「グプタなんて名前・・・言いにくいな~。こんな人、ホンマにいるんやろか。」
「ほんまに。こっちはタワポンやて。誰や。」
「これは、マイクミラーやで。分かりやすいわ。」
おじいさん、おばあさんの集団。ドトールの大きな丸テーブルを囲んで、こんな話をしておりました。
どっかで聞いた名前・・・前にいた生徒の名前だったかな?何だっけ??![]()
「・・・・それにしても、大きいやら、小さいやら教えるんやろ?どないします?」
「絵とか写真とか見せてって、先生言うてはったやん。そんなん、どうしたらいいのやろう?」
「図書館で、絵本でも借りてきましょうか?」
「対比して見せんと、とか言うてはったなあ。」
あ!!!思い出した!っていうか、ええ~?ええ~!!![]()
グプタ、タワポン、マイクミラー、これは、「みんなの日本語」という初級教科書の登場人物。
耳だけダンボにして、思いっきり盗み聞きしてたけど、思わず、乗り出して、その集団の方を見てしまった。
案の定、思ったとおり!まっさらであろう、「みんなの日本語」を手に取り、なにやらみなさんで、談義されていた。
「大きい、小さいは、
象の写真か、よくありますやんか。
小象が一緒に写ってるようなんを、見せて、大きいと小さいって言うたら分かるんとちゃいますか?」
「ああ、それなら動物図鑑とか持っていったらよろしいなあ。」
なるほど、いいかもね。対比できるしね。でも、かなり危険!
それでやると、「おおきい」を「親」、「ちいさい」を「こども」と思ってしまう可能性大!
まあ、大きいと小さいくらい、知っていてもよさそうだけどね。
「チーターもあるから、早いとかねえ。」
「ああ、孔雀で美しいとか。ああ、いろいろできますやん。
」
「動物図鑑、そのこの図書館で借りてきましょか。」
おお、何と危険な!![]()
そのグループに習った人たちが、ちゃんと分かってくれることを望むばかりです。
おそらく、このおじいさん達は、ボランティアで日本語を教えることになった人たちなんでしょう。
どういう経緯でそうなったかは、分かりませんが、聞いている感じでは、そんなに前向きな感じはしなかったので、ちょっと「やらされてる」感があったような気がします
さて、ボランティアで、日本語を教える人、本当に頭が下がります。
ただ、ちゃんとやってくれていれば、です。
本当に厳しいことを言えば、安易な気持ちで、日本語を教えるのはやめてほしいな、って常に思います。
よく、「日本人だから日本語は教えられる」と思っている人がいるのですが、大きな間違いです。まだ、英語を教えるほうが、簡単です。なぜなら、英語は習った経験があるからです。
日本語は、気がつけば、話せるようになっていたし、聞けるようにもなっていたし、言葉も知らず知らずのうちに覚えてます。文法だって、なんだか分からないけど、使えてます。
適当に教えるのだけはやめて欲しいな
尻拭いをするのは私たちです。間違いを直そうとしたときには、もう手遅れっていうことが本当にあります。
人間、最初に言われことが、一番素直に聞くし、一番定着してしまうもんです。
「よ」「ね」の違いとかは、よく、「女は「ね」を使う。男は「よ」を使うことが多い」なんて習う人が多いようです![]()
「先生、今日、みんなでビールを飲みます。先生も行きますよ」
「え?どの先生?」
「もちろん、Kitty先生です。」
「え~?!聞いてないよ。
」
っていうことが、一度や二度じゃない。誰が決めたの?って感じ。
最後の「先生も行きますよ」の「よ」は「ね」じゃないと、おかしい。
男だから「ね」を使ったら、ゲイだと間違えられる、と思っているようだ。そんなふうに習ってしまったら、そう思うのも仕方がない。
ボランティアの人たちを全否定するつもりは全くない。もちろん、そういう人たちがいてくださるからこそ、助かっている部分もたくさんある。その気持ちは非常にありがたいと思う。
だけど、「できること」、「できないこと」、は、はっきりさせる必要があると思う。上級者にいろいろなトピックで話してもらうとか、非漢字圏の人たちに漢字を教える、とか、本当に学習者のためになる。私にはできないことも、たくさんある。
初級の本当に大切なところを、全くの素人に丸投げしてしまうのは・・・どうだろうか
微笑ましくもあり、ちょっと疑問にも思った昼のひと時でした。
でも、こういう光景、これからも増えるんだろうな。確かに、楽しそうではありましたし、いい老後の過ごし方ではあるな、と思いました。