思い出すように、父の病気のことを。。。
絶対的存在だった父が
今は体重40キロもなく、
ベッドの上でフルフルしている。
ふくらはぎの太さなんて、私の腕ぐらい。
でも、意識のしっかりしてきたこの頃は
眼光も戻り、記憶力のしっかりしているところを変わらずに見せてくれる。
姉が
「広島の原爆ドームに行きたいんだー」
という。
母が
「いったよねー、お父さん」
父
「俺は行ってない」
母
「あ、○○ちゃん(母の妹)といったんだー! お父さんが調子悪くて急に頼んで」
母の定年退職に合わせて、
姉と旅行券の積み立てを数年していたの。
したら、母、早期退職してあわてて解約 笑
満期時よりは安かったけど、数万円にはなったので、
その旅行券で、父と二人広島に行く予定だったんだよね。
だけど、父が鬱でだったか他の体調不良だったかで行かれなくなり、
母は妹と行ったのでした。
他にもね今回の入院先の看護師さんにも言われました。
精神科病棟から、外科病棟に移る時の、精神科の看護師さんに。
「○○さん(父)は真面目ですよねー。朦朧としてらっしゃるときでも、
看護師同志での会話を聞いて、関係がないのですけどお返事をしてくださるんですよー。」
って 笑
父らしいなー。
初めてね、父が大病を患ったのは50歳の時。
私に似て(逆ですね)、腸の弱い父。
調子が悪いのが続いていたのに、病院には行かず。
病院嫌いも私に似て…笑
母は42歳ぐらいだったのかなー?今の私と同じぐらいか年下だね。
私は専門学校の18歳。
姉は20歳か21歳でニートをしておりました笑
突然突然に父が入院することになったと。
あの頃はまだ本人に告知などもすることなく、
家族だけが大腸がんだと知らされました。
他の患者さんの手術予定を変更してまでの緊急手術…と言われて、
事の重大さに家族は不安でなりませんでした。
でも大腸を空にしなくてはならず、
1週間とか絶食して45キロ以下ぐらいまで体重は減り・・・手術。
もうね、ダメだと思ったよ、あの時は。
手術を待つ時間も長くて長くて。
やっとこ手術室から戻った父に会えることになり
まだ麻酔の切れていない朦朧とする父を見て、
母、姉、私と号泣したんだった。
病院にいるほかのお見舞い客さん達からみたら、亡くなってしまったと思われたろうね。
それぐらいに
”昭和の父””いつも自分たちを守ってくれる人”
というイメージが無く、心細くなったんだろうな。
(これは私の意見ね)
それから約20年近く。
体重も60キロ超え~とかもしたし、お酒もたばこも復活していた。
68歳ぐらいだったのかな。
今度は胃がんがわかりました。
私は二度目の結婚生活をしていて、その時の自宅の近所でパートをしていた。
昼休みには自宅に戻りランチを食べていたのだけど、その時に母から電話。
「お父さんが胃がんだって」
その報告を受けてから、午後の勤務のため会社に戻り、
でも泣きそうになりながら仕事をしていた。
とてもステキな、もう天使のような心を持った女子社員さんがいて
(私は漫画ドラゴンボールの孫悟空のような子だね、と言っていた)
私に話しかけてきたのだね。
涙をこらえて仕事をしていたので、話しかけられたことにより
涙があふれてしまった。
「どうしたんですかー?大丈夫ですかー?」
って肩を抱いて心配をしてくれて。
詳細を伝えることが出来ず、大丈夫ですって。
この時も、胃、全部摘出…と言われてたのに、そうならずに済み。
その2年後ぐらいには肺ガン。
もうね、こうやって、父は少しづつおじいちゃんになってくれました。
すごくありがたいこと。
18歳のあの頃、健常に生きていた父が突然に亡くなってしまったら
私は今のように受け止めることはできていなかったでしょう。
如何せんね、最初に大腸ガンがわかった時なんて、
ガンになった父をかわいそうと思うより、
