朝も夜も関係なく働き、
従姉妹たちは常に学童にいたり、
置いてきぼりのような
そんな生活を見てきたので、
どうも私には性に合わないと決めつけていました。
(今思えば、小さな私には、その家庭の中身も知らずに勝手に思い込んでいました。今現在、従姉妹たちは、本当に心優しく人として素晴らしい大人に成長されているので、私の勝手な思い込みは勘違いだと気づかされました。
そして、私自身も、今は子どもを置いて仕事に行ってます。それが、子どもたちへ悪影響を及ぼすこともないと考えています。
時間は短くても、心を通わせてのコミュニケーションが大事なのだとよく言われますが、本当のことやと思います。
そして、私は、今、その叔母を、看護師、母親、人生の先輩として、本当に尊敬しています!!)
さらに、病院での夜勤は、幽霊がでるんじゃないかと、何となく多感な私は、恐怖心でいっぱいでした。
でも、
そんな私の決断を、後押ししたのが………
幼い頃に亡くなった親友のお母様のお話を聞いたことでした。
私は、看護師を目指そうかと思っていると相談したときに、
二つ返事でお返事してくれたのですが、
その幼かった友人は、
元々看護師になりたかったのだと。
そして、看護師を見て、話しやすい人と話しにくい人といるのだと。
彼女が亡くなったときに、
そのお母様から言われた言葉はずっとずっと私の中にありました。
この子の分も生きてね。
なので、私は、そこで決断したのです。
私は、
彼女が思っていたような、患者さんが話しやすいと思ってくれるような看護師になろう。
そして、看護師を目指す日々が始まりました。
先ほども書いたように、
私は、
看護師を目指していたわけではなく、
数学がとてつもなく嫌いだったので、
高校3年で、私立文系コースを選択し、
数学や理科の授業がないカリキュラムになっていました。
ですが、看護学校の試験に、その科目は必須です。
私は
もう決めたので迷いはありません。
裕福な家庭でもなかったので、親に迷惑をかけるわけにもいかない。
そう思っていたので、
学校の先生に、まず、理由を説明し、
学ばさせていただくための時間をとらせていただきました。
帰ってから自分で必死に勉強しました。
全く苦ではありませんでした。
ひたすらわからないところは先生に放課後質問し、自分で勉強を続け………
地元の国立系と市立系の看護学校に合格したのでした💨💨💨
学校での学びは、本当に楽しく、
みんなが怖いと嫌がる実習も楽しみでしかありませんでした。
睡眠時間が4時間でも、
全く苦ではありませんでした。
とある患者さんとの出会いが、
私の更なる機転となり、
私の看護観が触発された事例がありました。
その後も、
毎日、学びの多い職場で、実際に人との関わりのなかで、
私は日々成長を重ねてこられたと思います。
いっぱい失敗もして、
看護師を辞めよう、私には向いてない。
そう思ったこともありましたが、
仲間が、助けてくれたこともありました。
そして、今に至ります。
今の私があるのは、
人との出会いが全てここに導いてくれているのだと、信じられます。
これまでの全ての出会い、出来事、別れ、全てに感謝いたします。
本当にありがとうございます✨✨✨✨✨