ことちゃんの小児脳腫瘍闘病記 -2ページ目

ことちゃんの小児脳腫瘍闘病記

娘である紀音(ことね)の闘病記録です。
主に、小児がん(脳腫瘍)が発覚した2005年12月(4歳)から、天使になった2009年06月(7歳半)までの記録です。
葬儀やその後の私の活動についても報告する予定です。

”その後”なので、当然他界後の話になります。
お読みになられる方によってはきつい内容かもしれません。
読まれる方はご注意願います。

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出版の話がなくなってしまった・・・。
 
個人経営の出版社で、その方が編集から全てやっていた。
一昨年ぐらいから、その方自身が癌を患ってしまい、入退院を何度か繰り返していた。
闘病中にも編集作業は進めていただいていた。
校正段階に入ったところで音信不通になった。
 
ここで、詐欺と病死という2つの不安がよぎる。
メールも電話も繋がらず、新型コロナが少し落ち着いてから、一度自宅を訪ねようと思っていた。
そんな時、SNS繋がりのご友人が訪ねたようで、4月に病死されていたとのこと。
 
ということで、非常に残念ながら、あと少しというところで出版の話はなくなった。
一番待ち望んでくれていた実家の母には申し訳ないことをした。
 
どこか出版してくれるところないかなぁ・・・。
 

”その後”なので、当然他界後の話になります。
お読みになられる方によってはきつい内容かもしれません。
読まれる方はご注意願います。

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昨夜、ふと食器棚の横に貼ってある娘の写真を見て、
たしかに娘は居たんだよなぁ
と思った自分がいた。
 
他界して十一年。
死因や状況など、同じものは一つもないけど、
”親としてちょっと薄情じゃないのか?”
と相変わらず思う。
整理がついてるとしても、ね。
 
アンケートやイベントで、子どもの有無を聞かれることがよくある。
もちろん”0人”か”なし”と回答する。
ただし、”居た”という”なし”なんだけどね。
おそらく、何度もやってると錯覚に陥るんじゃないだろうか。
色々と処分してるせいもあるんだろう。
ということにした。
 
さて、出版の話の先が見えてきた。
母親から「生きてるうちに早く出して」と言われ続けてようやく(笑)。
まだ最終チェックが残ってるので、私の頑張り次第でもあるけど、
全てが順調にいけば、冬の手前にはできるかなぁ、という感じ。
 

”その後”なので、当然他界後の話になります。
お読みになられる方によってはきつい内容かもしれません。
読まれる方はご注意願います。

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娘が天使になって、もうすぐ11年が経とうとしている。
相変わらず、以前のような、生きることに対するモチベーションが足りなくて困る。
やりたいことはいっぱいあるのにねぇ。

さて、新型コロナウイルスのおかげで、通常ならばほぼ不可能な在宅勤務が可能となった。
片道2時間通勤の身としてはありがたいことだ。
往復4時間もの通勤時間が手に入るわけだから、ウハウハ気分で色んなことができる・・・はずなんだけどねぇ。
やはりやる気が起きない。

ただ、なぜか前夜にゴミ出しを頑張るようになった(笑)。
ゴミ出しって、出すには中途半端な量って気になりません?
あと少しあれば出せちゃうのに、次まで出せないのか・・・みたいな。
これがきっかけとなって、娘の遺品や闘病関連の書類や器具なんかを処分し始めた。

保育所に通うようになって間もなく闘病が始まったので、娘に関するものはほぼ全て残ってる。
闘病関係のものも含めると、丸々2部屋がつぶれるぐらい。
悲嘆に暮れるとか、悲しくなるからとかではなく、ただ単に片付ける気が起きなかった。
それが、この外出自粛のおかげで、11年も時が止まっていた部屋を片付け始めたと。

これがなかなか大変で、捨てても捨てても減らない(笑)。
大きなゴミ袋で20個は出したのに、全体の1割ぐらいじゃないだろうか(^^;。
年内にはなんとかしたいもんだ・・・。

ついでに終活としての処分にも着手。
問題は、粗大ゴミが結構あって費用がかかるところ(;´Д`)。
できるだけ解体して、普通ゴミとして出すことを検討しよう。

というわけで、今年のミッションは、部屋の時間を進めること。
あ、自費出版の方は諸事情により遅れてます。