大切な旦那がガンになってしまった母を支えようと思うより、
”18歳の私はこれからどうするのよ”って思っていたんだ。最低だよね。
しかも、当時の母。
同居していた自分の父親も胃ガンになり・・・。
父は50歳にして転職したばかり。
さ、これから自立しましょ!って時にガンになり、
サラリーマンでないから病欠手当とかもなく…。
母方のおばあちゃん、ニートの姉、専門学生の私、
家のローン…夫と父親の病院代…
そして平日は仕事に行き帰りは職場近くの父の病院へ
休日は二人の娘を車に乗せて、旦那、父、旦那、という順でお見舞いに行き。。。
全然、力になってあげれなかったね。
流石にこれを書いていると涙が出そうになるや。
よし。
母の頑張りを思い出せた。
父もしっかり自分の老いを見せてくれている。
がーんばろ♪もっと若いころにこういうことに気付けていたらよかったのにな。
でも、気づかずままに死ぬんでなくてよかったよ。
ありがとね。
私の周りの頑張っている家族たち。
私は気づいたのでこれから頑張れると思います。
…できる範囲でね♪
どうもね、私って愛情が薄い気がするんだ。
二度も結婚してダメにしちゃったのは、
要は愛情が薄いからな気がする。
まぁ、それは余談として。。。
父が入院している。
これまでも
大腸、胃、肺のガンで入院、
鬱での入院、と4回入院している。
このどれも、一人でお見舞いに行ったことがないの。
父と二人で病室にいてもどうしていいのかわからない。
姉は元来がおしゃべりだし、
ステキな娘が三人、優しいパパと
話題もたくさんなんだよね。
そして、自らもファザコンだというぐらいに父が好きみたいだし。
私が行っても得に話すことがない。
今回の入院は、病院が遠いこともあり、
母が毎日行けないし、まだ意識も朦朧として
姿をみるだけでいいかなって先々週の日曜日は、一人でお見舞いに行った。
病室に入ったら、父は寝ていて、起こさないように一人
ベッドの足元の椅子に座っていた。
看護師さんが、用事で入ってきて、父を起こしたので、私が来たのにも気づかれた。
「今日でお盆休みが終わりだから来たよー」
そのぐらいしか話すことない。
「寒くない?」とか。
一時間ほどいて、
「また明日から仕事だからがんばるねー」って帰ってきた。
先週の日曜は、母が行っているのはわかっていたけど、
病院に着いたら、姉と姪@長女がいた。
姉はずーっと話しかけて、手のマッサージをしてあげて、
ホッペタを撫でたり、痰をとったあとに涙がたまった目をティッシュでぬぐったり。
ずっとスキンシップをとっていた。
私は足のマッサージをするのがせいぜい。
なんだかね、
大きく、絶対的な存在だった父を
赤ちゃんのように扱うことにも抵抗がある。
でもスキンシップがとれないのは、
スキンシップになれていないせいなのかも。。。と思ったり。
体調が悪い時に、すごく話しかけられたり、
触られたりするのが、自分だったら嫌かも。。。と思うのも。
正解が何かなんてわからない。
けどね、
父が「もういい」といっても
「別に疲れないから大丈夫」って手をモミモミし続ける姉の行動がすごいなーと思った。
あぁーあ。
弱っている父を見たくないのかも。
あぁーあ、そう考えると、大好きだったおばあちゃんが施設に入り、
守ってあげる立場となった今、
なかなか会いにも行ってあげないな。
私は…ダサいな。
でも、仕方ないな。
こういう風に育つには育つ環境があったんだろうから。
うーん。
父もおばあちゃんも弱く小さくなった今、
一番心配しているのは母の健康なんだもの。
母が弱くなったとき、私は支えてあげれるのだろうか。
これからでも愛情”力”は育つのだろうか。
子供を産まなかったのはそういう自分をどこかでわかっていたからなのかもね。
さ。
考えても答えは出ない。
自分なりの愛情表現で、生きていきましょう!
