頑張れる力。 | nirmal

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nirmal=hindi語で純粋
純粋な心を持ち、純粋なものを食べ、純粋なものに囲まれて生きたいのです。

なんだかね、
自分のこれまでの人生や、
70歳を過ぎて鬱になった父や、
あれやこれやの人たちをみてきて、
「生きることを頑張れる」
のって、
「誰かのため」
なのかなって結論が出かけていて。

…というのも
「健やかなるときも、病めるときも、、、うんぬんかんぬん」
という誓いの言葉を2回もした私が今一人なのは、
”そう思える人”と結婚していなかった。
そして結婚した時に、私にそういう覚悟がなかった。感覚がなかった。

ということに気付いたのだよ。

前の前の彼の時に
「この人を幸せにしてあげたい」と思った。
その原動力がものすごーーーーく自分を頑張らせることが出来た。

本当はもっと若い時にこういう感覚を養えていないといけなかったのだと思う。

けどね、
人見知り、泣き虫、気難しい、兎に角よわっちかった私は
親に『ムリをさせられない』で育った。

いや、元々がずるい性格を持っていたのかもしれない。
『すぐに逃げてしまう』という弱さと
『逃げたい時に泣けばどうにかなる』
という感覚があったように感じるのだな。

すごく本気で誰かを好きになったこともなく、
だから
「誰と結婚しても大差ない」
「どんなに好きな人と結婚しても愛情なんて冷める」
そんな意識のもとに2回も結婚をした。

結局2回ともダメになったのは、
私の無自覚さだったのではないのかな?と理解をするようになった。

そんな考えに至ったこの数年の中、
先日であって思わず買ってしまった本のまえがきにこんなことが書いてあったのよ。

『”自分の命よりも大切なものがある”
 と思ったほうが私たちは幸せな人生を送ることが出来るようです』


やっぱりそうだよね、そうだったんだーと思ってね、
今日、母に会ったのでその話をしたのです。

「人間ていうのは”誰かのために頑張れる”のだと思うのだよ」

と。

そしたら母が
「お父さんは、”自分のために頑張ってる”みたいだけど…」
というので二人で大爆笑。


お盆の時は病院の先生に
「三途の川の岸から離れはじめている状況です」と言われた父。

それがね、体力は少しづつ回復をしつつ、
メンタル面では弱音を吐き、
そして、ボチボチ点滴がはずれるよーって時にまた腸閉塞になり絶食。
…だったのがわずか2週間前ぐらいではなかったかな?

今はね、リハビリで階段5階分を歩ける(歩かされる)ようになったり、
ご飯後のおやつをほしがるようになったりしているんだって。

母曰く

「退院のめどがついてきてから変わったのよねー」

ってww

「いやいや、おかあさんが往復3時間近くかけて病院に通うのがかわいそうだから
 そのために”早く退院しなくちゃ”って思ったんだよー」<白々しい

白々しさをわかっている母。。。

どっちにしろ、メキメキと回復しているらしいのはうれしいしね^^

…ということで、
「自分のため」
でも
「誰かのため」
でも、
何かどうしてもどうにかしたい状況があると
人間は頑張れるよう…だ?

しまらない話になりました 笑