明日やろうはバカヤロー~自分史。
キャンプの話が年をまたいでなお書けていないくさのです
が、今日は別のお話を。
15年前といえば、阪神淡路大震災があった年です。
その前々日にあたる今日とその前日は
私にとっては大学入試センター試験でした。
国公立一本で受験した私にとっては
ある意味、二次試験より大事な大本番の一発勝負。
私は直前のセンター模試演習では9割というアベレージをたたき出すまでになっており
普通にやれば問題無し、いかにいつもどおりの結果をだすか、という状態でした。
ところが。
泊まりがけで金沢まで集団受験に出発する朝。
それはおこりました。
なんだかゾクゾクしたんです。
いやーな予感。
しばらく耐えてましたが限界。
熱をはかると
38.5度
そして上がりつづける熱。
どうみてもインフルエンザの症状でした。
熱をおしてバスに乗りましたが
どうにも耐えられなくなり
最後部に陣取っていた私の座席は最前列に強制移動。
あまりの高熱に
なんと信号停車中に道路脇で調達してきた雪で
全身を冷やされる始末。
みんながセンター模試の会場になる金沢大学を下見に行ったときも
ひとり寝かされっぱなし。
みんなが横を通るので
恥ずかしいやら申し訳ないやら。
宿舎となるホテルについてすぐ
近くの病院へ連れていかれ、いえ連れていっていただきました。
診断は当然のようにインフルエンザ。
診断書書きますけど要りますか?
と、お医者さんがおっしゃいました。
つまり、今回をあきらめて追試を受けますか?という選択肢を与えられました。
さすがにしばらく悩みました。
が、追試の難しさを考え、本試験を受験する決断をしたのです。
イターい注射とともにお医者さんからひとこと。
薬出しときますけど
試験の間はのまないでね。
眠くなるから。
なんと、私の大事な大本番は
インフルエンザの高熱との戦いになってしまったのです。
ホテルでは部屋を先生の横に変更され
勉強禁止令
が発令されました。
食事はみんなと違って負担の軽いものになってました。
迷惑なやつだったと今なら思えますが
あの日の私の頭の中は
なんでこんな目にあうの
被害妄想で満タンになっていました。
迎えた試験当日。
時間との戦いでもあるセンター試験、
高熱で頭が動かないのです。
最悪な事態は数Ⅰでおこりました。
いつもならパズルのように簡単にうめられるマスが
全く埋まらないのです。
この科目は演習では取りこぼしがなかったので
大パニックになりました。
そしてタイムオーバー。
埋めたものが全部あっていても6割にしかなりません。
数学は限りなく満点をとらなくてはならなかったのに。
少しの休憩で次は数Ⅱ。
でも動揺した気持ちをどうしていいか、わからなくなっていました。
そのとき助けてくれたのが
同じ部活の友人、しいまさんでした。
試験直前の時間、彼女は貴重な時間をすべて私を励ますために使ってくれました。
数Ⅰがダメだったなら数Ⅱで満点とればいい。
くさのならできる。
今まで頑張ってきたんだから。
そんなことを何度もいってくれていたと思います。
彼女のおかげで
私は前向きになることができ
数Ⅱは満点をとることができました。
あれで立ち直り、
朦朧としながらも
ボーダーラインぎりぎりの8割を死守することができました。
あ、自己採点ですが。
そんな経験をした試験終了後の朝。
気持ちを入れ替えて勉強していたら
地震がありました。
うちは能登なので
たいした揺れではありませんでしたが。
その後、大震災のニュースをしったのです。
あのとき思いました。
人間、いつだって思うような明日が保証されているわけではない。
だからこそ、今できること、 やるべきことを
自分勝手な理由で先に延ばしたら
きっと後悔する。
あのとき、悲劇のヒロインみたいな気持ちになったのは事実だけど
それまでにちゃんとやるべきことをやってあったから
結果を残すことができた、
あの経験は私の大きな財産となりました。
もちろん、私のために
イレギュラーな対応をしてくださった先生方やホテルの方々、
心配してくれたみんな、そして救ってくれたしいまさん、
私の周りの本当に温かいみなさんへの感謝の気持ちも
忘れていません。
あれから15年。
私にとって、阪神淡路大震災の記憶はいつもセンター試験の戦いとともにあります。
明日あさっては今年のセンター試験ですね。
今年もまた寒い試験となりそうです。
受験生のみなさん、
頑張ってください