二度も結婚してダメにしちゃったのは、
要は愛情が薄いからな気がする。
まぁ、それは余談として。。。
父が入院している。
これまでも
大腸、胃、肺のガンで入院、
鬱での入院、と4回入院している。
このどれも、一人でお見舞いに行ったことがないの。
父と二人で病室にいてもどうしていいのかわからない。
姉は元来がおしゃべりだし、
ステキな娘が三人、優しいパパと
話題もたくさんなんだよね。
そして、自らもファザコンだというぐらいに父が好きみたいだし。
私が行っても得に話すことがない。
今回の入院は、病院が遠いこともあり、
母が毎日行けないし、まだ意識も朦朧として
姿をみるだけでいいかなって先々週の日曜日は、一人でお見舞いに行った。
病室に入ったら、父は寝ていて、起こさないように一人
ベッドの足元の椅子に座っていた。
看護師さんが、用事で入ってきて、父を起こしたので、私が来たのにも気づかれた。
「今日でお盆休みが終わりだから来たよー」
そのぐらいしか話すことない。
「寒くない?」とか。
一時間ほどいて、
「また明日から仕事だからがんばるねー」って帰ってきた。
先週の日曜は、母が行っているのはわかっていたけど、
病院に着いたら、姉と姪@長女がいた。
姉はずーっと話しかけて、手のマッサージをしてあげて、
ホッペタを撫でたり、痰をとったあとに涙がたまった目をティッシュでぬぐったり。
ずっとスキンシップをとっていた。
私は足のマッサージをするのがせいぜい。
なんだかね、
大きく、絶対的な存在だった父を
赤ちゃんのように扱うことにも抵抗がある。
でもスキンシップがとれないのは、
スキンシップになれていないせいなのかも。。。と思ったり。
体調が悪い時に、すごく話しかけられたり、
触られたりするのが、自分だったら嫌かも。。。と思うのも。
正解が何かなんてわからない。
けどね、
父が「もういい」といっても
「別に疲れないから大丈夫」って手をモミモミし続ける姉の行動がすごいなーと思った。
あぁーあ。
弱っている父を見たくないのかも。
あぁーあ、そう考えると、大好きだったおばあちゃんが施設に入り、
守ってあげる立場となった今、
なかなか会いにも行ってあげないな。
私は…ダサいな。
でも、仕方ないな。
こういう風に育つには育つ環境があったんだろうから。
うーん。
父もおばあちゃんも弱く小さくなった今、
一番心配しているのは母の健康なんだもの。
母が弱くなったとき、私は支えてあげれるのだろうか。
これからでも愛情”力”は育つのだろうか。
子供を産まなかったのはそういう自分をどこかでわかっていたからなのかもね。
さ。
考えても答えは出ない。
自分なりの愛情表現で、生きていきましょう!
父の入院する病院まで
乗り継ぎやら待ちやら乗車時間を合わせると1時間半ぐらい。
GWのスリランカ旅行の帰国後、
すぐに、飲酒、ジャンキー食いをしたせいか
お腹の調子がなかなか整わない。
痛くなるタイミングが謎になってしまった。
今日も出かける前ギリギリまで
自宅でトイレにいて、
一応落ち着いた思い出かけたのに~!
自転車で10分ほどの駅についたら、
えっ?このお腹の痛さは?まさか?まだ?!
はい、ダメでしたー。
きょうの様子は電車に乗るのは心配ー!
と、思いつつ、一個目の
乗り継ぎをする駅までは
7分の乗車。
ひとまず、そこまではいきましょう!
お腹が落ち着くまで
お店をウロウロ見て回り、
途中、やはりお腹イタイ、、、とトイレ。
そこからまた少し様子を見て、
まー、平気でしょう、、、となったので
電車に乗りました。
あー、沢山、トイレ立ち寄りしてよかったーと悠々と乗車。
30分ぐらい乗るのです。
が、まさかの、降りる駅の3個前ぐらいに腹痛、、、
寝てしまう?と頑張ったけど
無理そうで
まさかの目的駅の一個前下車

まぁ、それを最後のトイレとし
落ち着きましたがね~
いやーちかれた、ちかれたー
そして、父はかなりの回復をみせとります
16時頃までに病院にいて、実家に寄り
20時頃に帰宅しましたー!
今日は母、姉、姪@長女と
たくさん来て嬉しかったかな。
でも、家族が帰ると胴と腕を拘束されちゃうの。
バラけていったほうが父的には嬉しいだろうけど、
いかんせん、病院が遠すぎで、、、。
もう少し耐えてもらうしかないね~
がんばってね!
さ、明日からまた一週間仕事だーぅ!
私もがんばろがんばろ
さて。
もうね、私さえも胃腸が痛くなる『今年のお盆休みⅠ、Ⅱ』
弱かったみるちゃんが、たくましくなったもんだ。
初めて父の大腸がんが見つかったのが50歳の時。
私は18歳かな?
