花見をする習慣と云うのは外国にも無い訳ではないと思いますが、やっぱし、花見と云えば・・・日本に於ける桜見物って事になるんでしょうね。千年以上前の平安時代にも既に花見は行われていたし、落語にもしばしば登場しますが江戸庶民に取りましては、金の掛からない娯楽でした。番茶の煮出したのと大根とむしろがあれば花見の真似事ができました(^ω^)

 ここのところ連日、藪さんの地元の播磨坂の様子を見に行ってるのですが、同じ場所に時間を変えて何度も行ってみると、実に様々な事が判りますね。夜桜見物をする人たちと、平日の昼間に桜見物に来る人とではその年代層などが違うんです。

 夜はほとんどアルコールを飲んでますね。食べ物は、鍋料理とか酒のつまみが主流です。会社の同僚とか、ご近所さん、パジャマを着た子供たち・・・と云ったところで、お年寄りや幼児は少ない。一方、平日の日中の花見となりますと、お年寄りや幼児を連れたお母さん方が多い。アルコールは飲んでないし、おにぎりや自宅で作ってきたお弁当や、コンビニで買ったお弁当を食べている人が多い。もちろん、土日の日中になりますと、平日とは違って夜桜見物の客層に近くなる。

 播磨坂の場合、坂の傾斜を利用して「せせらぎ」と云う小川を、坂の途中の交差点から下の「和風ゾーン」と云っている場所に設置しています。その水は地下水を利用していて、一旦坂の下へ落ちた水は、フィルターでゴミを除去してからポンプで坂の上へ汲み上げて循環させています。ポンプを動かして水を流しているのは日中だけで、夕方から翌朝までの夜間は、危険防止のためと思われますがポンプを止めてますので、水は流れてません。

 何度も播磨坂の同じような取材をしていますと、当然時期が違うので桜が次第に咲いてくる状況が判るとは云え、取材がワンパターンになってしまうのは否めません。ですから撮影しながら藪さんは常に、ギャグと新たなる撮影アングルを考えている訳なんで、どうしても「え~と」ってナレーションが多くなる。これは噺家の「エ~」ってのと同じで、次の事を考えてるんです(^ω^)

 と云う事で、満開になった播磨坂の桜並木を文京シビックセンター25階の展望ラウンジから撮影してみようと云うアイデアが浮かびました。さてその顛末は・・・♪丁度時間となりました~。また明日受け持ちです。またの来場、お待ちいたします(^ω^)

 撮影データ・・・平成26(2014)年3月31日(月)お昼 文京区播磨坂桜並木

 藪さんの地元にある播磨坂は、まだ環三通りとして開通してなくて、単なる籔の空き地だった60年以上前から子供時代の藪さんは知ってるんです。

 更にはこの数年、年間を通して播磨坂を取材しネットに記事上げして紹介している人間は藪さん以外にはいない。

 でも昨日の取材では藪さんのガラスの心が壊れる事を云うババァが二人いた。藪さんは天気がよかったからいつも通り播磨坂下のサンシュユの黄色い小花から撮影を始めたんだが・・・

 コロナウィルスへの感染が危険だからと、学校が休みになっている。なの公園に子供を連れてきて遊ばせるとは何事かと云う批判も出ています。

 藪さんの播磨坂の動画はワンパターンだと批判されかねないほど、例え雪の日だろうと年間を通して定点観測で同じルートで撮影しているのは、このブログのご常連に皆様ならお分かりですよね(^∇^)

 コロナウィルスへの感染の危険があるので不要不急の外出を避け、学校を休校にした理由を子供の保護者と称する連中はまったく判ってない。藪さんがいつものルーティーンの撮影をしていたら、子供を撮影するなって政府の通達を守らないババアが二人文句を云ってきた。

 多分地方から小石川に住み着いた住人だと思うんだが、藪さんの撮影行為を盗撮と呼び、警察を呼びますよとまで云った。エナカモンはすぐ警察を呼ぶと云うんだが、お巡りさんバカなエナカモンの話を聞くほど閑じゃありません(^ω^)

 藪さんは決して間違った事をしているとは思ってないので、警察を呼びたいのなら呼んでくださいと云いました。そして藪さんが撮影した播磨坂風景の二本の動画もその場で削除しました。20分も議論していて疲れちゃったので、折角撮影した播磨坂風景の動画を削除しました。

