アウェーな環境に慣れたのはいつか〜自分史。
サマーキャンプの話を書かないまま、
自分史をストップしているくさのです。
7月に入りました。
大阪にきて早9ヶ月。
逆にいえばまだ9ヶ月しかたっておらず、
去年の今頃は確実に戸田公園から埼京線に乗って
新宿へ遊びに行っていた訳です。
ところが、それが遠い昔のことのように思えてしかたがありません。
それは私にとって、すでにここが
ホーム
になっているからなのかもしれない、と思います。
◇◇◇
とある友人のメールにありました。
くさのさんはずっとつくば・東京都、
アウェーな土地で大学に通い、会社をやってたわけですよね
ふーん・・・。
確かにそういうふうに考えられるのかもしれないなぁ。
そういう視点で自分が一人暮らしをはじめたばかりの頃をふりかえってみよう、と
言う気持ちになりました。
◇◇◇
私のふるさとは石川県の穴水町というところ。
今でこそ能登空港がありますが、私が大学に入学したのは1995年。
まだ空港はできてなどおらず、
今では当たり前にみんながもっている携帯もない頃のこと。
私が入学することになったのはよりによって筑波大学。
穴水育ちの私にとって、関東の都県の配置は?マークがてんこもりな状態。
穴水町からつくば市に行くにはいくつか方法はありますが、
空港経由しても結局かかる時間はあまり変えられず、お金もかかるので
だいたいは金沢から特急で新潟方面を経由して上越新幹線に乗り換え、
上野でおりてバスか電車でつくばまで、をよく選択していました。
こうやってかいただけでおわかりのとおり、
かなり時間がかかる移動です。
そんな遠いところに行くことになったのは私に筑波大学をすすめてしまった
担任の先生がきっかけですが、それは今日はおいておきます。
いずれにしろ、
当時の私には筑波大学にいくことや未体験の一人暮らしへの期待が大きく
また、大学へ行く先輩や友人たちもみんな遠くへ行ってしまうので
それがどんなことなのか、あまり考えることもなく引っ越しの日を迎えたように
記憶しています。
実家から引っ越すにあたっては
布団やもろもろの荷物を積んで、父の運転する車で行くことになっていました。
なので夕食後に出発、朝現地着を見込んでいました。
家を出るとき、最後にみんなで食べたのはカレー。
妹がミスチルの星になれたら、をかけてくれました。
そのとき、ああ、私は家をでていくんだなぁとはじめて実感したように思います。
そして翌日。
引っ越しをおえて父が車でひとり、かえっていくことになりました。
その車を見送った瞬間、おそってきました。
あー、ひとりぼっちになってしまった
きょうだい4人いて、わいわいがやがやで育ってきた、
姉としての自分にアイデンティティを見いだしていたことを思い知りました。
でも、その瞬間からそうではない、新しい自分にならなければならないと
強烈に感じました。
幸か不幸か?外線電話はしばらくつかえず、
家に電話するのすら長蛇の列の公衆電話に並ばなければならず
驚異的なスピードで残高の減って行くテレホンカードにも限りがあり
とても高校時代の友人に連絡をとるなんてこともかないませんでした。
そしてこれもまた幸運なことに?高校時代におつきあいしていた方とは
とっくに別れてしまっており、ありがたいことに卒業にあたり
おつきあいを申し出てくださった方々にも辞退をお伝えしてきていたので
そういう後ろ髪をひかれることもありませんでした(苦笑)
こうやって書いてくると、
私がアウェーな環境になれたのはどうやら
ホームには帰れない物理的な距離とアウェーに感じていた強烈な期待
という要因が大きかったのかもしれません。
そして、こうしてさらに気がついたことは
私が会社設立を決意してときもまったく同じ状況だった、ということです。
まあ、そのときは
ホーム=会社員
アウェー=経営者
だったわけですが、ね。
そうして、はじめはアウェーだった場所でも
そこで自分のアイデンティティを確立することでそこはホームにかわり
いつしか、そこが、そこしか私のホームにはなりえなかったよね、と
いう状態になっていったのだと思います。
今は携帯があり、メールがあり、
ブログがあり、はてはツイッターがあり。
物理的な距離を感じさせないツールが山ほどあります。
それが便利なことも多いし、それに私もたくさん助けられています。
でも、そのせいで、自分がアウェーにいて、
というかホームを離れて、新たなホームを築かなければならないときに、
自分が揺らいでしまう、ということもあるのですね。
ホームを離れると言う経験をしない方もいらっしゃると思います。
でも、離れると決めたなら、その目的と初心を決して忘れてはならないと
思います。
ただ、新たなホームを築こうと思ったその場所がどうやら間違っていたらしい、と
直感的に感じたなら、それをしっかり分析してみるべきかと思います。
その結果、冷静な判断として離れるという結論に至ることもあります。
そうなった場合には、決して感情的にその場を即去る、とかいうことを
私はよしとしてきませんでした。
そうなったとしても、それから少なくとも1年以上の月日をかけて、
離れるために何を残すか、を考え、取り組んでから離れてきました。
一度は自分の新たなアイデンティティを構築しようと考えた場所ですもの。
何かひとつくらい成し遂げていなくならないと。
それが私のポリシーです。
◇◇◇
と長々書いてきました。
が、今の私はちょっと違います。
なぜなら私には3年前に新たな家族ができたから。
家族とともに異動してきたはじめての地はアウェーなはずが
これっぽっちもアウェーではありませんでした。
家族とともにあればどこにいてもそこがホーム、なんですよね。
と、のろけで今日のエントリーはおしまいです・・・。
