戦後80年。年号も昭和から平成、令和となり日本も戦後の焼け跡闇市時代の貧乏国から高度経済成長期を経て、飽食で凡庸な国になりにけり(^ω^)
 物価が高いのどうのこうのと云いながらも低所得者よりも生活保護者が優遇されて豊かな生活をしているという訳の判らん世の中になりました。中東や東欧では今だに殺し会いをやっている。
 それは当事者の問題だから、利益目当ての外部者がとやかく云うこっちゃ無い。
 ♪この世はもうじきお仕舞いだ~マリリンモンローノーリターン
 って事で。50年後はどうなるかなぁ?


 撮影データ・・・令和7(2025)年8月16日(土)午後6時過ぎ 文京区小石川柳町小学校

 ドラエモンとかアンパンマンのようなテレビアニメが今の日本の子供たちのお気に

入りばかりではなく、海外でも有名なアニメなんですね。

 私が子供の頃の昭和30年代には、月光仮面とか少年ジェットとか快傑ハリマオや少年探偵団に熱中したもんです(^ω^)

 残念ながら今の若い人にそれらの話をしても全く通じません。押川春浪(おしかわしゅんろう)やジュールベルヌは、戦前の冒険小説作家ですが、世代的に知らないけれども調べたらワクワクするような面白さで大好きです。

 若い人にベルヌの海底二万哩(二万マイル)の事を話しても通じない。今の人って何が「本当に面白い」のかを理解していないと思います。

 撮影データ・・・令和7(2025)年8月16日(土)午後6時過ぎ 文京区小石川柳町小学校

 私が子供の頃の盆踊りの曲は、ペギー葉山さんの「南国土佐をあとにして」とか、三橋美智也さんの「夕焼けトンビ」などの歌謡曲や民謡の「炭坑節」、「東京音頭」などでした。

 当時はまだ「大東京音頭」や「東京スカイツリー音頭」や「ドラエモン音頭」はまだ出来てませんでした。

 いわんやAKB48の歌が盆踊りの定番になるなんて誰も思っていませんでした(^ω^)
 でも、いいじゃん。この動画をご覧になるとお判りのように、ご高齢のお婆ちゃんがAKB48の「恋するフォーチュンクッキー」を踊ってるんですよ(^∇^)

 ちなみに助六太鼓を叩いて下さっているのは、地元の鳶の二番組小頭のお嬢さんとお母さんです(^∇^)

 撮影データ・・・令和7(2025)年8月16日(土)午後6時過ぎ 文京区小石川柳町小学校

 もう半世紀をとっくに超える昔になってしまったのでよく憶えてはいないのですが、柳町ゑんま通り商店街とは一キロほど離れてはいますが、我が家の乾物屋もミツワ通り商店会の一員だったと思います。

 柳町は我が戸崎町の隣町です。でも戸崎町の氏子神社は簸川神社なのに対して、柳町は白山神社の氏子中なんです。ですから、九月の秋祭りの日程が簸川神社より一週間遅くて、根津神社の祭りとバッティングしている日程です。

 柳町三和(ミツワ?)会は、ミツワ石鹸のマークと同じような、三つの輪が描かれた半纏を着て祭りが盛んです。

 柳町小学校の校長先生も櫓の上で仰ってますが、今年の盆踊りは柳町小学校が工事中で校庭が半分以下のスペースになってしまい狭かったのですが、なんとか毎年恒例の夏休み親子盆踊り大会を今年も開催する事が出来ました。

 撮影データ・・・令和7(2025)年8月16日(土)午後6時過ぎ 文京区小石川柳町小学校

 夏のイベントと云うと、現代では多くの方が阿波踊りとかよさこいとか、ねぷたとか竿灯とかエイサーとかって思い浮かべると思いますが、それって私のふるさと東京のお祭りではないんです。

 浅草ではサンバカーニバルなんてのもやってますが、それって本場ブラジルのパクりであって江戸っ子が熱中するのはみっともない。

 阿波踊りやよさこいやおわら踊りを近年は東京でもやってますが、それは地方出身者のお祭りであって本来東京のイベントではありません。

 盆踊りこそが江戸時代からあった日本各地のお祭りイベントだったと思います。

 とは言え近年の都会では盆踊りの音がうるさいとかで、時間を短縮したりイヤホンで音を聴きながら無音で盆踊りをやるというとんでもない自治体もあるようです。

 それらを聞くに付け、最早私は古い人間になってしまったのだと思いますが、それは同時に日本人の精神が堕落してしまったんだとも思います。米の値段がどうのこうのと騒ぐ日本人って一体何なの?

