「人と比べないで」
「自分らしく生きよう」
「ありのままで」
今、この言葉が
あちこちで聞かれます。
SNSを開けば流れてくる。
雑誌の特集にもなる。
セラピストやカウンセラーも口にする。
この言葉たちは、間違ってはいません。
でも、
少し引いて見てみると、
この言葉には
二つの使われ方が混在しています。
ひとつは、
自分の軸を持つための言葉として。
他者の価値観に振り回されず、
自分にとって何が大切かを
問い続ける姿勢。
これは成熟した使い方です。
もうひとつは、
「現状から目を逸らす」ための言葉として。
本当は整えたい、
本当は変わりたい、
本当はもっと綺麗でいたい。
でも、その気持ちを
抱えるのがしんどいから、
「自分らしく」で蓋をする。
後者は、逃げです。
誰でも使ったことが
あるのではないでしょうか。
わたし自身、何度もあります。
それはもう、何度も。
綺麗と思われたい、
若く見られたい、
認められたい。
この感情を抱えることを
「恥ずかしい」「未熟だ」と
感じてしまうことはないでしょうか?
若い頃と違って、
努力しても簡単には戻らない体。
周りは先に白旗を上げている空気。
「もう歳だから」
「今さら頑張らなくても」
の声。
こうした環境で、「綺麗でありたい」と
願い続けるのは、正直しんどいです。
だから、
「ありのままが一番」「自分らしく」という
便利な言葉に逃げ込みたくなる。
でも、
逃げ込んだ先には何があるでしょうか。
本当は認めてほしい欲望が、
封じ込められたまま残ります。
それが、
ある日ふとした瞬間、
鏡の前で、
ふいに窓に映った自分を見た時に、
同窓会の案内が届いた時に、
噴き出す。
「こんなはずじゃなかった」
「なんで私だけ」
「もっとちゃんとしておけばよかった」
封じ込めた欲は、
いつか必ず、後悔に変わるんです。
わたしが最近選んでいるのは、
この感情を「健全な比較」として引き受けることです。
綺麗と思われたい、
若く見られたい、
認められたい。
これらは、
人間の自然な欲望です。
他者を蹴落とすための優劣争いではなく、
自分が自分でいるための確認作業。
「まだ動けている」
「まだ諦めていない」
「まだ自分を保てている」
これらを、
他者との関係性の中で確かめる。
それが、健全な比較なのだと思います。
誰かに勝ちたいのではなく、
自分として真っ直ぐ前を向けるか。
この感覚を軸に据えると、
比較は苦しみではなく、
自分を確かめる道具に変わります。
私のサロンだけでなく
美容や健康をテーマにした場所へ来てくださる方の多くは、
この感覚を言葉にしないまま持っています。
表向きは
「肩こりが」
「むくみが」
「疲れが抜けなくて」
でもその奥の奥には
人間らしい本音があるはずなんです。
(悟られた方は別として
)
「ババアって言われたくない!」
「夫の目が気になる」
「同窓会で恥ずかしい思いをしたくない」
「まだ女として終わりたくない」
こうした本音を、わたしは否定しません。
むしろ、
この本音を一緒に叶えられたら最高だなと思っています。
本音を言っても、言わなくてもいい。
でも、どれだけ「人間臭い願望」を言われても
「ウッヒョー!めっちゃいいですね!」と言えるくらい
私も欲望はたくさんあります(こっそり)
ただ本音を言っても大丈夫なんだ、ということは
お伝えしたかったのです。
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