に気を遣ってお話になりませんでしたが、かなり酷い仕打ちを受けたようです。
毎日生きているのが辛くて辛くて、朝起きて最初に思うことは、「今日も生きている。今日は何をされるのか。」と思ったそうです。お仲間は「早く殺してくれ」と叫んだために、目の前で殺されてしまったそうです。
そして、私達には、忘れられない、8月6日、8月9日に原爆が投じられ、一気に戦争も終息へ。
私達にしたら、本当に許されない、憤りを感じる出来事です。ありえない、何て非人道的な、そう思います。もちろん、私は今でも「あれは、酷すぎる、他に方法はなかったのか。」そう思えてなりません。
ですが、
「アメリカがあれをしてくれたから、私は解放されたんだ。地獄のような毎日から解放された。あれがあったから、私は今、素敵な家族を持つことができた。あなたはどう思うかしらないが、本当に感謝してるんだよ。」涙を浮かべて、そう言われました。
何も言えませんでした・・・。お父様のお気持ちはよく分かりますが、やはり、原爆投下は、絶対に許されるべきことではなかった、そう思ったからです。
その次の週に、領事の日本語レッスンでオフィスを訪ねたとき、お父様達が日本に到着されたときのことをお話になりました。
「関西空港から、うちに来る時に、高速道路を使うよね。その時の料金所のおじさんが、とってもニコニコして、『ありがとうございます、気をつけて!』と言ったんだ。そしたら、父は、「日本人でも笑うんだ。日本人が笑うところをはじめて見た。」そう言ったんだよ。」
私はその話を聞いて、泣いてしまいました。
また、あんなに憎んでいた日本に自分がいることが、本当に不思議だし、自分の息子が日本に赴任になったのは、何か運命を感じる、そして、日本に来て、色んな日本人に会うたびに、自分が受けたことが、夢のように思える、と仰っていたことを聞きました。
最後に、「brown greenが、使えるようになるかもしれないって言ってたよ。」
お父様はbrowngreen の色は絵には全く使わないそうです。日本軍の服の色です。
そして、お父様が帰る前に、是非私にもう一度会いたいと仰っている、ということで、お父様、領事ご夫妻、私の4人で、イタリアンのお店でお会いしました。
その時に、「あんなことを若いあなたに話してしまって、本当にごめんなさい。困らせてしまったね。話すべきではなかったね。」と言ってくださいました。
私は、「本当にごめんなさい。私が想像できないほど、日本人がしたことは本当に酷いことだったんでしょうね。戦争は人を狂わせます。でも、酷いことをしたことは事実です。日本人の一人として、謝ります。本当にごめんなさい。」
そういうと、お父様は、私を抱きかかえて、大泣きしながら、「ありがとう、ありがとう」と言ってくださいました。
領事と奥様は、「ね、お父さん、心配しなくても、Kittyなら大丈夫って言ったでしょ?」「Kittyは普通の女の子じゃないんだから。」
と聞き捨てならないことを仰っていましたが・・・
お父様が帰られてから、私の言葉で、日本から解放された、日本に行って良かった、と仰っていた、と聞いて、私も本当にホッとしました。
私たちは、もちろん、日本人ですから、日本の立場からあの戦争を考えます。
でも、戦争ですから、相手の国があり、同じように傷ついた人が何万人といるわけです。その人たちの立場になって考えることも、忘れてはならないことです。
特に私の仕事・・・外国人の人たちを相手にする仕事です。相手の国と日本との歴史的関係をある程度理解し、日本に対してどんな心情を持っているのか、知っておく必要がありますね。
また、戦争を体験した人たちが、どんどん少なくなっています。貴重な経験をされた方達のお話が聞けなくなってきたわけです。私もどうしてもっと祖父に、きちんと話を聞いておかなかったのだろう、と悔やんでおります。
風化させてはいけない事実です。事実をちゃんと捻じ曲げずに理解し、それを機にに起こった今の領土問題なども考え、次の世代にちゃんと語れるように、引き継いでいかなければなりません。
戦争は人を狂わせます。私たちは今のところ、武器を使うことなく平和に暮らしています。まだまだ内戦が耐えない地域、紛争している国々、世界にはたくさんあります。犠牲になるのはいつも弱い子供達です。
本当に、心から戦争の無い世の中になることを祈るばかりです
ちなみに・・・戦後、日本が降伏したあと、再びH国がI国を植民地化しようとしましたが、スカルノ指揮の下独立戦争に発展。I国側には、連合軍の勝利に納得できなかった日本兵なども加わり、率先して戦ったようです。I国は、日本が占領した国の中で、数少ない親日家が多い国です。その独立戦争の時、自分の国でもないのに、命を懸けて戦った日本兵の功績が理由のようです。