 かつての池田勇人首相のように「貧乏人は麦を食え!」って云いたくなります。時代劇をよくご覧になって、かつての日本庶民はどう言う苦労をしてきたのかを学んで欲しいと思います。

 撮影データ・・・令和7(2025)年8月16日(土)午後6時 文京区小石川柳町小学校

 私が子供の頃は決して悪ガキではなかった。でも負けず嫌いだから駄菓子屋のクジがスカばっかりだと頭に来て、乾物屋をやっていたウチの銭箱から何度も小銭を持ち出して、一等賞が当るまでクジを買い続けた。

 当時の地元の子供達には中学生のガキ大将お兄ちゃんがいた。凧揚げやビー玉やベーゴマやメンコなんかの遊びはすべてそのお兄ちゃんから教えてもらった。メンコやビー玉に負けてなくなっちゃうと、みんなに内緒で分けてくれた。

 当時の小石川植物園の子供の入園料は十円だったのだが、私はその入園料を払った事はなかった。裏の方の塀を乗り越えて入るものだと思っていた。

 もちろんそれは大人の社会では悪い事なんだけれども、子供の社会では仲間への入会儀式みたいなものだった。O木なんて云うインチキ教育評論家には、まったく理解できていない子供社会の掟だったんです。

 私はウチの乾物屋で売っていたスルメの足を一本引きちぎっては、それをエサに植物園で毎日のようにザリガニ釣りをしました。大きくなると赤くなるのでマッカチンと呼んでいたアメリカザリガニを大量に捕獲しては、植物園の園丁(えんてい)に追い掛けられると云う夏休みの日々でした。

 アメリカザリガニは現在では、在来種の日本ザリガニを駆逐してしまう特定外来生物であり、駆除の対象になってます。ミシシッピアカミミガメなどの特定外来生物が国から補助を受けている国立大学付属の小石川植物園の池にいると云う事はどう云う事なんだ? って今の私なら園丁に反論するんだけどな(^∇^)

 撮影データ・・・平成29(2017)年8月7日(月)午前4時40分 上野動物園前

 「朝ぼらけ」と云う言葉は、軍歌(戦時歌謡曲)にはよく使われていたのだが、最近の流行歌にはまったく使われていない。何故ならその意味を今のバカな若者は知らないからだ。

 「朝ぼらけ」の本来の意味は、明け方であり、辺りがほのぼのと明るくなりかける頃と云う意味で、「あけぼの」と云ったりもする。

 軍歌で「朝ぼらけ」が使われた意味は、そう云う本来の意味ではなくて、幕末に坂本龍馬が「日本の夜明けぜよ」と云った意味なんです。

 5.15や2.26に軍に反乱を起こした若き将校達は、龍馬と同じように日本の未来を憂いてクーデターを起こしたんです。でも鎮圧されちゃって、かつての明治維新の時のような革命は起きなかった。

 相変らず私の記事の訳の判らんマクラですが(^ω^)

 不忍池のハスが7月末には最盛期になっているとは思いつつ、今年の暑さに耐え切れない私はエアコン三昧で寝てた。その事で右肩の肩こりが出ちゃったと思うのですが、脳の神経をビンビン刺激して何もやる気が起きない。

 二日前から地元の薬局で買った処方箋が必要な劇薬のロキソニン入り錠剤を飲み始めたのだが、若干効いている感じはするけど、バーボンのラッパ飲みの即効性には敵わない(^ω^)

 しかしどう考えても真夏の不忍池の午前四時の状況をレポートしているスットンキョーなヤツって私くらいしかいないだろうな。朝三時半に起きてツバメの観察。その次に電チャリを乗り出して、こんにゃくゑんまから言問通りを東上。本郷の弥生二丁目で暗闇坂を下れば、十分で不忍池に到着。

 そこからちょこっと歩くってのは、散歩コースとしては最適だね。まだ蚊も寝てる(^∇^)

 撮影データ・・・平成29(2017)年8月7日(月)午前四時 不忍池

 巣立ったあとの子ツバメと云うのは、人間で云うと三歳児以下だと毎度申し上げています。

 鳥ですから、巣立ったばかりでも数十秒の飛行は可能ですが、自力でエサを獲る事ができません。飛行訓練をしながら徐々に飛行距離を延ばし、自力でエサが獲れるようになるのは、巣立ち後二週間くらいではなかろうかと思います。

 それまではエサを運んでくれるお母さんとはぐれる訳には行きません。だから子ツバメはお母さんのあとを追い掛け回すのです。それが飛行訓練になります。当初は電線などに止まって給餌をしますが、子ツバメの飛行能力が高まってきて、空中で羽ばたいて停止するホバリングが出来るようになると、空中で給餌します。

