「靖国批判」はいつはじまったか
国家を語るとき、よくでてくるのが靖国参拝問題であり、
「A級戦犯」についての議論である。
戦後60年をむかえた2005年は、特にはげしかった。
靖国問題というと、いまでは中国との外交問題であるかのように
思われているが、これはそもそも国内における政教分離の問題であった。
いわゆる「津地鎮祭訴訟」の最高裁判決(1977年)で
「社会の慣習にしたがった儀礼が目的ならば宗教的活動とみなさない」
という合憲の判断が下されて以来、参拝自体は合憲とされていると解釈されているといってよい。
首相の靖国参拝を巡って過去にいくつかの国賠訴訟が提起されているが、
いずれも原告敗訴で終わっている。
政府としては、85年に藤波孝雄官房長官の国会答弁で
「戦没者の追悼を目的として本殿または社頭で一礼する方式を参拝することは、憲法の規定に違反する疑いはない」
といういう見解を示して以来、参拝は合憲との立場をくずしていない。
中国との間で靖国が外交問題化したのは、85年8月15日、
中曽根首相の公式参拝がきっかけである。
中曽根氏参拝の一週間前の8月7日、朝日新聞が次のような記事を載せた。
「(靖国参拝を)中国は厳しい視線で凝視している」
日本世論の方向に常に関心をはらっている中国政府が、
この報道に反応しないわけはなかった。
「(首相の靖国参拝)はアジア各国の人民の感情を傷つける」
というわけである。
「A級戦犯が合祀されているから」という話がでたのは、このときだ。
(中略)
1987年に結ばれた日中平和友好条約の1条と3条では、互いに内政干渉はしない、とうたっている。
一国の指導者が、その国のために殉じた人々に対して、崇高の念を表するのは、どの国でも行う行為である。
また、その国の伝統や文化にのっとった祈り方があるのも、ごく自然なことだろう。
(中略)
日本の国は、戦後半世紀以上にわたって、自由と民主主義、そして基本的人権を守り、国際平和に貢献してきた。
当たり前のようだが、世界は日本人のそうした行動をしっかりみているのである。
日本人自身がつくりあげたこの国のかたちに、わたし達は堂々と胸をはるべきであろう。
私たちは、こういう国のあり方を今後も決して変えるつもりはないのだから。
(安部晋三氏著書より)
著書は以下、「A級戦犯」をめぐる誤解(これも是非読んでいただきたい)と続く。
この著作が出版された当時に比べると中国は日本の予想を超えて
このての圧力を強めてきた。
今では、尖閣の問題(領土問題)にまで発展してきている。
私の記憶の範囲でのことなので誤りがあるかも知れませんが、
当時の小泉総理大臣は
特攻で殉じた方々のことを多く語っていたように思います。
特攻を美化する気持ちは、もうとうありません。
おそらく、きちんとした情報も与えられない環境の中で、
将来のある若者が「国のため」。。
この一念で覚悟の上で命を落としているわけだから
そういう方達に尊崇の念を持つと同時に冥福を祈り
恒久平和を願う。
靖国には、こういう方達がたくさん祀られている。
写真は私が両親の金婚の祝いに靖国神社に両親を連れて行った時に撮影したものです。