可能性は無限大、はいつまで?
久しぶりの2日続けての更新です(笑)
◇◇◇
私が後悔しない毎日を送ろう、と思うようになったのには
いくつかのきっかけがありました。
その中のひとつには、経緯はどうあれ、起業をいう道を選択したことも
もちろん含まれています。
起業する、ということは
本来はどんな進路を選択してもそうなんだけど
すべての責任を自分だけで引き受ける、ということですよね。
たとえ、自分の意としないことが起きたとしても
そうじゃないんだけどな、と思うことがあったとしても
結果として起こったことの責任はすべて自らしか引き受ける人はいない。
それを言い訳することなく、真正面から受け止めるしかない
という経験をいくつもしてきたから
絶対に自分がやること、やったことについて、後悔はしたくない、
後悔しないように生きたい、と思うようになったのだと思います。
◇◇◇
後悔しない、とは決してこうではない、と私は考えます。
結果が約束されていない、リスクのあることには手をださない。
よくよく考えに考えを重ねて動き出す前に十二分の時間をかける。
過ぎた出来事について一切、考えることをしない。
たとえば、こんなことではないと思うのです。
後悔しないつもりが、こんなでは
何もできなくてつまらない毎日になってしまって後悔しそう
じゃありません?
だから私は後悔しないってのはある意味、自分の思考回路の「くせ」なんだと
思うようになりました。
◇◇◇
そんな私が先月、ある意味において同志な女性としていた会話の中で
これもくせだな、と思ったフレーズがありました。
彼女にも1歳になったばかりの娘さんがいます。
彼女がある集まりに娘さんをつれていったときに
その中のひとりがしみじみとおっしゃったんだそうです。
これくらいのときは可能性の固まりだったはずなのに
いつからこうなっちゃったんだろう・・・
そうそう。
こういうつぶやき、よくきこえてきます。
でも、その話をきいて思いました。
いやいや、可能性はいつだった無限大だよね?!
と。
そうですよね。
確かに成長するにしたがって
私たちの選択できる現実的な角度は決まってしまってくるかもしれません。
でも、それって別に1歳児だって同じことだと思います。
生まれてきた環境は誰もかえられませんものね?
ただ、その環境の中で
自分の可能性に限りがあるなんて思わずに本能の、
モチベーションのおもむくままに成長していく
というのは赤ちゃんの行動パターンなのだと思います。
オトナになって、先のようなつぶやきをする人だって
本当は可能性は無限大。
ただ、自分で
もう自分の可能性はほとんど期待できない
と、決めてしまっているだけ。
そういうふうに考えることができるんじゃないかなと思いました。
へりくつ、といわれるかもしれません。
が、私自身、
いつまでだって、可能性は無限大♪
とつぶやいてみることで
とても楽しい気分になれました。
選択肢を現実的にどのようにしぼりこんでいくか、は
厳密にいえば本人の能力的な可能性とは別の次元で考えていると思います。
◇◇◇
そうやって、
今は完全に仕事をしていない私ですが、
いつまでだって、可能性は無限大♪とつぶやきながら
何年後かのことをあれこれ考えたりしてわくわくしているのです。
◇◇◇
私が後悔しない毎日を送ろう、と思うようになったのには
いくつかのきっかけがありました。
その中のひとつには、経緯はどうあれ、起業をいう道を選択したことも
もちろん含まれています。
起業する、ということは
本来はどんな進路を選択してもそうなんだけど
すべての責任を自分だけで引き受ける、ということですよね。
たとえ、自分の意としないことが起きたとしても
そうじゃないんだけどな、と思うことがあったとしても
結果として起こったことの責任はすべて自らしか引き受ける人はいない。
それを言い訳することなく、真正面から受け止めるしかない
という経験をいくつもしてきたから
絶対に自分がやること、やったことについて、後悔はしたくない、
後悔しないように生きたい、と思うようになったのだと思います。
◇◇◇
後悔しない、とは決してこうではない、と私は考えます。
結果が約束されていない、リスクのあることには手をださない。
よくよく考えに考えを重ねて動き出す前に十二分の時間をかける。
過ぎた出来事について一切、考えることをしない。
たとえば、こんなことではないと思うのです。
後悔しないつもりが、こんなでは
何もできなくてつまらない毎日になってしまって後悔しそう
じゃありません?
だから私は後悔しないってのはある意味、自分の思考回路の「くせ」なんだと
思うようになりました。
◇◇◇
そんな私が先月、ある意味において同志な女性としていた会話の中で
これもくせだな、と思ったフレーズがありました。
彼女にも1歳になったばかりの娘さんがいます。
彼女がある集まりに娘さんをつれていったときに
その中のひとりがしみじみとおっしゃったんだそうです。
これくらいのときは可能性の固まりだったはずなのに
いつからこうなっちゃったんだろう・・・
そうそう。
こういうつぶやき、よくきこえてきます。
でも、その話をきいて思いました。
いやいや、可能性はいつだった無限大だよね?!
と。
そうですよね。
確かに成長するにしたがって
私たちの選択できる現実的な角度は決まってしまってくるかもしれません。
でも、それって別に1歳児だって同じことだと思います。
生まれてきた環境は誰もかえられませんものね?
ただ、その環境の中で
自分の可能性に限りがあるなんて思わずに本能の、
モチベーションのおもむくままに成長していく
というのは赤ちゃんの行動パターンなのだと思います。
オトナになって、先のようなつぶやきをする人だって
本当は可能性は無限大。
ただ、自分で
もう自分の可能性はほとんど期待できない
と、決めてしまっているだけ。
そういうふうに考えることができるんじゃないかなと思いました。
へりくつ、といわれるかもしれません。
が、私自身、
いつまでだって、可能性は無限大♪
とつぶやいてみることで
とても楽しい気分になれました。
選択肢を現実的にどのようにしぼりこんでいくか、は
厳密にいえば本人の能力的な可能性とは別の次元で考えていると思います。
◇◇◇
そうやって、
今は完全に仕事をしていない私ですが、
いつまでだって、可能性は無限大♪とつぶやきながら
何年後かのことをあれこれ考えたりしてわくわくしているのです。