自分ばかり不幸と思っていたあの頃。
誰が一番つらいかを考えれなかったあの頃。
あの頃に比べると格段に強くなりました。
ってことで。。。
断っていた友達との飲み会に参加ーーー
約一か月前に久々の再開を果たした中学時代の男子達交えての飲み会。
今回は当時の美術の先生、小学、中学と一緒だった男子、中学で一緒だった男子
計3人、久々の再開。
「おまえは変わらないなーーー!」と言われてまたまたご満悦。
前回会った男子の一人(既婚なのでねー・・・)には
「今日はみるちゃんをくどきにきたからね」
と言われ、これまたご満悦。
ジャイアンだった男子も、今では対等に口をきけるようになっているので
でも相手はジャイアンなので、
下ネタで笑いつつ。
あぁ、飲み会に行けてよかった^^楽しかった~~~♪
もうね、私さえも胃腸が痛くなる『今年のお盆休みⅠ、Ⅱ』
弱かったみるちゃんが、たくましくなったもんだ。
初めて父の大腸がんが見つかったのが50歳の時。
私は18歳かな?
自分ばかり不幸と思っていたあの頃。
誰が一番つらいかを考えれなかったあの頃。
あの頃に比べると格段に強くなりました。
ってことで。。。
断っていた友達との飲み会に参加ーーー
約一か月前に久々の再開を果たした中学時代の男子達交えての飲み会。
今回は当時の美術の先生、小学、中学と一緒だった男子、中学で一緒だった男子
計3人、久々の再開。
「おまえは変わらないなーーー!」と言われてまたまたご満悦。
前回会った男子の一人(既婚なのでねー・・・)には
「今日はみるちゃんをくどきにきたからね」
と言われ、これまたご満悦。
ジャイアンだった男子も、今では対等に口をきけるようになっているので
でも相手はジャイアンなので、
下ネタで笑いつつ。
あぁ、飲み会に行けてよかった^^楽しかった~~~♪
友達に事情を話し、
(友達の反応がびっくりだった。もう彼女にはしばらく会わないもんねーと思ったぞ!)
実家に向かう。
LINEのタイムラインにディズニーの画像をアップしていたから
友達から
「行ったのー?」とコメントがある。
お盆休み中に会う約束をしていた友達からのコメントもあったので、
「ディズニーに行ってきたよー。
父の体調がよくないと連絡があり、もしかして約束をキャンセルするかも。
明日病院に行くからまた連絡するねー」
とLINEトークで送り、
もう電車で駆け出したいぐらいな気持ちで実家に向かう。
21時ころ実家に到着。
母に事情を聞き、22時頃、お互いに寝床につく。
うーん。
寝れないよね。
私は元々おばあちゃんが使っていた一階の部屋のおばあちゃんのベッドで
スマホゲームをして過ごす。
23時半ごろ、二階で何か音がする。
そして話し声。
これは病院から電話があったのだなと私も廊下に出ると、
母が階段の途中で今にも腰が抜けそうな状態、
でも、気丈に会話をしている。
眠るために薬が効き始めだったらしく多少呂律が怪しいながら
「はいはい、そうですか…はいはい。いや突然すぎて。
はい、え、、、そうなんですか、、、」・・と痛々しそうに自分の胸を抑える仕草をする。
数分後に電話を切ったので
「なんだって?」と聞くと、
大分様子が危ないから、万が一の時はどこまで延命処置をするかと聞かれたと。
心臓マッサージをするとかなりの確率で肋骨が折れるけど
中途半端な延命処置はできないから、、、と言われたらしい。
「ま、大丈夫だよ。今日は寝た方がいい」とベッドに入らせた。
翌日は母も私も4時過ぎくらいには起きて6時33分の地元発の電車に乗り、
約1時間後、病院に到着する。
個室に通され先生から説明を受ける。
腸の癒着、肺炎、脱水でショック状態だと。
女医さんのきめ細かい、家族を気遣う話し方で
「はい、はい、、、」と話を聞いていた。