 最近藪さんが思う事は、生意気な若いお母さんが大嫌い。世の中の事がよく判っているお婆ちゃんとは話が会うんです(^∇^)

 桃の花ってのは雛祭りの雛壇に飾る花だったと思います。しかし藪さんの記憶が正しければ、「右近の橘、左近の桜」って云ってたと思います。

 しかし東京地方では、雛祭りの三月三日には桜なんて咲いてない。早咲きの河津桜は戦後に伊豆半島の河津町で発見された、新しい早咲きの桜の品種です。だから戦前には河津町の地元の人しか知らなかった桜です。

 上野公園入口の交番脇の両側にあるオオカンザクラのような早咲きの桜の品種もあるのですが、さんがつみっ簡保雛祭り前に花屋さんで売るほど大量に植木屋さんは作ってないと思います。

 だから雛壇に飾るピンク色の花は桜じゃなくて、桜より早く咲く桃の花ですよね。藪さんが子供の頃にはオロナイン軟膏ができる前に、「ももの花」と云う、ヒビあかぎれに塗るピンク色の軟膏がありました(^∇^)

 梅とか桜の名所は各地にあるのですが、桃の花の名所って聞いた事がありません。桃太郎の鬼が島伝説がある岡山県にはあるのかな?

 落語の「風呂敷」では志ん生ギャグのイリュージョンが炸裂します。「おでんに靴を履かずとも云うし、じかに冠をかぶらずとも云うよ」。それの出展は「瓜田に履を納れず」と「李下に冠を正さず」です。この「李」と云うのはすももの事です。https://jbmbkyo.blog.fc2.com/blog-entry-5103.html

 播磨坂の帰りに千川通りを電チャリで走っていたら、塀の上に出ているピンク色の花を見つけました。あれ? こんなところにまだ葉っぱの出ていない河津桜があったっけ?

 でもよく見ると、何本もの細枝が立っているしその枝に花が付いているので、河津桜とは花の付き方が違う。

♪あかりをつけましょ ぼんぼりに おはなをあげましょ もものはな

 そうです。これは桃の花なんですねぇ。そこに小さな野鳥が飛び回ってました。スズメかと思ったのですが、ウグイス色がチラと見えました。メジロはっけ~ん(^-^)v

 お寺の塀越しに見上げる態勢ですばしっこいメジロを撮影するのは、動画じゃ追い切れません。清和公園のように階段公園になっていると、真横から撮影できるので比較的撮影しやすいんですけどね。

 梅にウグイスは花札の絵柄になってますが、桃にメジロってのもなかなか乙ですね(^∇^)

 「三月」と云えば落語好きなら「幾代餅(いくよもち)」です。搗き米屋の小僧の清蔵が待ちに待った三月です(^ω^)

 医者の藪井竹庵を呼んで来い。医者は下手だが、女郎買いは上手ぇ~んだ。
 ・・・どうしましたな? 病人はどちらです?
 ・・・いや、病人じゃないんです。病人だったら、おまはんは呼ばない。おまはんに見せたら、殺されちゃう。

 日本橋浮世小路の料理屋「百川」、麻布の「おかめ団子」同様、江戸時代の両国広小路に実際にあった「幾代餅」を題材にした噺。CM落語の一つと云われています。・・・と云っても、この演目の骨子は「紺屋高尾」とか「搗屋無限」と同んなじですね。

 この演目は、「幾代餅の由来」と云う演題にする事もありますが、「藪井竹庵」と云うブログ名の由来でもあります。志ん生以前に誰が「幾代餅」をやっていたのかを調べたのですが、判りませんでした。それで、主だったところでは誰がやっているのかを調べたら・・・

 古今亭志ん生(1890~1973)、金原亭馬生(1928~1982)、古今亭圓菊(1928~)、古今亭志ん朝(1938~2001)、桂南喬(1947~)、柳家権太楼(1947~)、五街道雲助(1948~)、柳家さん喬(1948~)、古今亭志ん輔(1953~)、桂平治(1967~)、林家たい平(1964~)等々(生年順)。上方では、桂文太(1952~)。

