五歳上の姉、一歳上の姉、そして、わたし。
かまってほしかったのだと思います。
みんなに注目されたかったのだと思います。
1番に見てほしかったから、それが叶わないといじける(≧ヘ≦ )
そして、いじけると怒られる。
『わたしなんか、どうせ…』となる。
この思いが根付いてしまった幼少時代。
学校上がってからは勉強がんばる、運動会がんばる、
百点とったよ!1等賞とったよ!唄うよ、踊るよ、おどけるよ、
見て!見て!見て!
必死だった氣がします(*´・ω・)
客観的に見るとそうなっても仕方ない環境であったなーと今は思います。
1つ上の姉は障害を持っていて体が弱かったので、大人の目は姉に向かいます。
それは自然なことでみんなで守ろうと言う意識が働くのは当然なこと。
でも、幼いわたしに理解するのは無理。
どうにか大人の目を自分に向かせようとあの手この手を使う。わがままと叱られる。いじける。
少し大きくなったら、知恵もついて『いい子』になったら誉められると知る。
でも、それって大人の都合のいい『いい子』だったりするので、
どんどんわたしは『ほんとの自分』から遠ざかっていったのだなーと分析✨
子どもなりに生きていくための本能が働いていたのかな…子どもは無力だから。
でも実はわたしにも愛は注がれてて、ただ氣づけなかった、氣づける経験値もなかったと言うことだけ。今世の学びの1つだったのでしょうね💫
氣づかないだけで愛は確かにあったから家族含む大人たちのことをわたしも愛してます💕
かまってちゃん✨健氣だわ笑
今日はかまってちゃんを抱きしめて眠ります💕
必死だったんだね、見てほしかったんだね、愛を感じたかったんだね。
そんなあなたをわたしは大好きだよ。愛してるよ💕
その時期は終わったから愛があふれる未来へ行こう。わたしと一緒に🌈

