今日は終戦記念日。


あの戦争から66年が経ったのですね。

今年の春に、鹿児島の知覧で見た特攻隊の資料は、語り部さんのお話をちゃんとお聞きしたからでしょうか?自分が思っていた以上に衝撃を受けたようです。また思い出して泣いてしまいました。

今年は、正午の黙祷を、いつも以上に真剣にしました。

http://ameblo.jp/curiouskitty/entry-10882577036.html  ←こちらで知覧に行ったときのことを書きました。


終戦記念日、といえば、私たちは日本人ですから、日本側のことをいつも考え、思い出すのですが、あの戦争は、私たちだけの物ではなく、世界中を巻き込んだ戦争だったと言えます。そこで、毎年、この日に思い出すことが二つあるのですが、今日はその一つ書いておこうかなと思います。


アメリカでの生活を送っていたある日のこと。

その前に、ちょっと、私がいたところ、していたことを、ちょっとご紹介。


1年目は普通に学校で働いていたのですが、2年目は、日米協会というところに配属になりました。日米協会っていうのは、日本とアメリカの架け橋になる事務所で、主に、日本企業が、アメリカに工場や支店を出す、ということになると、その交渉のお手伝いをしたり、日本からのVIPが来る時のセッティングをしたり、そこに新しく赴任してきた日本人家族を、企業から依頼を受けて、サポートしたり、などなど、「日本から来た人達が、アメリカでトラブルにならないように」お手伝いするような、団体です。


本当にありとあらゆる仕事をさせられました、いや、貴重な経験をさせていただきました。

というのも、そこの日本人スタッフは私だけだったので、そこに来る日本語が必要な事務的な仕事は、すべて私の仕事になったため、通訳、翻訳は、もちろん私の仕事、その他にも、日系企業が多かったので、色んなところに車で出かけて行っては、日本語や日本の文化、生活習慣を紹介する、という仕事をしておりました。


私が赴任したところ・・・I州ですが、この間のマシュマロマンがここから来ておりました。「私もI州に2年いたよ!」と言うと、むっ「何でアメリカで一番イケテナイ州にいたの?本当にかわいそう・・・、I州だなんて・・・」と言われました。自分が住んでいるところだっていうのにね。


確かに・・・ そういうレッテルを貼られている州です。(私が知っている限り、ワースト2だったと思うのですが・・・)でも、私が感じたのは、本当に小さいアメリカだな、という感じ。この州が本当のアメリカの縮図だな、と思って過ごしておりました。


人種差別・・・嫌って言うほど受けました。「世界の狭い、かわいそうな人たちだ」、と思うようにしておりました。

この州は、本当に田舎で、KKKが発祥した州です。だから?きちんと住む場所に「色分け」がされています。

本当に、映画で見るような光景がありました・・・十字架が庭で燃えていたり・・・片田舎のお手洗いは、使われていない、と言っていましたが、未だに、「白人」、「それ以外」という区別があったり・・・


ついでなので、ちょっと、象徴的かな、と思う話を。

私がホームステイしていたときですが、そこのホストのお母さん、学校の先生だったんです。「色分け」ができている州ですから、学校もきちんと、「色分け」ができている学校が多く、そのホストのお母さんは白人の人でしたが、働いている学校は、ブラックアメリカンの子供達の学校でした。

ある日、そのお母さんにお願いされて、日本のことを紹介しに行ったんです。それが偉く気に入ってもらえて、あるご家族ととっても仲良くさせてもらえるようになったんです。そして、そのお家にご招待された時のことです。

お母さんに、「○○さんちに行ってくるね。」と言うと、「あのエリアはブラックアメリカンのエリアで危ないから、本当に気をつけなさいよ!行かなきゃいけないの?心配だから、本当は行かせたくないわ。」と言われました。そこから来ている生徒達を教えているのにね。これにはビックリしました。

http://ameblo.jp/curiouskitty/entry-10801645565.html ←全然関係ないトピックで書いておりますが、ここに出てくるJudyです、まあちょっと、変わった人ではありましたが・・・ガーン


まあ、そんな場所です。。。簡単に言ってしまうと、本当にconservative なところです。


そんな背景がある中、あれは忘れもしない、ある木曜日のこと。

木曜日は、日本で言うところの「テクノパーク」みたいなところに、日本語を教えに行く日だったんです。

どういったらいいんでしょうか・・・大きな敷地内に、自動車のパーツを作る小さな工場がいくつかあり、その敷地内は、本当の公園みたいになっているんです。体育館やテニスコート、Sバックスがあったり、ホットドッグが売っていたり、ジョギングしたり、散歩したり、できる感じになってます。