 つまりこの演目は、一部を除いて主に古今亭一門がやってますので、古今亭の持ち根多と云う事になりますね。まあ、馬生も志ん朝もいいですけど、15分でやっちゃう志ん生の名演には、どんな噺家が逆立ちしても敵わない。この演目を人情噺風にやるのは、勘違いも甚だしい。人情噺風にやりたいのであれば、「紺屋高尾」か「搗屋無限」をやるべきであり、「幾代餅」をやるべきではありません。志ん生に対して失礼であり、だいたい、誰から「幾代餅」を仕入れたのか・・・

 「幾代餅」とは、どう云う餅菓子なのかを調べたら・・・江戸時代の名物菓子の一つで、吉原の花魁の幾代太夫が、数え年27歳の三月に年季奉公が明けて、搗き米屋の小僧だった清蔵と、元禄17(1704)年に両国広小路に小松屋と云う店を開店しました。花魁の源氏名にちなんで名付けた「幾代餅」は、一つ五文(百円)だったようで、焼いた丸餅の上に小豆餡をトッピングしたものだったようです。

 志ん生が語っているように、明治になってからは「幾代餅」は無くなったと云ってますから、たいたい百五十年ちょっと続いた餅菓子屋さんだったようです。「おかめ団子」も、似たようなものだったと思いますが、あちらは串刺しの団子で、みたらし団子と違って、串団子は焼いてないんですね。現代にも「幾代餅」と同じようなものがあるのかと思って探したのですが、私が調べた限りでは、同じようなものはありませんでした。

 餡子を中に入れて焼いた餅や、焼かないで餡子を乗せたりくるんだりする餅はあるんですけど、焼いた餅に餡子を乗せるってのは流行ってないようです。餅を焼いて、大根おろしに絡める「からみ(からめ)餅」や、きな粉をまぶす、「きな粉餅(安倍川餅)」ってのはありますね。

 上方では、小文枝(後の文枝)の弟子で、十年ほど前から病気で盲目になってしまった桂文太さんがやってますが、元々東京の噺なので、若干の変更箇所があります。吉原は新町の遊郭に変更。藪井竹庵は大藪竹山に変更。野田の醤油問屋の若旦那は、伏見の造り酒屋の若旦那に変更。東京の「幾代餅」は、その由来なのでサゲはありませんが、文太さんのは由来ではないのでサゲを付けていて・・・夫婦仲の良い二人に掛けて、幾代餅に焼き餅は無いとサゲてるんですが・・・誰から根多を貰ったのか? 本来の幾代餅は、焼餅です。でもまあ、「幾代餅の由来」とは云ってない訳で、上方バージョンとしては問題ありません。

幾代餅 15:11 幾代餅 / 古今亭志ん生
 データ・・・五代目 古今亭志ん生 明治23(1890)年6月28日~昭和48(1973)年9月21日 享年83 前名=七代目 金原亭馬生 出囃子=一丁入り 本名=美濃部孝蔵 紫綬褒章 勳四等瑞宝章
 
 一つの演目を、十人以上の噺家で聴いてみると、落語ってのはつくずく、噺家の生き様でありキャラクタだなって思います。八代目 林家正蔵は、前師匠の三代目 柳家小さんを尊敬し、小さんの心で居ろと云う戒めを込めて「小心居」を座右の銘としていました。同じ小さん一門の兄弟子だった五代目 古今亭今輔も同じでした。つまり、かつての大師匠たちってのは、武士と同じで、落語に命を掛けていて、自分の落語に関しては絶対的な自信を持っていたんですね。企業戦士だってそうであり、今の噺家とは大違いなのかな?

 いまだに藪さんは熱っぽくて(37.4度と思われる^^だから0.1度差で検査はしてもらえない^^)志ん生と同じで臆病な藪さんは、怖くて取材に出掛けられません。たまにはこう云う落語記事もいいでしょう。リンクを付けた音源が聴取可能なのかどうか判りませんが(^ω^)

 

 

 

 

播磨坂の桜の品種は、ほとんどがソメイヨシノです。ですから、さくらまつりが始まった頃には、例年いつも桜が咲いてません。

 

 

早咲きの桜を何本か植えればイベントの体裁は付くのですが・・・