そこに別の男性医師が入ってきて説明を交代した。
夜中に母に電話してきた先生だ。
若く、はすっぱな感じですごく悪印象だ。
延命処置の話になったときも
「肋骨がボリボリ割れる」とか言ってくる。
「ボリボリ割れたらそれが心臓や肺に刺さる可能性もあるんじゃないですか?」
「ないとは言い切れません」
こういう説明を受けて、誰が
「それでも頼みます」
っていうの?と疑問に感じる説明
母に
「みーちゃんはどうしたい?」と聞かれ
「そんな殺人に近いような処置方法を聞いたらやらないでほしいと思っちゃうけど・・・」
ひとまず父に会えることになり、会う。
ベッドに横たわる父は目も白目、意識はない、
口にはビニール袋をあてられ、
自分の意思と関係なく、体内の分泌液があふれ出している状態。
腸がふさがっていることで体内の分泌液は口へと逆流してしまうしかないのだ。
また個室に戻り、外科の先生が来る。
今できることは
「鼻から管を入れて、体内の液を出すこと。
それをしたからといって良くなるかといわれたら
それは「わかりません」としか言えない。
ただ、この前まで自分で歩いていた、末期のガンでもない。
治る可能性のある人間にできることはやりましょうっていう提案をしている。」
私は、
「管を通す作業、そして、管が入っていることで苦しい思いをすると思う
でも、今、お腹に分泌液が溜まって、お腹や胃が苦しい状態よりは
それを吸い出して楽になるほうが、管が通っている苦しさよりはましですか?」
と聞いた。
元々、「死にたい」と思ってしまう鬱が元で入院していたのだ。
苦しい思いはなるべく減らしてあげたい。
先生「それは、そちらの方が楽になります。」
私「どのぐらいでお腹の苦しさはなくなりますか?」
先生「早ければ半日ほどで」
私たちのOKが出れば少しでも早く管を入れたい様子だったので
自分たちが納得したところでお願いしますと、チューブを入れることを頼んだ。
胃も切除しているので、その状態ではチューブを入れることも手間取るということだったけど
スムーズに行くとしたら30分ぐらいで入ります…という予定の30分ぐらいで入れ終わり、
病室に戻ってきたら目つぶだったままだったけど、多少はこちらのいうことに反応もして。。。
そして、家族で大阪に行っていた姉家族。
報告を受けた月曜はUSJにいたらしいw
姉はUSJ,妹はディズニーww
2時半頃の新幹線に乗った姉、
出来るなら病院に行きたいということで、母と二人、姉の到着時間まで待ちました。
18時過ぎかな?
パパは会議があって一人早朝に帰宅していたらしく、
小6、大学2年生、社会人1年生の娘たちと
沢山の荷物を持ってきてくれました。
ファザコンの姉、涙目になりながら、
「かわいい○ちゃんが来たよー」って
自分のハンカチで父のおでこをしきりに拭くので
「それ、バイキンたくさんじゃない?」と笑
さ、それからそれから。
母や姉がお見舞いに行った様子を聞きつつ、
火曜以来の金曜日に父に会いに行く。
鼻から腸に入っていた、体の分泌液を出すチューブは取り除かれ、
変わりに、喉には、軽い器官切開で淡を出すチューブを入れる場所を確保され、
でもねでもね、外科の先生は
「悪い報告は何もないです」といわれ♪
水なら飲んでもよいといわれ、二口ほどの水を飲み。
本日もお見舞いに行った時
「喉が渇いた」というので看護師さんに頼んで冷水を飲ませてもらいました。
「んまい」と小さいながら心のこもった一言。
もうね、このお盆休みは悲しい出来事で終わるのかなーって思ったけど、
父はもう少し頑張ってくれそうです。
父、がんばれよーーー
みなさんのパワーもお願いしますーーー
(友達の反応がびっくりだった。もう彼女にはしばらく会わないもんねーと思ったぞ!)
