みなさん、こんちゃわ(´・Д・)」


そろそろ横浜マラソンネタに切り替わりたいのですが、先日アップし忘れた震災ネタにお付き合いくださいませ。


10日、自分が被災した場所に足を運びました。
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自分が東日本大震災で被災した場所は、秋保温泉でした。


この日は仕事が休みで、1人で秋保温泉の共同浴場でお風呂に入っていました。


共同浴場から出て、車に乗り込んだ直後、突然大きな揺れに襲われました。


ガタガタガタガタ…


ワタクシは怖くて声を上げてしまいました。


しばらくして近所の方に、橋が崩れるかも知れないから一緒に避難しようと言われましたが、ワタクシはテレビを大音量にしながら車を走らせ、3時間かけて自宅に戻ったのです。


自分の実家は仙台ですが、場所は仙台駅から徒歩圏内だったこともあり、交通マヒが激しさを増していると感じ、帰れなくなる可能性があったため自宅へ戻る選択をしました。


いま思うと、自宅に戻ってよかったと思っています。
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震災後、村田町から大河原町を経由して帰りました。


そして、帰り道も震災時に通った道を利用して。


写真に載せている地区は信号が停まっていたため、交通マヒがひどかったです。


車を運転中、テレビから若林区荒浜地区で200体の遺体が見つかったという、ショッキングな情報が流れました。


若林区…自分の生まれ故郷です。


荒浜地区には知人も住んでいました。
(知人は震災の犠牲になりました)
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震災で被災した日の写真。


村田町の民家で瓦が落ちている写真。


大河原町のバイパスで渋滞している写真。


そして、震災の夜に食べたカップラーメン。


帰宅後はダンナさんが玄関前にいて、お互いの無事を確認したあとに、ワタクシは勤務先へ、ダンナさんはダンナさんの実家にいきました。


自分は職場に着くなり、意味がわからないことを発していたようです。


その夜は震災の情報が知りたくて、車中で一夜を過ごしました。


震災当時、秋田にいた父親から電話がきて、みんな無事だと伝えられました。


でも、このときは父親もダンナさんも自分も、叔母たちが行方不明で連絡が取れないことは知らなかったのです。


1週間くらいたって、実家に初めて電話を入れるまでの間、仙台の情報は全く知らなかったから。




この話はまた、ゆっくりかきます。