ここからは、「俺、頑張った!」的な自慢が含まれてきますw
不愉快になる方は読まないでくださいw
私は手術後からリハビリをしている間もずっと、
歩けなくなるなんて全く思っていませんでした。
医師が何度も「杖をついて歩くのが最終目標」と言っても
全くヘコむこともなく、信じることもなく
「いやいや、杖なしで歩くしw」と、根拠のない自信に満ちていました。
急性期リハビリの際、
作業療法士に「杖なしで歩けるようになりますよね?」と聞いたら
血相を変えて「誰がそんなことを言ったんですか?」と。
いや、リハビリ計画書の目標に「自立歩行」と書いてあったので
そういうことかと・・・と言うと
「いえ、自立歩行とは、杖無しということではありません。」と。
つまり、人の介助がなくても歩けるということで
それが松葉杖なのかT字杖なのか分かりませんが、
杖なし歩行とは別次元の話しだと、その時初めて知りました。
そこで私はさらに聞きます。
じゃあ、杖なしで歩けるようにはならないんですか?
すると、作業療法士は言葉を選びながらこう言います。
「杖なしで歩けるとは言っても、それは日常生活の中で
実用的なスピードが出るかどうかなど、色々な問題があります。
そういったことを踏まえると、杖なし歩行は現実的ではありません。」
そこでも私はヘコみませんでした。
いやいや、歩くしwと、
根拠のない自信です。
何でこんな思考になったのかは自分でも分かりませんが、
「杖なしでは歩けない」という受け入れがたい事実から逃げ続け、否定し続けたということかもしれません。
妻と入籍して3日後に病気の宣告を受け、4日後に手術し、超特急で障がい者です。
ほんの数日前まで、結婚したらこんなことをしよう、将来はこうしよう、と
夢を語っていたのに、それが全て壊れていくのが許せませんでした。
落ち込む妻に私は何度も言いました。
「結婚前に語った夢は全て叶えるから。一つも妥協しないから。」と。
そのためには杖なしで歩けるようにならなきゃいけません。
そして、小走りぐらいは出来なきゃいけません。
私の目標はそうやって定まったのでした。
そこからは徹底的な努力とロジック構築のスタートです。
ヒトがどういうメカニズムで歩くのか、
関節の動きはどうなっているのか、荷重移動はどうなっているのか
それまで意識もせずに歩いていたのに
「歩き」を全てロジック化しました。
仕組みが分からないと、リハビリの際にも自分の脚をどうしていいのかイメージが出来上がらないのです。
もちろん、リハビリは理学療法士に全面的に委ねますが、
その理学療法士が理にかなったリハビリをしているのか本気で考えるのは
結局のところ自分しかないのです。
そして、いくらプロとは言え、理学療法士は脊髄損傷になったことはないのです。
つまり、脊髄損傷になった人の「感覚」は、結局は自分にしか分からないのです。
「俺の感覚は、他の人には分からない」というのを
辛さアピールや努力をサボる言い訳ではなく、合理的にリハビリを続けるための糧にしました。
自主練を自分で考えて、
理学療法士に「こんな自主練を考えてみたんだけど、プロの目から見て効果があると思いますか?」と聞いたことも一度や二度ではありません。
自分は一生歩けないかも?と思っている人に聞いてみたいです。
「本当に全力で問題に取り組んできましたか?
ヘトヘトになるまでリハビリや自主練をし、
勉強し、考察し、持てる力を全て出し切りましたか?」と。
神経がなくても手を動かすほどのミラクルは
鬼気迫るほどの情熱からしか生まれない気がします。
惰性で続けるリハビリや、何もしないと不安だからだけでやっているリハビリからは生まれません。
血まみれになっても這い上がり、点滴片手に食いしばるぐらいの気持ちが必要だと思います。
逆に、そこまでやってダメなら自分の中で諦めもつくと思います。
大切なのは、今日出来ないことを、いつまでに出来るようにするか、
そういう、常に上を目指すことだと思います。
思い通りに動かない体との格闘は本当に疲れますし
物理的にほとんど動いていなくても汗でびっしょりになったりします。
それでも一つの達成感に甘んじることなく、
次々とハードルを上げていくことこそが大切です。
出来ることを何度繰り返してそれ以上にはいきません。
出来ないことを出来るために、どんな手段があるのか、全力で考え、
体だけでなく、頭も働かし、体に命令を与え続け、イメージをし続け、
それでやっと「リハビリ」としての効果が出てくるのだと思います。
長くなりましたが、
今苦しんでいる人にエールを送りたいと思い、長々と書きました。
結局、言いたいことはラストの部分ですw