実家に向かう。
LINEのタイムラインにディズニーの画像をアップしていたから
友達から
「行ったのー?」とコメントがある。
お盆休み中に会う約束をしていた友達からのコメントもあったので、
「ディズニーに行ってきたよー。
父の体調がよくないと連絡があり、もしかして約束をキャンセルするかも。
明日病院に行くからまた連絡するねー」
とLINEトークで送り、
もう電車で駆け出したいぐらいな気持ちで実家に向かう。
21時ころ実家に到着。
母に事情を聞き、22時頃、お互いに寝床につく。
うーん。
寝れないよね。
私は元々おばあちゃんが使っていた一階の部屋のおばあちゃんのベッドで
スマホゲームをして過ごす。
23時半ごろ、二階で何か音がする。
そして話し声。
これは病院から電話があったのだなと私も廊下に出ると、
母が階段の途中で今にも腰が抜けそうな状態、
でも、気丈に会話をしている。
眠るために薬が効き始めだったらしく多少呂律が怪しいながら
「はいはい、そうですか…はいはい。いや突然すぎて。
はい、え、、、そうなんですか、、、」・・と痛々しそうに自分の胸を抑える仕草をする。
数分後に電話を切ったので
「なんだって?」と聞くと、
大分様子が危ないから、万が一の時はどこまで延命処置をするかと聞かれたと。
心臓マッサージをするとかなりの確率で肋骨が折れるけど
中途半端な延命処置はできないから、、、と言われたらしい。
「ま、大丈夫だよ。今日は寝た方がいい」とベッドに入らせた。
翌日は母も私も4時過ぎくらいには起きて6時33分の地元発の電車に乗り、
約1時間後、病院に到着する。
個室に通され先生から説明を受ける。
腸の癒着、肺炎、脱水でショック状態だと。
女医さんのきめ細かい、家族を気遣う話し方で
「はい、はい、、、」と話を聞いていた。
そこに別の男性医師が入ってきて説明を交代した。
夜中に母に電話してきた先生だ。
若く、はすっぱな感じですごく悪印象だ。
延命処置の話になったときも
「肋骨がボリボリ割れる」とか言ってくる。
「ボリボリ割れたらそれが心臓や肺に刺さる可能性もあるんじゃないですか?」
「ないとは言い切れません」
こういう説明を受けて、誰が
「それでも頼みます」
っていうの?と疑問に感じる説明
母に
「みーちゃんはどうしたい?」と聞かれ
「そんな殺人に近いような処置方法を聞いたらやらないでほしいと思っちゃうけど・・・」
ひとまず父に会えることになり、会う。
ベッドに横たわる父は目も白目、意識はない、
口にはビニール袋をあてられ、
自分の意思と関係なく、体内の分泌液があふれ出している状態。
腸がふさがっていることで体内の分泌液は口へと逆流してしまうしかないのだ。
また個室に戻り、外科の先生が来る。
今できることは
「鼻から管を入れて、体内の液を出すこと。
それをしたからといって良くなるかといわれたら
それは「わかりません」としか言えない。
ただ、この前まで自分で歩いていた、末期のガンでもない。
治る可能性のある人間にできることはやりましょうっていう提案をしている。」
私は、
「管を通す作業、そして、管が入っていることで苦しい思いをすると思う
でも、今、お腹に分泌液が溜まって、お腹や胃が苦しい状態よりは
それを吸い出して楽になるほうが、管が通っている苦しさよりはましですか?」
と聞いた。
元々、「死にたい」と思ってしまう鬱が元で入院していたのだ。
苦しい思いはなるべく減らしてあげたい。
先生「それは、そちらの方が楽になります。」
私「どのぐらいでお腹の苦しさはなくなりますか?」
先生「早ければ半日ほどで」
私たちのOKが出れば少しでも早く管を入れたい様子だったので
自分たちが納得したところでお願いしますと、チューブを入れることを頼んだ。
胃も切除しているので、その状態ではチューブを入れることも手間取るということだったけど
スムーズに行くとしたら30分ぐらいで入ります…という予定の30分ぐらいで入れ終わり、
病室に戻ってきたら目つぶだったままだったけど、多少はこちらのいうことに反応もして。。。
そして、家族で大阪に行っていた姉家族。
報告を受けた月曜はUSJにいたらしいw
姉はUSJ,妹はディズニーww
2時半頃の新幹線に乗った姉、
出来るなら病院に行きたいということで、母と二人、姉の到着時間まで待ちました。
18時過ぎかな?
パパは会議があって一人早朝に帰宅していたらしく、
小6、大学2年生、社会人1年生の娘たちと
沢山の荷物を持ってきてくれました。
ファザコンの姉、涙目になりながら、
「かわいい○ちゃんが来たよー」って
自分のハンカチで父のおでこをしきりに拭くので
「それ、バイキンたくさんじゃない?」と笑
さ、それからそれから。
母や姉がお見舞いに行った様子を聞きつつ、
火曜以来の金曜日に父に会いに行く。
鼻から腸に入っていた、体の分泌液を出すチューブは取り除かれ、
変わりに、喉には、軽い器官切開で淡を出すチューブを入れる場所を確保され、
でもねでもね、外科の先生は
「悪い報告は何もないです」といわれ♪
水なら飲んでもよいといわれ、二口ほどの水を飲み。
本日もお見舞いに行った時
「喉が渇いた」というので看護師さんに頼んで冷水を飲ませてもらいました。
「んまい」と小さいながら心のこもった一言。
もうね、このお盆休みは悲しい出来事で終わるのかなーって思ったけど、
父はもう少し頑張ってくれそうです。
父、がんばれよーーー
みなさんのパワーもお願いしますーーー
うちの会社は祝日がない変わりに
正月、GW、お盆と大型連休になるのです。
それを楽しみに日々、仕事を頑張る!ってな感じでして。
今年もお盆開始の一週間前から
「この”もうすぐでお盆休み!”って時が一番幸せよねー
休みに入るとあっっっっという間に終わるからねー^^;」
まさしく!