が、今日は別のお話を。
15年前といえば、阪神淡路大震災があった年です。
その前々日にあたる今日とその前日は
私にとっては大学入試センター試験でした。
国公立一本で受験した私にとっては
ある意味、二次試験より大事な大本番の一発勝負。
私は直前のセンター模試演習では9割というアベレージをたたき出すまでになっており
普通にやれば問題無し、いかにいつもどおりの結果をだすか、という状態でした。
ところが。
泊まりがけで金沢まで集団受験に出発する朝。
それはおこりました。
なんだかゾクゾクしたんです。
いやーな予感。
しばらく耐えてましたが限界。
熱をはかると
38.5度

そして上がりつづける熱。
どうみてもインフルエンザの症状でした。
熱をおしてバスに乗りましたが
どうにも耐えられなくなり
最後部に陣取っていた私の座席は最前列に強制移動。
あまりの高熱に
なんと信号停車中に道路脇で調達してきた雪で
全身を冷やされる始末。
みんながセンター模試の会場になる金沢大学を下見に行ったときも
ひとり寝かされっぱなし。
みんなが横を通るので
恥ずかしいやら申し訳ないやら。
宿舎となるホテルについてすぐ
近くの病院へ連れていかれ、いえ連れていっていただきました。
診断は当然のようにインフルエンザ。
診断書書きますけど要りますか?
と、お医者さんがおっしゃいました。
つまり、今回をあきらめて追試を受けますか?という選択肢を与えられました。
さすがにしばらく悩みました。
が、追試の難しさを考え、本試験を受験する決断をしたのです。
イターい注射とともにお医者さんからひとこと。
薬出しときますけど
試験の間はのまないでね。
眠くなるから。
なんと、私の大事な大本番は
インフルエンザの高熱との戦いになってしまったのです。
ホテルでは部屋を先生の横に変更され
勉強禁止令
が発令されました。
食事はみんなと違って負担の軽いものになってました。
迷惑なやつだったと今なら思えますが
あの日の私の頭の中は
なんでこんな目にあうの

被害妄想で満タンになっていました。
迎えた試験当日。
時間との戦いでもあるセンター試験、
高熱で頭が動かないのです。
最悪な事態は数Ⅰでおこりました。
いつもならパズルのように簡単にうめられるマスが
全く埋まらないのです。
この科目は演習では取りこぼしがなかったので
大パニックになりました。
そしてタイムオーバー。
埋めたものが全部あっていても6割にしかなりません。
数学は限りなく満点をとらなくてはならなかったのに。
少しの休憩で次は数Ⅱ。
でも動揺した気持ちをどうしていいか、わからなくなっていました。
そのとき助けてくれたのが
同じ部活の友人、しいまさんでした。
試験直前の時間、彼女は貴重な時間をすべて私を励ますために使ってくれました。
数Ⅰがダメだったなら数Ⅱで満点とればいい。
くさのならできる。
今まで頑張ってきたんだから。
そんなことを何度もいってくれていたと思います。
彼女のおかげで
私は前向きになることができ
数Ⅱは満点をとることができました。
あれで立ち直り、
朦朧としながらも
ボーダーラインぎりぎりの8割を死守することができました。
あ、自己採点ですが。
そんな経験をした試験終了後の朝。
気持ちを入れ替えて勉強していたら
地震がありました。
うちは能登なので
たいした揺れではありませんでしたが。
その後、大震災のニュースをしったのです。
あのとき思いました。
人間、いつだって思うような明日が保証されているわけではない。
だからこそ、今できること、 やるべきことを
自分勝手な理由で先に延ばしたら
きっと後悔する。
あのとき、悲劇のヒロインみたいな気持ちになったのは事実だけど
それまでにちゃんとやるべきことをやってあったから
結果を残すことができた、
あの経験は私の大きな財産となりました。
もちろん、私のために
イレギュラーな対応をしてくださった先生方やホテルの方々、
心配してくれたみんな、そして救ってくれたしいまさん、
私の周りの本当に温かいみなさんへの感謝の気持ちも
忘れていません。
あれから15年。
私にとって、阪神淡路大震災の記憶はいつもセンター試験の戦いとともにあります。
明日あさっては今年のセンター試験ですね。
今年もまた寒い試験となりそうです。
受験生のみなさん、
頑張ってください