 自力でエサが獲れないうちに子ツバメがお母さんとはぐれちゃうと餓死しちゃうのかと云うと、そうじゃありません。ツバメの子育ては、地域の十羽以上の複数の雌雄が集団でやっているんです。だから、お母さんにはぐれてしまった子ツバメは、別のお母さんのグループに加わってエサをもらう事が出来るんです。

 数年前に巣立ったのは五羽の子ツバメでしたが、ローカルの寝床に帰って来たのは六羽の子ツバメ。その六羽にお母さんが平等にエサを与えていました。それを見た時に私は・・・感動した!(^∇^)

 ツバメの観察数が少なくなっていると云う昨今、小石川ローカルには毎年四月の初めになれば、複数の産卵場所にツバメが帰って来て子育てをします。落ちるフンが汚いからと撤去された産卵床もあります。毎年二回の子育てが行われていたその産卵場所には、今年はツバメがやってこなかった。

 つまり人家のそばで子育てをするツバメには、人間の協力が必要なんです。だからと云って何もする必要はありません。ツバメが近所で子育てをしていると云う事は、如何に貴重な財産なのかと云う事を、何も知らない人たちに説明して説得する事なんです(^-^)v

 その点、戸崎町ローカルは最強の子育て場所です。私がすべての通行人を説得するばかりではなく、私が亡き後にもこの状態を維持してもらうために、子供たちを説得しています(^∇^)

 撮影データ・・・平成29(2017)年8月6日(日)午前四時 文京区小石川戸崎町

 ツバメの子育ての観察を何度もやってますと、お母さんの八面六臂の活躍には実に恐れ入ります。

 安易な観察ではツバメはツガイで子育てをしているって事になってしまうんですが、ツバメのお父さんってのは、地域のヘルパーさん軍団の一羽であって、オスには違いないんですがお父さんとは限らないんです。

 だから、いつもお母さんと一緒にいるとは限らない。ツバメはツガイで子育てしているんじゃなくて、お母さんが一羽で子育てをしていると云えます。ヘルパーさんは必要に応じてお母さんの手伝いをしているだけなんです。

 巣立った子ツバメはお母さんの飛行訓練によって、徐々に遠くまで飛べるようになってくるんですが、自力でエサが取れるようになるまでには二週間くらい掛かるんです。

 だから子ツバメ達は、エサをくれるお母さんとは離れられなくて、お母さんが寝る場所のそばで寝るんです。

 よく観察しないと判らない事なのですが、飛行訓練中に子ツバメがはぐれる事があります。でもご心配なく、地域に飛行訓練中の別のお母さんがいれば、そのはぐれた別のお母さんの子ツバメも自分の子ツバメと一緒に育てます。

 撮影データ・・・平成29(2017)年8月5日(土)午前三時半 文京区小石川戸崎町

 小石川ローカルの8年前のツバメの子育ても、いよいよ最終段階になってまいりました。

 8年前は暖冬だったのか、前年よりも一週間ほど早く飛来したファーストランのツバメ。前年に一ヶ所の産卵床が、ツバメの最大の天敵=人間によって壊されたので8年前の小石川ローカルでは四ヶ所でツバメが子育て。

 それぞれの産卵床からファーストランの五羽の子ツバメが五月末前後には巣立ちました。六月中旬から子育てを始めたのがセカンドランのツバメ。残念ながら一ヶ所の巣立ちが遅かったので、セカンドランの子育ては三ヶ所。

 その三ヶ所の内最後のヒナが以下の産卵床。野鳥のヒナと云うのは寒かったり心細かったりすると羽毛を膨らませます。しかし今は真夏日の暑い夏ですから寒い訳はない。お母ちゃんがエサを持ってきてくれないから心細くて、兄弟と身を寄せ合ってるんです。この時期のツバメのヒナが一番可愛い(^∇^)

 それにしても、どう見てもこのヒナは太り過ぎ。これじゃ千川通りの電線まで飛んで行くのは至難の業。路上に落ちて車に轢かれかねない。

 私の超ローカルの産卵場所は、私をはじめ長時間子育てを監視している強力なサポーターがいるので、上手く飛べないヒナも安心です。落語の藪入りじゃありませんが、今ツバメのヒナが飛行訓練しているのでって事で、千川通りの裏通りの植物園前の道路を走ってきた車を止めちゃう(^ω^)

 撮影データ・・・平成29(2017)年8月2日(水)午前十時半 文京区小石川千川通りの消防署先