しかも休みの大半予定が埋まらないままにお盆休み開始日、先週の日曜を迎えました。
ひとまず日曜は実家へ。
昼間から母と会い、午後から実家に母と一緒に戻り夕飯を食べる。
食べている最中、鬱の治療で入院中の父から、母の携帯に電話がありました。
母の返答。
「もどしちゃったのー?いつ?昨日の夕方??」
40㌔も体重のない父。
大腸、胃、肺と三度のガンを経験し、
そのたびに体力も気力も弱り、もともと弱かった胃腸が更に弱く。
鬱の電気治療のあとは、とても気持ちが悪くなるらしく
食欲がないのは、入院前も入院後も、変わらない。
まぁ、病院にいることだし、自宅でフラフラーと過ごしているよりは安心だと
あまり気にもせずに帰宅。
翌月曜日はお盆休みの中で唯一お盆休みらしいこと、
ディズニーランドに友達と行く約束をしていたので、
4時起きをして舞浜まで。。。
当然混むだろう!という時期に行くディズニーは初めてで、
相当の“待ち”を覚悟していたのだけど、
一番長く並んだもので、40分、ジャングルクルーズかな?
ビッグサンダーマウンテンや、スペースマウンテンなどは
ファストパスのおかげですいすい乗れて、
結局、13時ころには6個ぐらいのアトラクションに乗れましたのよ。
午後も中休み的なベアのライブ、鳥のライブショーのアトラクションで
涼み、(軽く寝たり)しつつ、夕刻。
夕方6時ころ。
「どうしようかー。ひとまず、シンデレラ城撮影でもしようか」
と携帯を取り出すとメールが来ておりまして。
母から「お父さんの具合がよくないそうです。母は明日早めに病院に行きます」
ディズニーに来ていることは知っている母。
大事でなければメールはしてこないだろうと、
すぐに電話をかけた。
やはりオオゴトだったから電話をしてきていた。。。
「もう帰るよ。そっちに泊まるね」
と伝え、ディズニーを退散しました。
正月、GW、お盆と大型連休になるのです。
それを楽しみに日々、仕事を頑張る!ってな感じでして。
今年もお盆開始の一週間前から
「この”もうすぐでお盆休み!”って時が一番幸せよねー
休みに入るとあっっっっという間に終わるからねー^^;」
まさしく!
しかも休みの大半予定が埋まらないままにお盆休み開始日、先週の日曜を迎えました。
ひとまず日曜は実家へ。
昼間から母と会い、午後から実家に母と一緒に戻り夕飯を食べる。
食べている最中、鬱の治療で入院中の父から、母の携帯に電話がありました。
母の返答。
「もどしちゃったのー?いつ?昨日の夕方??」
40㌔も体重のない父。
大腸、胃、肺と三度のガンを経験し、
そのたびに体力も気力も弱り、もともと弱かった胃腸が更に弱く。
鬱の電気治療のあとは、とても気持ちが悪くなるらしく
食欲がないのは、入院前も入院後も、変わらない。
まぁ、病院にいることだし、自宅でフラフラーと過ごしているよりは安心だと
あまり気にもせずに帰宅。
翌月曜日はお盆休みの中で唯一お盆休みらしいこと、
ディズニーランドに友達と行く約束をしていたので、
4時起きをして舞浜まで。。。
当然混むだろう!という時期に行くディズニーは初めてで、
相当の“待ち”を覚悟していたのだけど、
一番長く並んだもので、40分、ジャングルクルーズかな?
