子供の成長、幸せを、
親は誰よりもねがうんです。
春に桜が咲くように
夏にヒマワリが大輪を咲かせるように
小学校、中学校、高校で
いろんなものを吸収してほしいと
親は誰よりもねがうんです。
春に桜が咲かなかったら
夏にヒマワリが咲かなかったら
その理由が明確にわかれば
納得するし、環境を調整できます。
学校にいけない子に理由を求める。
むりやり行かせる。
しつこく行けという。
その裏にはこういった意味があるんです。
それを「察する」ということで「納得」するのは、
じつは神業じゃないかとさえ思います。
自分と違う感覚の子をどうやって「察する」のか。
個性や特性、何かあるのだと、
むりやり「納得」させるんです。
泣きながら「耐える」んです。
むりやり「納得」することで子供を守れるなら、それを選択するんです。
子供がある程度の説明ができるようになるまで「忍耐」なのです。
個性を潰す気はありません。
できることなら伸ばしてあげたい。
だって、誰よりも幸せを願っているんだもん。
自分の中で何が起こっているのか伝えられない子供の代わりに、
ある程度「学校に行けない理由」を「説明」できる解説者がいたら、
親子間の苦しみは激減するはずです。
「察する」「理解」するには、同じような、似たような感覚が必要です。
その感覚がない、または、少ない場合には「理解」するための学びが必要です。
だからアチコチに足を運び
何か掴めないかと試行錯誤するのではないかな。
「クマくんと」
あくまでも私が持つ感覚で親の立場から吐露してみました。

