神楽坂(かぐらざか)と云う江戸時代から続く粋な地名が現在でも残っています。
江戸八百八町と云うように、かつてはこの地には多くの町名があったのだが、現在では神楽坂一丁目~六丁目と云う詰んない名称になっちゃってます。小石川や白山にしたってかつての町名が廃止になって、単なる番地になってしまった。
神楽坂付近は大正時代には花街として名を馳せました。神楽坂の裏道は現在でも狭い路地で料亭がたくさんあります。今回の取材でも狭い裏道をちょこっと歩きましたが、いつも思うのはもしここが火事になったら、消防車が入れないから大変です。
当然ながら料亭では火の管理を厳重にやっているはずですが、歩き煙草は絶対に止めていただきたいと思います。
神楽坂まつりは、53年前の昭和47(1972)年に第一回をやりました。この数年、取材に行きたいとは思いつつサボってました。神楽坂は新宿区なので私のテリトリーじゃないしね(^ω^)
基本的に現在は四日間の祭りで、最初の二日が毘沙門天善國寺を中心にした歩道の屋台のほおずき市。あとの二日が阿波踊りとなっているようです。
文京区の祭りならば体力の許す限り詳細な取材はしますが、新宿区の祭りなのでテリトリーの侵害はしたくないんです。神楽坂上には矢来町(やらいちょう)があります。そこに住んでいたのが矢来町の師匠ですね。
落語初心者の方に申し上げますが、矢来町の師匠ってのは三代目 古今亭志ん朝の事です。戦後昭和の大師匠時代の噺家には持ち根多と云うのがあって、他の噺家の演目を別の噺家が勝手にできませんでした。歌丸さんは志ん朝の了解を得て火焔太鼓を演じました(^ω^)
撮影データ・・・平成29(2017)年7月26日(水)午後六時過ぎ 神楽坂
