亡き父は
サイパンを経て
満州で終戦を迎えました
腕に残る
弾倉について
尋ねても
戦争については
語らず
長らく私にとっては
父と戦争について
触れることは
ありませんでした
ところがある時
父は拳を
震わせて
泣いていました
亡き母に聞くと
街中でバッタリ
戦時中の部下
だった方と
父が出会ったらしい
ということを
聞きました
それが
何を意味するのか
当時の私には
わかりませんでした
随分経ってから
父はその日まで
戦時下を
生きて帰るために
部下を
殴り続けたことを
心の傷として
していたことを知りました
「再び出会ったら
殺されるだろう」
父は
そう思っていた
ようです
ところが
部下の方は
父と見るなり
抱き付いて
涙したそうです
父の思いは
拳の痛みより強く
伝わっていた
その時父は
「やっと
戦争が終わった」
と、思ったそうです
ほんの
30年前のことです
平和で
ありますように
もう二度と
世界のどの国でも
戦争が
起こりませんように
近頃では
広島の
原爆記念館は
修学旅行コースには
入っていない
そうですね
あの戦慄を
日本人として
次代に繋いで
行くことが
どこかの国
ではなく
「戦争」を
憎むことになるのだと
思うのですが
如何でしょう
夏は
生命の交差点
平和でと願う
平和をと願う
(宙)