工場が連携できるようになっているし、働く人たちも、環境がいいので、とっても働きやすい感じですニコニコ


その敷地内で、3つレッスンがあったんです。

一応、3つの違う工場を回るのですが、教える内容は同じなので、違うところで働いている人も、時間の都合に合わせて来る事ができました。そして、それが、大学の単位になってたんです。最後には成績表と、認定証のようなものを、書いて渡しておりました。


その仕事自体は、本当に楽しくてやりがいがあったんです。ただ、そこに行くには、オフィスのあるダウンタウンから高速を使って、40分ほど車を走らせなければならない、本当に田舎に行かなければなりませんでした。


そして時間が本当に中途半端・・・2時半から4時、4時半から6時、6時半から8時、という感じだったので、最初の頃は、お腹がすいて、ヘロヘロになってしまってました。授業と授業の間は移動時間と準備で潰れてしまうので、2時くらいに遅めの昼食をとって、授業に臨むようにしていたんです。


いつも決まった場所で昼ごはんを食べていました。高速の出口を降りたすぐあたりにある、TacoBellというメキシカンのファーストフードです。


いつものように、座って食べていると、高校生達が私に、「中国人?日本人?」と、聞いてきたんです。私は、「日本人よ」と言うと、

F○○○ up, JAP!」と言ってきて、「パールハーバーを返せ!」「お前なんか、日本へ早く帰れ!」と、言ってきたんです。

最初は英語が分からない振りをしようかな、とも思ったんですが、何となく、何か言わなきゃ、と思ったんです。(その頃の私は若かったし、割と怖いもの知らずでした。今なら何も言えなかったと思いますが・・・にひひ

あなたたちは、日本の何を知っているの?アメリカは何をしたのか知っているの?」そう言い返しました。

その後、彼らは、「おまえらは負けた」「日本人は全員出て行け!」「負けた犬が俺達の国に入ってくるな!」など、罵るだけ罵って、去っていきました。


そして、店の人が、「大丈夫?」と心配して来てくれました。

私は、「ありがとう、大丈夫よ。」と言うと、

「でも、おれのおじいちゃんも、パールハーバーで、亡くなったんだ。君が悪いんじゃないって分かってるけど、オレも日本人は大嫌いだよ。」と言われました。


高校生達に罵られたことよりも、その店員さんに言われたことの方が応えてしまいましたしょぼん

そして、次の週から、そこで昼ごはんを食べるのをやめました。

高校生に会うかもしれない、っていうよりも、私が行くことで、その店員さんに不快感を与えるのじゃないかって思ったからです。


その時のことを、飲みに行った席で、上司に言いました。上司、というよりも、本当にこの人は、私のよき理解者であり、いい飲み友達でした。

http://ameblo.jp/curiouskitty/entry-10903502398.html  これは長いのですが・・・途中に出てくる、最近結婚した人です。


その飲みに行った次の日、上司のオフィスに呼ばれて、

「Kittyは、大人だし、ちゃんと受け止めてくれると思うから、本当のことを言うわね。」

そう言って、たくさんの手紙を見せてくれました。

何が書いてあったかというと、赤字で「パールハーバーを忘れるな!」とか、「日本を手助けするなんて、お前達がやることは、非国民がやることだ」とか、「そんな活動はやめろ」というものでした。

中には、私宛の手紙もありました。「折り紙なんかで、子供達を洗脳するのはやめろ!」と書いてありました。


私達がやらなければならないことは、本当にたくさんあると思うのよ。私は日本が大好き。大好きじゃないと、こんな仕事できないからね。まだまだ、ここの人は日本のことを知らない。だから、もっとアクティブに活動して、いろんな人に知ってもらわないとね。Kittyは辛いことが、これからもたくさんあると思うけど、助けてね。」

と言われました。


その後に、その地域は特に、車のメーカーTやIが進出してきたため、アメリカの車メーカーでリストラに遭った人が多く、「日本」に恨みを持つ人が多い、ということを聞きました。

確かに、私が行っていたそのテクノパークはすべて、Tの下請工場でした。


今日もまた、その日のことを思い出してしまいました。

明日は、毎年思い出す、もう一つのことを書いておこう、と思います。



にゃー  今日も、みんなの絵文字が使えない・・・


今日はRさんのレッスンでした。北野はT国からの団体で、すごい人でした~!!!