「理解 納得」するの難しさ | ~希望の詩~

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「いばしょクラブスタッフ・ルカ」のブログです。
学校に行けなかった2人の息子のこと、
いばしょづくりやいばしょクラブのこと、
パピヨンのここちゃん&フルールちゃんのこと、
食べ歩きや、日常生活などを綴っています♡

子供の成長、幸せを、
親は誰よりもねがうんです。

 

春に桜が咲くように
夏にヒマワリが大輪を咲かせるように

 

小学校、中学校、高校で
いろんなものを吸収してほしいと
親は誰よりもねがうんです。

 

春に桜が咲かなかったら
夏にヒマワリが咲かなかったら

 

その理由が明確にわかれば
納得するし、環境を調整できます。

 

学校にいけない子に理由を求める。
むりやり行かせる。
しつこく行けという。

 

その裏にはこういった意味があるんです。

 

それを「察する」ということで「納得」するのは、

じつは神業じゃないかとさえ思います。
自分と違う感覚の子をどうやって「察する」のか。

 

 

 


「 たんけん 」 コポタロウ

 

 

個性や特性、何かあるのだと、
むりやり「納得」させるんです。
泣きながら「耐える」んです。

むりやり「納得」することで子供を守れるなら、それを選択するんです。

子供がある程度の説明ができるようになるまで「忍耐」なのです。

 

個性を潰す気はありません。
できることなら伸ばしてあげたい。
だって、誰よりも幸せを願っているんだもん。

 

自分の中で何が起こっているのか伝えられない子供の代わりに、

ある程度「学校に行けない理由」を「説明」できる解説者がいたら、

親子間の苦しみは激減するはずです。

 

「察する」「理解」するには、同じような、似たような感覚が必要です。
その感覚がない、または、少ない場合には「理解」するための学びが必要です。

 

だからアチコチに足を運び
何か掴めないかと試行錯誤するのではないかな。

 

 

「クマくんと」

 

 

あくまでも私が持つ感覚で親の立場から吐露してみました。