今日はちょっと問題が起こったみたい。
「みたい」というのは、自分のクラスのことだけど、今日は、他のクラスの担当だったので、直接ちゃんと聞いてないから、「みたい」としか言えない。
そして、今日は、ちょっとデリケートなトピック
今まで経験したことを通して書くけど、あくまでも、「主観」で書くので、うそ偽りがあるかもしれないので、国名はバレバレだと思うけど、アルファベットで書きます。
(言論の自由がある国でよかった
)
ちょくちょく登場する
Nくんと、初登場
Jくんの話。
Nくん、本当にとってもいい子。だけど、ちょっと世界を知らない。ちょっと子供っぽい。N国の人。
Jくんは、ちょっとお兄さん。そして、ヨーロッパに住んでいたこともあり、いろいろ経験している大人。I国の人。
Nくんの国の人と初めて話すとき、必ず、「先生は、お釈迦様はどこで生まれたか知ってますか」と聞かれる。
そこで、「I国だよ」と答えると間違い。
おそらく、ほとんどの日本人は、I国だと思っていると思う。
だけど、お釈迦様は、N国で生まれた。ここの国の学生で、たまに、「シャーキャ」という名前の子がいる。これは、釈迦のN国の名前。とっても自慢げだ。
日本にいるN国の人は「なんでこんな常識、日本人は知らないんだ?なんでI国だと思ってるんだ?」とちょっとムッとしている人が多い、と思う。
さてさて、特にN国とI国が仲が悪いという話は聞いたことがない。I国は、パキスタンとあまり仲がよくないのは周知のとおり。実際、学生同士もちょっと気まずかったりすることもある。
Nくんは、ヒンドゥー教。N国の約80%がこれを信じている。そして本当に生活の一部だ。毎日欠かさずお祈りをし、タバコは絶対にしない(ということになっている)、牛も食べない。
Jくんの国、I国も、同じく80%くらいの人がヒンドゥー教を信じている。だけど、I国は、かなり広い。北と南とでは、全然違う。Jくんは、ヒンドゥー教徒ではない。本当に敬虔なクリスチャン。毎朝のお祈りは欠かさないし、Jくんは特に、宣教師として日本に来ている。
I国は、ヒンドゥー語が公用語だ。一応そうなっている。北の人は、ヒンドゥー教徒も多いし、ヒンドゥー語を話す。だけど、Jくんは、南の出身だ。だから、ヒンドゥー語を全く話さない。話すのは、自分の地域の言葉、そして、英語だ。
I国は、言語が800以上ある。Jくんによると、南のほうの人は、ほとんど英語を話すけど、ヒンドゥー語を話す人たちはほとんどいないそうだ。(南の人たちは、公用語がヒンドゥーなのをよく思っていないらしい)
で、話を戻すと、
4月からNくんとJくんは、一緒に勉強している。
Nくんは、最初から、「先生、Jくんは、本当にへんなI国人です。I国人なのに、ヒンドゥー語が話せないんですよ」
と言っていた。
熱心なヒンドゥー教徒のNくんからすると、Jくんがクリスチャンなのが、まず、気に入らないようだ。
Jくんが、「毎朝、きれいに礼拝堂を掃除してから、神様にお祈りをして、そしてみんなで朝ごはんを食べてから、シャワーを浴びます」というと、
Nくんが、「私たちは、まず最初に神様に会う前に、きれいにシャワーをしてから、神様にお祈りします。そうじゃないと、神様に失礼でしょ?」と反論。
Jくんは、大人なので、そんなNくんの子供っぽい言動を受け流していた。
Nくんは、子供っぽいので、I国の人は、当然、ヒンドゥー教を信じて、ヒンドゥー語を話すのに、何で(自分が大切にしている神様を無視して)他の神様を(しかも、他から入ってきたものを)信じるのか、しかも、言葉も英語だし、という思いが強いようだ。
(Nくんは、英語があまり話せないことにちょっとコンプレックスも持っている・・・
)
そして、四月からの約5ヶ月間、Jくんは、ずっと我慢をしてきたようなのだが、先週末、うちの学校は、修学旅行に行っていた。(だから、三朝温泉に行けたの♪)
そこで、どうも問題が起きたらしい。
実際にだれも見ていないし、誰も聞いていないので、真実は分からないが・・・
今日、
Jくんが、「先生、今日で、私は学校をやめます」と言ってきた。
「え~~~~~!!!!」と廊下中に響き渡る声で驚いてしまった。Jくんは、本当に熱心で、人一倍努力家で、今度の能力試験も意欲的だったので、本当にびっくりしてしまった。
最初に書いたように、私は今日、他のクラスの担当だったので、それしか聞いていなく、他の先生が対応して、どうにかこうにか、明日は来るように説得してくれたようだ。
「理由は、気持ちが落ち着いたら、kitty先生に言います」と言って、ほかの先生には話さなかったようだ。
おそらく・・・堪忍袋の緒が切れたのではないか、と思う・・・・![]()
自分が信じている神様が、否定され続けるのが、たまらなかったんだと思う。
宗教が生活のすべてを支配してしまうことも多い。
宗教が時には、自分の意思を超えてしまうことも多い。
本人はテストを受けたいと思っていたのに、どうしても自分の意思を貫けず、お祈りを優先させて、テストを受けられなかった人もいた。
(とある国で)レイプされて、子供を妊娠してしまい、でも、中絶はその宗教では絶対に禁じられているからと、見ず知らずの人の子供を3人も産んだ人に会ったこともある。
日本に来て、3年生活した人で、「神様の教えだからと思わず、自分の意志や良心で、行動を決めてもいい、というのが初めて分かった。どうして、私は、この宗教を信じているのか、考えてみる」と言った友達もいた。
私は日本に住んでいて、そこまで宗教と密着した生活はしていない。
今日、こんなことがあったので、もう一度、宗教と密着した生活を送る、とはどういうことなのか、考えてみようと思った。
みなさんはどう思いますか?