最後までよんでくださったありがとうございました。
自分史をストップしているくさのです。
7月に入りました。
大阪にきて早9ヶ月。
逆にいえばまだ9ヶ月しかたっておらず、
去年の今頃は確実に戸田公園から埼京線に乗って
新宿へ遊びに行っていた訳です。
ところが、それが遠い昔のことのように思えてしかたがありません。
それは私にとって、すでにここが
ホーム
になっているからなのかもしれない、と思います。
◇◇◇
とある友人のメールにありました。
くさのさんはずっとつくば・東京都、
アウェーな土地で大学に通い、会社をやってたわけですよね
ふーん・・・。
確かにそういうふうに考えられるのかもしれないなぁ。
そういう視点で自分が一人暮らしをはじめたばかりの頃をふりかえってみよう、と
言う気持ちになりました。
◇◇◇
私のふるさとは石川県の穴水町というところ。
今でこそ能登空港がありますが、私が大学に入学したのは1995年。
まだ空港はできてなどおらず、
今では当たり前にみんながもっている携帯もない頃のこと。
私が入学することになったのはよりによって筑波大学。
穴水育ちの私にとって、関東の都県の配置は?マークがてんこもりな状態。
穴水町からつくば市に行くにはいくつか方法はありますが、
空港経由しても結局かかる時間はあまり変えられず、お金もかかるので
だいたいは金沢から特急で新潟方面を経由して上越新幹線に乗り換え、
上野でおりてバスか電車でつくばまで、をよく選択していました。
こうやってかいただけでおわかりのとおり、
かなり時間がかかる移動です。
そんな遠いところに行くことになったのは私に筑波大学をすすめてしまった
担任の先生がきっかけですが、それは今日はおいておきます。
いずれにしろ、
当時の私には筑波大学にいくことや未体験の一人暮らしへの期待が大きく
また、大学へ行く先輩や友人たちもみんな遠くへ行ってしまうので
それがどんなことなのか、あまり考えることもなく引っ越しの日を迎えたように
記憶しています。
実家から引っ越すにあたっては
布団やもろもろの荷物を積んで、父の運転する車で行くことになっていました。
なので夕食後に出発、朝現地着を見込んでいました。
家を出るとき、最後にみんなで食べたのはカレー。
妹がミスチルの星になれたら、をかけてくれました。
そのとき、ああ、私は家をでていくんだなぁとはじめて実感したように思います。
そして翌日。
引っ越しをおえて父が車でひとり、かえっていくことになりました。
その車を見送った瞬間、おそってきました。
あー、ひとりぼっちになってしまった
きょうだい4人いて、わいわいがやがやで育ってきた、
姉としての自分にアイデンティティを見いだしていたことを思い知りました。
でも、その瞬間からそうではない、新しい自分にならなければならないと
強烈に感じました。
幸か不幸か?外線電話はしばらくつかえず、
家に電話するのすら長蛇の列の公衆電話に並ばなければならず
驚異的なスピードで残高の減って行くテレホンカードにも限りがあり
とても高校時代の友人に連絡をとるなんてこともかないませんでした。
そしてこれもまた幸運なことに?高校時代におつきあいしていた方とは
とっくに別れてしまっており、ありがたいことに卒業にあたり
おつきあいを申し出てくださった方々にも辞退をお伝えしてきていたので
そういう後ろ髪をひかれることもありませんでした(苦笑)
こうやって書いてくると、
私がアウェーな環境になれたのはどうやら
ホームには帰れない物理的な距離とアウェーに感じていた強烈な期待
という要因が大きかったのかもしれません。
そして、こうしてさらに気がついたことは
私が会社設立を決意してときもまったく同じ状況だった、ということです。
まあ、そのときは
ホーム=会社員
アウェー=経営者
だったわけですが、ね。
そうして、はじめはアウェーだった場所でも
そこで自分のアイデンティティを確立することでそこはホームにかわり
いつしか、そこが、そこしか私のホームにはなりえなかったよね、と
いう状態になっていったのだと思います。
今は携帯があり、メールがあり、
ブログがあり、はてはツイッターがあり。
物理的な距離を感じさせないツールが山ほどあります。
それが便利なことも多いし、それに私もたくさん助けられています。
でも、そのせいで、自分がアウェーにいて、
というかホームを離れて、新たなホームを築かなければならないときに、
自分が揺らいでしまう、ということもあるのですね。
ホームを離れると言う経験をしない方もいらっしゃると思います。
でも、離れると決めたなら、その目的と初心を決して忘れてはならないと
思います。
ただ、新たなホームを築こうと思ったその場所がどうやら間違っていたらしい、と
直感的に感じたなら、それをしっかり分析してみるべきかと思います。
その結果、冷静な判断として離れるという結論に至ることもあります。
そうなった場合には、決して感情的にその場を即去る、とかいうことを
私はよしとしてきませんでした。
そうなったとしても、それから少なくとも1年以上の月日をかけて、
離れるために何を残すか、を考え、取り組んでから離れてきました。
一度は自分の新たなアイデンティティを構築しようと考えた場所ですもの。
何かひとつくらい成し遂げていなくならないと。
それが私のポリシーです。
◇◇◇
と長々書いてきました。
が、今の私はちょっと違います。
なぜなら私には3年前に新たな家族ができたから。
家族とともに異動してきたはじめての地はアウェーなはずが
これっぽっちもアウェーではありませんでした。
家族とともにあればどこにいてもそこがホーム、なんですよね。
と、のろけで今日のエントリーはおしまいです・・・。
最後までよんでくださったありがとうございました。