新聞記事を読んでいた。
この人たちに、新聞記事を読ませるのは、拷問と一緒!![]()
それでも、受験が近いからか、一生懸命食いついてはくる。
健気な人たちです![]()
そのまま新聞を渡しても、まるっきり読めないので、いつも、漢字とか、分からないだろう単語を書き出して、まずは全部説明をしてからやる。
その日は、奄美の豪雨についての記事。
一応、読む前に、ニュースを見せている![]()
映像でもないと、文字だけでは理解不可能!![]()
そして、本当に「ヒ~!」と唸りながら、それでも、頑張って、概要が書いてあるところまで読んだ。およそ、全体の四分の一。
この記事全体、日本人なら、3分で余裕で読める。彼らにとっては・・・言葉の説明から入れると、その四分の一読むのに、30分はかかる!![]()
時間が残り10分。さてどうしようか?
「どうする?全部読む?」
「先生が読んで、説明してください。」
「何が書いてあるか、知りたいけど、漢字が多くて、分からないから、説明してください。」
「内容が分かることが、大切でしょ?」
まあ、そうだね。じゃあ、そうしましょう。
ということで、私がざ~っと音読しながら、一文ずつ、分かりやす~い言葉で意味を説明しながら、一応読んだ。
その中で、
「2人が生き埋めになり、男性が救助された。さらに、男性の母親(88)の救助を進めたが、午後10時半ごろ、捜索を打ち切った。」
という文があった。
その説明をし終わるや否や、
「何で助けない?
」
おお、そうきたか。そうだよねえ。
「何でだと思う?」
口々に、「諦めた。」とか、「無理だから」とか、「分からない」という答えが返ってきた。
「でも、死んでいても、その死んだ体、普通は探すでしょ?」
「そうだよね。」
「なんで、探さないの?」
「何でだと思う?」
「それ、本当に分からない。」
「1人は、助かったから、もう1人も、もしかしたら、助かるかもしれないでしょ。」
「でも、何時に探し始めた?」しばらく間が空く。一生懸命読んでいる。
「あ、6時49分ごろ、連絡があったから、7時ごろ」
「そうだよねえ。で、埋まっている人は何歳?」
「88歳。」
「生きてるかな?何時間探した?」
「3時間半くらい。」
「死んでると思うけど、体はあります。」
それで、本当に分からないというので、私なりの意見を言ってみた。
「私も分からないけど、家族の人が、決めたと思うよ。私も、きっと、自分の母とか父が、そのくらいの年だったら、もういいですって言うんじゃないかな。」
「なんで?諦める?家族は大切じゃない?」
「きっと、助けてくれる人は、1人とか2人じゃなくて、5.6人くらいいたと思うし、その人たちが、一生懸命、雨の中、3時間半も探してくれるのを見ると、申し訳ないと思うでしょ?それに、もしかしたら、その場所だけじゃなくて、違う場所でも、土砂崩れがあって、もし、もっと若い人が、生き埋めになっていて、そこに行くのが遅くなったらどうする?その人だったら、早く助けてあげたら、助かるかもしれないよね。生き埋めだけじゃなくて、他の場所で困っている人がいるだろうしね。だから、生きてるかもしれないけど、きっと、難しいだろうし、ここの場所だけに、時間をかけてもらうのは、申し訳ないと思ったんじゃないかな?そのときにしかできないこと、後でもできること、それを考えたんじゃないかな。」
「それ、おかしい。」
「ほんと。家族じゃない。つめたい。」
「たぶん、それを言うのは、日本人だけです」
「分かります。」
「え~、分かる~?」と分かりますと、言った子に、非難!
そう、このクラスでは、1人を除いて、全員、この「打ち切った」行為には、かなり否定的だった。
「先生が生き埋めになって、死んでも、ちゃんと、体は見つけます。」
「ありがとう。」
「みんなで、ちゃんと、さがしますから。安心してください。」
「ありがとう。生き埋めになっても、大丈夫だって、ちゃんと両親に言っておきます。」
日本人は冷たいのでしょうか?