ビッグサンダーマウンテンや、スペースマウンテンなどは
ファストパスのおかげですいすい乗れて、
結局、13時ころには6個ぐらいのアトラクションに乗れましたのよ。
午後も中休み的なベアのライブ、鳥のライブショーのアトラクションで
涼み、(軽く寝たり)しつつ、夕刻。
夕方6時ころ。
「どうしようかー。ひとまず、シンデレラ城撮影でもしようか」
と携帯を取り出すとメールが来ておりまして。
母から「お父さんの具合がよくないそうです。母は明日早めに病院に行きます」
ディズニーに来ていることは知っている母。
大事でなければメールはしてこないだろうと、
すぐに電話をかけた。
やはりオオゴトだったから電話をしてきていた。。。
「もう帰るよ。そっちに泊まるね」
と伝え、ディズニーを退散しました。
がんばれ
がんばれー!
がんばってね!!!
最近、進撃の巨人の宣伝で
バラエティー番組で
よく三浦春馬くんをお見かけします。
どうにも、話をきいていると
彼と私は相性がよい気がしてならない。
こういう思い込みから
ストーカーになるのかし ら?!

さ、Hさんは
引っ越して行ったよ。
頑張ってね。
いつか、また再会したいね(^○^)
先々週末で退職した
癒しのHさんに会ってきたよ。
最終日、私が有給をとっていたので、
会えずじまいだったので、
退職、転職祝いに買ったアルバムを渡すため。
そして、Hさんのかわいい子供ちゃん達に会うために。
Hさんが溺愛している
去年の9月に生まれた女の子、Mちゃん。
写真はよく見せてもらっていたから
楽しみだったのだけど、
泣かれてしもうたー笑
でも可愛かったな~!
今までの職場がどんなだったかを聞き、
まぁ、変な会社なのはわたしもわかっているけど、
Hさんの実情などはわからなかったから、
初めて聞いて、改めて、
転職がきまりよかったねー!と
嬉しく思う。
日本人が自己都合で退職して
転職、、、となったら
並大抵ではないスキルがないと
難しいと思われるが、
Hさんは、かなりよい境遇への転職。
お給料も相当アップ~!
今の職場に辞めると話し、
部長会議で
「給料を上げるから留まるように伝えなさい」
となり、うちのリーダーから聞かされたんだって。
Hさん
「もう、転職は断れません」
と返したと。
もう本当に手遅れです。
優秀な社員、頑張っている社員は
普段から正当に評価しないとだめです。
Hさん、次の会社でもがんばれー!
土曜日に30年ぶりぐらいで再会した中学の同級生男子。
今回会った二人は
それぞれ、仲の良い時期があったのです。
二人共
「ワル」に染まっていったので疎遠になってしまい、
(一人は小学生の時からの札付きワルですが…w)、
一人は小5以来、一人は中1以来接点もなく過ごしてました。
中一以来の男子から
今日の朝、メッセが入り、
「凄く楽しかったす。みるちゃんかわらないね!
今度は○○ちゃん(メッセの送り主含め、中1の時に仲良しだった男子)とか誘おう。
またの機会を楽しみに^^」
みるちゃん、かわらないね。
みるちゃん、かわらないね。
みるちゃん、かわらないね。
ぐふふぅーーーー
30年前と変わらないってぇ~?!
っと一人で仕事の合間にメッセージを見て
持ち上がっておりました笑
この半年で相当肥えてしまって、
体型はおばちゃん化しつつあるのだけど、
少しでも頑張るかーーー!
と、ガスール+ヨーグルトでパックしておいた笑
昔馴染みの同級生は楽しいな♪
来月はビアガーデンに行く予定さ~
今回会った二人は
それぞれ、仲の良い時期があったのです。
二人共
「ワル」に染まっていったので疎遠になってしまい、
(一人は小学生の時からの札付きワルですが…w)、
一人は小5以来、一人は中1以来接点もなく過ごしてました。
中一以来の男子から
今日の朝、メッセが入り、
「凄く楽しかったす。みるちゃんかわらないね!
今度は○○ちゃん(メッセの送り主含め、中1の時に仲良しだった男子)とか誘おう。
またの機会を楽しみに^^」
みるちゃん、かわらないね。
みるちゃん、かわらないね。
みるちゃん、かわらないね。
ぐふふぅーーーー
30年前と変わらないってぇ~?!
っと一人で仕事の合間にメッセージを見て
持ち上がっておりました笑
この半年で相当肥えてしまって、
体型はおばちゃん化しつつあるのだけど、
少しでも頑張るかーーー!
と、ガスール+ヨーグルトでパックしておいた笑
昔馴染みの同級生は楽しいな♪
来月はビアガーデンに行く予定さ~